3節 目覚めると、貴男がいた
女性は目覚めた。年の頃は20歳前後。白人特有の金色の髪に碧眼が特徴だ。名はユェナ・デアブルク。又の名を、地獄の火刑人。
とても長く、孤独な眠りであったという。しかし、目覚めてみて、それが誤りであったことに気付き、涙を流した。
涙を優しく拭う、温かな指がある。以前よりは少し小さめだが、その温もりは確かに間違いない。
「おはよう、久しぶり。ユェナ姉」
第一声が、2つの挨拶だった。
目覚めへの挨拶と、出会いへの挨拶と。
ユェナ・デアブルクは青い瞳で空を見上げる。――そこに空はなかった。真っ白い天井だ。おかしいな、と考える。自分が最後に見たのは、確かに蒼穹だったのだが。
ぼうっとしていると、再びあの声が落ちてきた。
「ははっ、ボケてんの? まぁ、長い眠りだったしなぁ……」
狭く、深い場所に閉じ込められた自分を思い、長き時の果てに探し出してくれた少年に対し、ユェナは口を開いた。
「今、起きたわよ……スルト」
その名を呼ぶと、少年はくすぐったそうに顔をくしゃ、として笑う。
「ごめん。今は朱槻ル哥って言うんだ。日本国の雫石市生まれ。スルト・デアブルクは、ユェナの後を追って死んだ。そして再び生まれた。ユェナに会う為に」
事態が飲み込めない。
目の前の少年には、彼の面影は無い。面影どころか、年齢も人種も違う。だが魂は同じだ。
(スルトは、私の双子の弟は、死んでしまったの――……)
ユェナは立ち上がり、ル哥を見下ろす。ル哥は自分より少し背が低かった。以前は、スルトとして生きていた頃は、いつも見上げていたものだが。
「ユェナ、世間では世界的大発見のミイラってことになってるんだぜ。保存状態抜群の美しすぎるミイラだってさ。知ってた? いや、知るわけねぇよな。そのミイラが盗まれたってなると、こりゃ大事件に発展は確実だ。犯人は、前世でミイラの弟だった少年――とかさっ。けど、誰もミイラの真実を知らない。中世フレイリア王国内で地獄の火刑人として名を馳せた女性だったなんてことは。全く、都合良いもんだぜ。まさかシャドウ・システムの隠蔽体質がこんな時に役立つとは思わなかった」
少年はとても愉快に笑っていた。これほど饒舌になったのは、少年が朱槻ル哥として生きた16年間の中で初めてであった。
「とても……長い、眠りだった」
「ユェナは封印されてたんだよ。あの解放戦争の混乱に乗じて、組織のクソ共に」
「そう、私は封印されていたのね……。あれから、どれくらいの時が流れているのかしら」
「500年」
ル哥はその年月を噛み締めるように告げた。
「500……。でも、どうして貴男は……」
話したいことが、聞きたいことが山ほどあった。
どうして自分だけ生きているのか。解放戦争はどうなったのか。あの人はどうなったのか。そして、私の――。
だけれども、それらを聞くには時間が少なすぎる。
「誰?」
刺客がやってきたようだ。ユェナを再び封印せんが為の。ル哥は怒りに震えていた。抑えることなんて不可能なほどの、激情。
「ユェナ」
ル哥はユェナを護るように前に立ち、力強く言い放つ。
「今度こそ護ってみせる。ジオが俺にそのチャンスをくれたんだよ。再び雷の使い手として生を受けられるよう――冥界を彷徨っていた俺の魂を見つけてまで」
「……スルト。私……」
「ユェナ姉」
言いかけるユェナの声を、ル哥はピシャリと止める。
「俺はもう、後悔したくないよ」
「…………」
一見、圧勝したかに見えた戦いであった。組織からの刺客を退け、ユェナを護り、かつての部下を集結させた。
血肉で溢れた研究所内を見渡し、ル哥は黙り込む。
“あの男たち、本気を出していなかった”
雲に頭が届きそうなほどの巨人が、低く唸る。
巨人は真っ赤な目に立派な髭をたくわえた屈強な身体つきで、手に槌ミョルニルを構えている。神話上にしか姿を現さないはずのそれは、雷神トールだ。名をジオと言い、雷を司るシャドウ・コンダクターの忠実なる下僕である。これは、500年前から変わらない雷のシャドウ姿。
“だが決して侮っていたわけではない。冷静に状況を見定め、次なる対策を考えていたようだ”
