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 5節 それぞれの道が交わる時

「……どうして?」

 声を出したのはユェナだ。カラン、と落ちた剣を見下ろし、頭上に疑問符を浮かべる。

「……なによ。今更躊躇したっていうの? 貴女には私を殺す理由が出来たんでしょ!」

 自分を哀れみの目で見下ろしてくる世槞の姿があまりに理不尽で、ユェナは沸き立つ怒りを止められない。

「それとも、やはり自分は闇炎の器ではないと私自身と対峙してみて気付いたということかしら? または恐怖で足が竦んだかしら?! ああ、わからないわ、貴女の考えてること」

「……ごめん」

 殺すべき対象に対し、世槞が唇を震わせながら伝えたのは謝罪の言葉だ。

「どうして謝るの? 何に対して謝っているの? 謝るくらいなら、大人しくララクヒを返してくれていたら良かったのに! そしたら私は……スルトの望み通り、革命軍など捨てて、どこか遠くへ……あの時奪われた、のどかで平穏な暮らしを……もう一度。……それだけが願いだったのに! 些細で、それでも手に入れることが困難だった願い事を……!」

 世槞はユェナの話を聞いていなかった。早くなった呼吸を落ち着かせるように片手を胸に置き、山の麓に群がる革命軍を見下ろす。その目は瞳孔が開ききっており、必死に何かを探している。そんな世槞の背後より騎士が1人接近し、ユェナの指示により剣を突き出す。剣は、赤い液体を伴って世槞の腹から顔を出した。

 世槞は悲鳴を上げず、また痛がる様子もなく、後ろ手で騎士から剣を奪い取り、身体から引き抜くと振り向き様に騎士の首を斬り落とした。何を思ったか世槞は、ゴロンと転がる騎士の頭を急ぎ持ち上げ、断面を舐め回すように観察した後、頭を静かに地面に置く。

 頬を紅潮させ、深い溜め息を吐く世槞の姿が尋常ではないと、ユェナは次第に気付き始める。

「地獄の火刑人として、力を世界の為以外に乱用した代償が……これか」

「……何が言いたいの」

 怖い。この赤髪の少女が何を言わんとしているのか。聞いている自分自身、意味の分からぬ恐怖で全身が硬直する。

「ユェナ、お前、もう……手遅れだ」

 こちらを振り返った世槞の瞳には、諦めと哀れみ、そして謝罪の念が込められていた。

「――――」

 ユェナは世槞をジッと睨んだまま、自らの腹部に触れる。

 痛みがあった。陣痛に似たような痛みだが、それより遥かに乱暴で、悲しい。

「ユェナ!」

 羅洛緋とジオが戦う中、1人だけなんとか逃れてきたル哥が姉の元へ駆け寄る。

「良かった、無事だったんだな!」

「……スル、ト」

 ル哥は心の底からホッとした表情でユェナの頬を撫でる。そして顔を覆う世槞の姿に疑問を抱くが、すぐに雷鞭スィルリスタを握り締める。

「ちょっと状況が把握出来ないが、これは好都合と捉えるべきか。どうやら甘ちゃんの闇炎の使い手はユェナを殺すことを寸前で躊躇ったようだ」

 ユェナは「違う」とル哥の袖を引っ張るが、野望を果たす時が来たと勘違いしているル哥は気付いていない。

「そこで大人しく泣いていろ。お前を殺し、羅洛緋を取り戻したら俺とユェナはすぐに戦線離脱だ。革命軍には悪いが、組織を引き止める為の餌になってもらう。あーあ、せっかく覚醒出来たのに、お前残念だったな。己の浅はかさを思い知れ!」

