007:大切なものは
ラブコメの波動を感…じる、?
完全な負け犬台詞を吐き捨てて、魔王はマントを靡かせるとそこから黒い靄のようなものが広がって一瞬のち縮小してパッと消えた。どうやら魔術を使って転移したようだった。
「ふー、危なかったー…やっぱ魔王ってつえーんだなぁ〜」
などと呑気な声が聞こえる。しかし魔女は硬直したまま動けずにいた。何故なら、魔女が全力で向かっても勝てるかわからない相手なのだ。それを剣で圧倒して魔術を使う暇も与えず更に魔王の剣を折ってしまうなんて。こいつは本当に人間なのか、それさえわからなくなってくる。
「母様っ!!!」
茫然自失の魔女を正気に戻したのはここにはいないはずの声。
「ハベル!? それにイドゥアやロギニまで! どうしてここに…!」
「心配で鏡を見ていたら、母様があの方に見つかってしまっていたのでいてもたってもいられずにここへ来たのです!」
白い顔をさらに白くしてハベルは言い募る。
「よくここがわかったな……」
「ハベルが魔術で大体のところを見つけたのよ、それからロギニが匂いを追ってここまで連れてきてくれたの」
「……かあ様、無事?」
イドゥアとロギニもハベルほどではないが顔色は冴えない。心配させてしまったことを申し訳なく思いながら、できるだけ安心させてやろうと微笑んで言う。
「ああ、怪我ひとつない。大丈夫だ、心配かけたな」
「…よかった」
「ホント! ホント! こんな心臓に悪いことってないわ」
「見つかったと知れた時、息が止まるかと思いました……。ご無事で何よりです」
「悪かったな…ところで下の子たちはどうした?」
「ああ、それなら、」
魔女が姿の見えない他の娘はどこか聞くとイドゥアが表情を弾ませて話しだそうとするが、それを男の声が遮る。
「あの、スヴィ…? その子たちは一体……」
正直忘れてた。魔女にとって可愛い娘たち以上に優先するものはないのだ。とはいえ、恩人である男を無視するわけにもいかず簡単に紹介した。
「ほったらかしにしてすまん。この子たちはわたしの可愛い可愛い愛娘たちだ。ほら名乗っておやり」
「えぇ〜こんな男どうでもいいじゃん早く帰ろうよ〜」
「…その意見には同意する」
「ロギニ姉様がイドゥア姉様に同意するなんて珍しい…でも私も同意見です」
早く魔女の家に帰りたいのだろう、素直すぎる反応の娘たちに苦笑いしつつも諭す。
「こら、そう言うんじゃない。ソリィルはわたしを助けてくれたのだから、な?」
いつの間にか自分よりも背の高くなった上二人と、自分と同じくらいの三番目の娘それぞれに目を合わす。やはり母には逆らえないのだろう渋々といった様子で娘たちは名乗りを上げた。
「あー、さっきの傍迷惑なおっさんの娘で長女のイドゥアでーす」
「…………ロギニ。人狼のハーフ」
「私は母様の分身みたいなもので、三女のハベルと申します」
「……え、えっと……?」
目を白黒させていかにも困惑している様子の男に先ほど魔王を退けたような覇気は感じられない。魔女はうちの娘はこんなに可愛いとご満悦のようで男の困惑には気づかない。
なんとか事情を飲み込もうとした男は再度声を出す。
「この子たちは、貴女の娘………?」
男が戸惑うのも無理はなかった。魔女はとても子ども(※しかも複数)がいるような見た目ではなかったから。人間で言えば二十歳くらいであろうか、下手をすれば体格良く成長したイドゥアやロギニよりも幼く見えるだろう。ハベルとは瓜二つと言っても過言ではなかった。ただ常に堂々とした魔女と儚げなハベルでは纏う雰囲気が違いすぎて間違えることはなさそうだが。
色々な葛藤が男の中で駆け巡る。頭を抱え出した男の様子など気にも留めずに満面の笑みで魔女は答えた。
「そうだ、わたしの自慢の娘たちだ! 家にも帰りを待つ娘たちがいるのだ、ああそうだニナたちはどうした」
魔女の言葉に男は絶句した。他にもいるのか娘が! しかも複数!?
