005:魔女、街に降りる
魔女が街に行きます。
父親サイドの話もちらりと出ます。
イドゥアやロギニ、ハベルはもう年頃と言えるくらいになった。ニナやホロスティス、ヘリオーシュはまだ母の手を必要とすることがあったがハベルを中心に三人の姉たちは何くれとなく妹たちを世話した。
そうなってくると魔女は自由になる時間が増える。
何もない森の中で、魔女は家を作り生活の道具を揃え食べ物を確保してきたが、それでも足りないもの、もしくはあればいいなぁと思うものが出てくるようになった。
「久々に街に降りてみるか」
さすがにもう吸血鬼も自分を探してはいないだろう。しばらく俗世から離れた生活をしていたし、ちょっとした情報収集も兼ねて街に行くことにした。
「ハベル、わたしは少し街に降りてくる。下の子たちのことを頼むが大丈夫か?」
「……はい。大丈夫、です。でも、母様こそ、大丈夫…?」
「アレのことか? 一応念には念を入れフードと色を変えていくから、まあ大丈夫だろう」
安心させるように微笑んだがハベルの顔色は優れない。滅多に表情を変えない三女がわかりやすく顔色を変えるのはとても珍しいことなので、よほど心配なのだろう。そのことを嬉しく思いながら、少しでも安心させるために魔女は居間に置いてあった姿見に魔法をかける。
そして胸元に入れていたネックレスを見せた。
「…母様、何を?」
「鏡に姿現しの魔法をかけた。鏡の前で会いたい者を思うとその姿が見えるようになる。ネックレスは通信機みたいなものだ、何かあったらすぐに連絡を入れるから」
だから、あまり心配するな。そういうとハベルは少し肩の力を抜いた。それを見て魔女はにっこりと笑う。少しは安心したようだ。
「では夕刻前には帰ってくる。土産は期待していいぞ」
「はい…いってらっしゃいませ、母様」
「うむ。ニナ、ホロスティス、ヘリオーシュ、あまりハベルに我儘を言うなよ!」
見送りに来た下三人はおのおの反応を返す。
「いってらっしゃい、おかあさま!」
「…………(こくん)」
「はぁ〜い」
「まあ、お前らのことはあまり心配していなのだがな…」
「姉様たち、ですね…」
「うん…。まあ何かあったら鏡に声をかけろ。そうすればわたしに届くからすぐ帰ってくる」
「…わかりました」
「じゃあ、いってくる」
ドアの外に出ると、上二人がいつものように戦闘ごっこをしていた。体格も魔女と変わらないかそれ以上になった二人のそれはもはや喧嘩遊びではなく、擬似戦闘訓練になっている。魔女の力とそれぞれの種族の力を持ったハイブリッドな娘たちは物凄い破壊音を出しながら森を飛び回っていた。
「お前たちーー! わたしは少し街に出てくる! 妹たちを頼んだぞーーー!!!」
母の声が聞こえた途端、ピタッと止まった二人は遠くに見える母に手を振って応えた。
「わかったー! いってらっしゃーい! 素敵なお土産よろしくねー!」
「…気をつけて」
そんな二人に手を振り返すと魔女は羽織った外套のフードを目深まで被って街を目指した。
魔女の揺るぎない愛情を受けすくすくと育っていく娘たち。ハベルを除いた五人の娘には、きちんと父親がいる。
下二人、エルフのタランベルクやドワーフのレーヴェンは娘たちが育つ様を見られることが出来たが、そうではない者たちもいた。
それは残りの三人の父親である。
イドゥアの父は、吸血鬼の長ワルグルド。
ロギニの父は、人狼の次期当主ガラム。
ニナの父は、不器用な夢魔のヨキ。
自分たちの血を継いだ子どもがいることすら知らないが。それでも三人は今もまだ魔女を探していた。
ガラムは今もまだ魔女を愛しているから。抑えきれない感情に呑まれて魔女に無体を働いたことを彼はとても後悔していた。できることならもう一度会って謝りたい。そしてどうか自分の元へ帰ってきてほしいと。……もちろん彼は魔女が六人の子の母親になっていることは知る由もない。
ヨキも似たようなもので、故意ではなかったがそういう行為を強制してしまったことを謝りたかった。魔女の優しさに泥を塗るような、恩を仇で返してしまった自分を許して欲しかった。そしてあわよくばその優しさを独占させてほしいと思うまでになっていた。ただ魔女の家を追ん出されてからは、夢でもその居場所を見つけることが出来なくなっていた(もちろん魔女の仕業である)ので思いは募る一方だった。
そして、最も魔女を知り、最も長く魔女と一緒にいた吸血鬼のワルグルドは魔王になっていた。彼は自分に魔女を見つけてくるように言った魔王に下剋上を仕掛け、それが当然のように成功したためだ。