 ははは、と逆転勝利を確信したル哥の隣りで、ユェナは悲鳴をあげた。

「いやぁああああああ!!!!」

 腹を押さえ、山肌を転げ回る。口からは泡を吹き出し、全身を痙攣させている。

「ひぎぃっ……ぃいい――」

「はっ? ユェナ姉……??」

 手足を振り乱し、暴れる様は人間のそれではない。しばし呆気に取られていたル哥はやがて怒りの形相で世槞に振り返る。

「てめぇ! ユェナに何をした!!」

 世槞は苦しみ悶えるユェナを静かに見下ろしたまま、ル哥の怒りを受け流す。ル哥はただ混乱するだけだ。

「なぁ……ル哥」

 やがて口を開くも、声色に力が無く、虚ろだ。

「ユェナは……妊娠してただろ」

「? ……まさか」

 ユェナには恋人がいた。遥か、500年前に。

「ユェナ! ボレアナズの子なのか?!」

 ル哥の問い掛けに、ユェナは頷くことも出来ない。

「お腹が膨らんでいないから気付かなかったけど……確かに胎動を感じる」

 ユェナの腹に耳をあて、ル哥は表情を綻ばせた。腹が膨らむ前から胎動を感じること――その不自然さから目を逸らして。

「そうか……胎児も一緒にコールドスリープにかけられていたお陰で、失わずに済んだんだな。そして元気よく暴れ出したわけか、はは。……俺たちに残された家族だ」

 残された家族。

 その言葉が、世槞の精神に強い打撃を加える。

「恨みは無いつもりなんだ……」

 世槞はおもむろにフィアンマを拾い上げ、腹に狙いを定める。

「?! なに考えてやがる! お前は、ユェナを衰弱死させるだけでなく、胎児まで殺すつもりか!」

 ル哥は己の身体を盾に立ち塞がる。姉を、そして生まれてくる家族を護る為に。世槞はそんなル哥の姿を見て、やりきれなくなる。

「性別は女、だろうな」

「だから何だ! 女だろうが男だろうが、てめぇには関係ない!」

「ユェナはもう手遅れだ」

「黙ってろ!」

 世槞は意を決したように息を吸い込み、ル哥の胸倉を掴んで精一杯に伝える。

「クイーンに寄生されてるんだよ! お前の姉は!!」

 涙を流しながら怒鳴る世槞の表情は、悲しみとやるせなさ、深い怒りなど様々な色を混ぜた混濁色になっていた。

「――クイーン?」

 ル哥はポカンとし、その単語をゆっくりと復唱する。

「そう、影人の寄生型よ! 寄生型の女王よ!」

 クイーンはどこか遠くへ逃げていたわけではなかった。すぐ近くに母体を見つけていたのだ。だが緊急であるが故に、不完全な寄生となった。

「現実から目を背けるなよ。感じるだろ……ユェナから、影の気配を!」

 ル哥は世槞から目を離さない。いや、離せられない。世槞はル哥を無視してユェナに近寄る。

「ユェナ、月夜見市で私を襲撃したあの日、腹に怪我をしなかった?」

 ユェナは答えない。痛みが全身を支配し、聴覚が機能していないのだ。世槞は仕方なくユェナが羽織うローブを捲り、腹部を覗き見る。そこには、裂けた腹が乱暴に縫われたような痕があった。

 しかしユェナ自身がなにをされたか分からないほどの寄生レベルなのだろう。つまり、クイーン誕生の手順の1つである――母体から臨月の胎児を取り出して食すこと、が省かれている。何故なら、ユェナは妊娠が間もない故に胎児らしい胎児は形成されていなかったからである。

(私が予想するに、珠里は食した葉山先生の子供をユェナの子宮にて育ませている)

 珠里も必死だったのだ。寄生型存続の為に。自分の腹を引き裂き、器が機能停止になる前に胃から子供のミンチを取り出し、ユェナの子宮へ押し込んだ。

 世槞は顔を歪め、幾度目かの溜め息を吐く。

「赤子の性別が女……革命軍という巣に適した人口密度。そして……臨月であることが寄生する上での最も重要な条件だけど、妊娠して間もないうちに封印されたユェナの母体は不完全……」

 おそらく、先代クイーンの器である沓名珠里の身体はすでに失われているだろう。本体は、ユェナのナカ。しかしクイーンが誕生する為の正規の手順を踏んでいないが故に、どんなバケモノが生まれるかわからない。

(クイーンはまだヒト型を成してはいたけど……。今度のは、ユェナの子供と葉山先生の子供の混合物だ)

 ユェナのナカから誕生するバケモノを、ユェナの為にもル哥の為にも葉山先生の為にも沓名先生の為にも、そして世界の為に――殺さなくてはならない。

「おい、説明しろ! ユェナは……子供はどうなるんだ?!」

 ユェナの腹の傷を見たル哥は、錯乱する心を隠しきれない。世槞はすぅ、とゆっくりと呼吸を繰り返し、なるべく冷静に、しかし非情なる事実を容赦なく並べる。

「ユェナの子供は、影人との混合物になっている」

 ル哥は息を飲み込む。

「直に母体を突き破り、寄生型のクイーンとなったバケモノが誕生する。そして母体は活動を停止する。これは避けられない。……遅かれ早かれ、私が手を下さずとも、ユェナは死ぬ運命にあった」

 ル哥は青白くなった顔を何度も横に振る。

「……信じない。信じないぞ、俺は。なんだよ……クイーンって。……寄生型なんて形態は知らない! ユェナを助ける! 何か方法があるはずだ。500年の眠りにあったユェナを、俺は助け出したんだから! ……そうだ、羅洛緋だ、羅洛緋だよ。羅洛緋さえユェナに戻ってくれたら!」

 ル哥はスィルリスタを握り締める。それを見た世槞は、電流を帯びた鞭をお構い無しに握り締め、ル哥から奪い取る。

 鞭を握った手の皮が破れ、血が吹き出す。それでも世槞は破裂しそうになる心を止められなかった。

「私はこの目で見たのよ! 母親の腹が裂かれ! 生まれる直前の胎児を取り上げられ! 食べられ! クイーンの腹から取り出された胎児の肉塊が、再び母親の子宮に戻され! そして、腹を突き破って次代クイーンが誕生する全てを!!」