「そうそう聞いて聞いて。母さんがピンチだーってハベルが飛び出てきて、じゃああたしたちで助けなきゃってなったんだけど、でも下の子たちだけ置いていけないしどうしよう連れてく?ってなったんだけど、そしたらニナがさ『私たちがいれば足手まといになる。ホロちゃんもヘリちゃんも私が見てるからお姉ちゃんたちはお母様をお願い』って!! いつの間にかニナもお姉さんになっててあたし感動しちゃった〜!!!」
「…頼もしかった」
「私、涙が出るかと思いました…」
「そうかそうか、ニナもしっかりしてきだんだなぁ…よし! 今日は盛大にご馳走を作ろう!!」
「「「やった〜!」」」
三者三様に喜びをアピールしている娘たち。その視界の端に男の姿を認めた魔女はそっと近寄る。
「今日のことは礼を言う。助かった、ありがとう。…だが、わかっただろう? わたしのワケが。どこをどう見てわたしを好いたのか知らんがわたしの側に来るということはアレが常に付き纏うのと同じこと……お前もこれに懲りたらもっとまともな女を探すんだな。
……それに、わたしは人間の女ではない。お前とわたしの間には大きな壁がある。諦めろ」
一言、ひとこと、噛みしめるように伝えるたびに魔女の胸を鋭い痛みが走る。こんな痛みを魔女は知らない。どうして痛むかなんて、知らなくていい。
魔王にバレた以上もう街には来れない。もう二度と会えない相手に何かを残したくはない。ほんの少しの迷いと葛藤をかき捨てるように言葉を紡いだ。
この短い間に起きたたくさんのことは全部ここに捨てて、家に帰ろう。そうすれば何もなかったかのように日常が帰ってくる。そのはずだ。
黙ったままの男に背を向けて魔女はパンッと一度手を鳴らす。
音が鳴ったところから空気を震わせて何かが街を覆っていく。シャボン玉のような虹色の膜がふわっと広がると、倒壊した建物も、その瓦礫も、綺麗さっぱりなくなり寸分違わぬ元の様子を取り戻した。
「これは迷惑をかけたせめてもの詫びだ。ではな」
自分がやってくるのを待っている娘たちの元へ魔女が駆け寄ろうとする。その背後にやはりというか、声がかかる。
「待ってくれ!」
魔女はピタリとその場に止まった。
「…………………なんだ、お前と話すことはもうない」
「いや俺にはある! 貴女が何者だろうと関係ない。俺は貴女の側にいたい!」
「…………酔狂なことを」
「貴女の側にいるためなら何度だって魔王を退ける! 人でいるのがダメならば人を辞めたっていい! だからお願いだ、貴女に二度と会えないなんて、そんなこと俺には耐えられないっ……!」
必死に言い縋る男を横目で見やる。正面から見る勇気はなかった。諦める様子のない男に思わず嘆息する魔女。
「…………………………そうだな、なら一つ。チャンスをやろう」
「本当か! それはなんだ?」
「………わたしのことを探し出せたのならば、お前の望む通りにしよう。…すべて、ではないがな」
「そんな簡単なことでいいのか?」
「ふっ……あの魔王ですら未だにわたしの家までは見つけられんというのに。人間のお前にどこまで出来るか見物だな」
「何年かかろうと、俺は必ず見つける。…だから首洗って待ってろ」
男は脅すような物言いで魔女に言いつけたが、その瞳は恐ろしいほど真摯で、その表情はどこまでも穏やかなものだった。
それを見てこの男ならば本当にやり遂げるかもしれんな…と半ば呆れ気味にそう思った。何せ魔王とタメを張る強さだし。並みの男ではないのは身を以て知っている。
だが期待はしていない。自分は魔王さえも梃子摺らせる魔女なのだ。そう簡単に見つけ出されてたまるものか。
ただ、それでも。いつあの森に男が現れるだろうか、そう思うと不思議と心が弾んだ。
そして一陣の風が吹くと魔女たちは忽ち姿を消した。
男は消えた先の空を見上げて固く拳を握って誓う。
──なんとしても、見つけ出す。
次でラストです。さっくり終わります。