元々、前任が決まるまではワルグルドが魔王になるはずだった。が、ワルグルドは自ら辞退し、結果、家臣に落ち着いた。そのときの彼にとって魔王というのはただただ煩雑で面倒な仕事でしかなかったからだ。
しかし、魔女の出奔によって事情は変わってしまう。
そもそもワルグルドは魔王より『始末』を命令されていたにも関わらずに独断で魔女を引き取り育てていたのだ。ただワルグルドは元魔王候補であり、最も魔王に相応しき者と辞退したあとでさえ、囁かれていたこともあり命令違反は不問に処された。それに魔女がワルグルドの手先になれば魔王、ひいては魔界の強力なカードになるだろうことも理由にあった。
だが、魔女はワルグルドの手からするりと離れいなくなってしまった。強大な力を、ワルグルドはみすみす逃してしまった。それも自分のせいで。その事実は、山よりも高いワルグルドのプライドをいたく傷つけた。
魔界での立場も一気に悪くなった。そんな現状を打破するため、という表向きの理由と、魔女を捕まえるためのさらなる力を得るためという私情まみれの理由から、それまで倦厭していた魔王の座につくことになったのだった。
何が彼をそこまで追い立てるのか、それは愛か憎悪か。
そんなことなど森に籠って暮らしてきた魔女は露知らず、鼻歌すら出てきそうなほどご機嫌な様子で街を歩いていた。
魔女の住む森は、犬猿の仲である人間の住む国と魔族の住む世界の境になっている。そうした敵対関係もあり森は不可侵領域なのだ。まあ単に高濃度の魔力が漂う危険地帯であるからというのが一番の理由なのだが。両者は入りたくても入れないため、不可侵領域とし最低限の線引きを設けたのだ。ちなみに、例外もある。
その例外の一つである魔女一家は、森と同等くらいの魔力を持っているのでなんの差し障りもない。ついでにタランベルクとレーヴェンは魔女特製のペンダント型魔力遮断機が与えられている。それから結界内は魔力制限が掛けられているので夢から飛び込んだヨキもその時点では何の問題もなかった。叩き出された後のことは、お察しだ。
魔女は当然人間側の街を訪れていた。実は魔女、人間の国やってくるのは初めてだった。吸血鬼から逃れたあと、人狼の村を出て、そのままフラフラと魔界を彷徨いその果てにあった森に住むことにしたため魔界から出ることはなかったのだ。
「いや、やはり人間の国は魔界とは空気が違うな。集う者の表情や雰囲気はどことなく似ているような気もするが、売っているものや匂いは全然違う」
初めてみる人間の国に魔女は知らず知らず心をときめかせていた。娘たちにはどんなお土産を買って帰ろうか、と楽しそうに頭を悩まし始めていた。
それと同時に今度は家族全員で来ようと思う。
魔女の隣をはしゃいだ子どもとその親が通り抜けたからだ。つい羨ましげに見てしまう。
まだ来て間もないが早々にホームシックに駆られた魔女は、家を出る前にメモしてきた欲しいリストを広げて足早に市場へ繰り出した。
「っと。こんなものかな?」
リストのものを少し空間と重力をいじって重みを感じない中を広くしたバスケットに詰め込んだ。
お土産もバッチリ買った。イドゥアにはピジョンブラッドの耳飾りを、ロギニには精巧な作りのサーベル、ハベルには少し変わった魔道書、ニナには花を模したネックレス、ホロスティスには折りたたみ式の望遠鏡、ヘリオーシュには綺麗な音色のオルゴール。
喜んでくれるだろうか、帰りを待つ家族の顔を思い浮かべて歩く。だから魔女は前に何かあることにちっとも気がつかなかった。
──ドンッと勢いよく当たったのは、魔女の頭一つ分高くて硬い壁のようなものだった。
「大丈夫か?」
否、人だった。慌てて俯いていた顔を上げる。
「す、すまない。少しぼーっとしていて気がつかなかった」
「こっちは平気だ。その…具合でも悪いのか?」
「えっ? ああ、いや違う。考え事をしていただけだ、すまない。先を急ぐので、失礼」
魔女がぶつかったのは随分綺麗な顔をした男だった。エルフであるタランベルクとはまた違う、凛々しさのある精悍な顔、中でも夜の空のように濃い藍色の瞳が印象的だった。
一方的に言いのけて男の横をすり抜けるように通ろうとすると、がっとその腕を掴まれる。
「なっ」
突然の暴挙に一瞬、魔女は言葉を失う。その隙に男は言った。
「貴女は俺の運命の人だ!」
サブタイトルの【魔女、街に降りる。】に〜父親たちを添えて〜をつけるかどうか微妙に悩みました。なんとなく語呂が気に入らなかったので却下しましたが。