「…………」
“直に組織の本隊がユェナを殺しにやってくる。その前に、なんとしてでも協力を要請せねばならぬ相手がある”
「…………」
“それがたとえ、世界を裏切ることとなろうとも。――なぁに、心配は要らぬ。ユェナもル哥も、500年前に一度、世界を裏切っているからな”
「…………」
“しかし、あの氷の男は怖いほど冷静だったな。最後は少々取り乱しておったようだが、理由まではわからん”
「…………」
“注意せねばならんのは氷の使い手だ。ユェナが水の使い手によって敗北したこと――忘れるな”
「分かってるよ、んなこたぁ……」
ちっ、と舌を打つ音が静かな研究所に響く。人が訪れる頃には大騒ぎになっているか、はたまた組織によって事実が隠蔽されるか――どちらが早いだろうな、とル哥はぼんやりと考えながらユェナに振り返る。
「……ユェナ?!」
ユェナは床に突っ伏すように倒れていた。急ぎ抱き起こすが、顔色がひどく悪い。怪我はしていないようだが、これは一体どういうことだ。長い眠りの後、一息入れる間もなく戦いが始まったことが身体に悪影響を及ぼしたのかもしれない。しかしユェナは首を振る。
「違うの……これは、多分、私も、スルトも……誰も想像してなかった……事実」
「なんだ……どうしたってんだよ……ユェナ!」
ユェナは、私の足元を見て、と一差し指を向ける。指示されるままユェナの足元を見るル哥の表情が、サッと青ざめた。
「無い。影が……無い?!」
この世に存在する、命無いものにまで在る影。シャドウ・コンダクターはそれを具現化して自由に操るが、失えばそれは死を意味する。しかも、すぐには死なない。徐々に死が身体を蝕む感触をたっぷりと味わいながら、世の不条理さを呪い、あるいは絶望し、死ぬ。
「まさかユェナ、影人になったわけじゃないよな??」
自分で言っておきながら、ユェナから影人の気配はしないことに今更気付く。影人でもないのに影が無くなるなんて、やはり理由は1つしかない。
「どこ、行っちまったんだ。闇炎のシャドウは……」
「わからない。500年前の戦いでは、私のシャドウは死んでいなかった。共に封印されたはずよ。でもシャドウだけが消えているということは――」
「何者かに、剥がされた」
まさか、再び絶望を身に受ける日が来ようとは。ル哥は血が滲み出るほど唇を噛み、ユェナにこんな仕打ちをした姿無き悪魔を憎む。
「……時間が無い」
ル哥は頭を垂れ、低く呟く。今まで、待ちきれないほどにたっぷりとあった時間が、今ではカウントダウンの音が聞こえるまでに1秒が惜しい。
予定としては、ユェナを目覚めさせた後に安全な場所で匿うつもりだった。この作戦が成功することは、500年前の戦いで立証済み。しかしシャドウが剥がされたとなれば話は別だ。剥がされたシャドウはすでに他の誰かに宿っているはず。シャドウ・コンダクターではない第三者を無理やりにシャドウ・コンダクターにしてしまう実験が行われていたことも知っている。
ル哥は考える。ユェナを殺さずに封印という手法をとったのは、闇炎のシャドウを司った人間を人工的に生み出すことが目的だったのではないか。そいつを部下とし、戦力のアップを図る。もし実験が失敗し、人工のシャドウ・コンダクターが暴走した場合、再びシャドウを剥がして本来の闇炎の器であるユェナに戻し、シャドウの保管庫とすればいい。
――そんな狙いが、組織にあったのだとしたら。
「クソ……」
500年前のあの戦いに、意味なんてまるで無い。組織の掌上で踊らされていたに過ぎない。ユェナは、姉はただ利用されていたのだ。
500年間、魂も身体も、解放されたはずの今も封印に捕らわれたまま。
「スルト……」
ル哥はユェナを抱きかかえ、集結したかつての革命軍のメンバーを見渡す。姿はヒューマン型の騎士から始まり、怪物に変貌している者までいる。その数は更に肥大し、300にまでのぼっていた。これは、地獄の火刑人復活を待ち望んでいた仲間たちだ。
「ユェナ。地獄の火刑人として恐れられていたあの頃の力強さ、輝き、俺が取り戻してきてやるよ」