「っっ――」

「私は沓名先生と約束したんだ。沓名先生の腹から生まれたクイーンを、沓名珠里を殺すって。悲劇は、私が食い止めるって! でも……止められなかった……ごめんなさい」

 ユェナが一際大きな悲鳴をあげる。胎内で子供が外に出ようと暴れているのだ。乱暴に縫われた腹の裂け目からは、血が滲んでいる。

 これは皮肉である。あの日、世槞を襲撃しなければ、もしかしたらユェナは寄生されなかったかもしれない。どのみち死ぬ運命だったのだとしても、こんな惨い死に方は避けられたはず。

「嘘だろ……こんなこと……せっかく、会えたのに……俺の本当の家族に! フレイリア王国が無くなって、新しい世界になって、やっと、静かで細やかな幸せが手には入る……全て、順調にいくはずだったのに……ユェナ……」

 ユェナはもう闇炎の主人ではない。その事実を叩きつけられような悲惨な末路。

 苦しみの中、ユェナが力を振り絞って手を宙に彷徨わせている。――誰かを探しているようだ。

「ここにいるよ」

 その手を握り締め、ル哥は言う。言葉が喉につっかかり、声が出しにくい。

 ユェナの額には脂汗がポツポツと浮かぶ。

「え? ……うん……うん……そうか……うん」

 ユェナの口元に耳を近づけ、ル哥は精一杯の笑顔で話を聞いている。

“世槞様”

 ジオを退け、岩山の頂へ登った羅洛緋の目に映るのは、かつての主人が苦しみ足掻く姿であった。

“…………”

 仄かに漂う、泥くさくて甘ったるい臭いに鼻をヒクヒクとさせ、少しだけ目を細める。

“世槞様、同情は必要ありません。影人は世界を崩壊へと導く悪しき存在です。――始末を”

 剣を握る手に力を込めた時、ユェナの声に耳を傾けていたル哥が立ち上がる。その手に雷鞭スィルリスタを引き寄せ、世槞に向き直る。世槞は攻撃の範囲にユェナだけでなく、ル哥も含める。

「……世槞」

 ル哥は初めて世槞の名を呼んだ。世槞は警戒を緩めないままも、「何だ」と返事をする。そしてル哥からの提案に、世槞は自分の心臓が軋む音を聞く。

「ユェナは、俺が殺すよ」

「……え?」

「ああ。ユェナがさ、殺してほしいんだって。……わかってたみたいなんだ。自分のナカに宿る生命が、得体の知れないモノに変化しつつあったことを」

「本気?」

「俺も、この苦痛からユェナを解放してやりたい。でもそれ以上に、バケモノとなった子供をユェナに見せたくない」

「…………」

「けど、俺に子供は殺せない。だってよ……ユェナとボレアナズが遺したものなんだぜ……? だから、子供は、お前に任せる」

 意外とあっさり現実を受け入れたル哥は、もう何も望んでいなかった。

 世槞は嫌な予感を覚える。

(こいつ、確かスルトとして生きていた時代に……)

 世槞は静かに頷く。ル哥はそれを何度も確認し、覚悟を決める。

「ユェナ、せめて死だけは苦しまないように――」

 青白い雷光がユェナを包む。痛みに叫び転げ回っていたユェナは、嘘のように静かになった。手足を投げ出し、だらりと横たわる姿はリアルな蝋人形のようだ。しかし腹部だけは依然として波打っている。

 ル哥は見開かれたユェナの目にそっと手を置き、下へ滑らす。閉じられたユェナの目。穏やかな表情は、ル哥が宣言した通り死ぬ時に苦痛を感じなかった証拠だ。

 ル哥は膝を折り曲げ、ユェナの胸に顔をうずめた。――クイーン誕生の瞬間を、見ない為だ。

「……来る」

 母体の死。胎内で栄養を得られなくなったクイーンは、仕方なく誕生を果たす。

 ユェナの腹がドクドクと波打ち、裂け目を縫っていた糸がブチブチと解けてゆき、ずぼっ、と血塗れの右足が現れる。次に左足、胴体、左腕、首――。

「なんてことだ」

 誕生は、首で終わっていた。不完全な母体に寄生し、更に誕生より前に母体が死したことによる、クイーンの名に相応しくない醜いバケモノの形成。右腕と頭の無い無様な姿のクイーンがずぼずぼとユェナの腹から這い出てくる。

(絶対に顔をあげるんじゃないわよ、ル哥)

 世槞はそれだけを祈り、クイーンを睨む。クイーンは首が無いにも関わらず世槞から離れるように岩山を走り出し、崖から飛び降りる。それはほんの一瞬の出来事であり、世槞は慌てて崖から下を覗く。

「あっ……あいつ、速い!」

 クイーンは赤子の身体で大地を駆ける。それが非常に素早く、シャドウ・コンダクターの身体能力をもってしてでも追いつくことは難しい。

「しまった! また逃がしてしまっ……」

“世槞様、私の背にお乗りください”

 羅洛緋は頭身を下げ、主人の乗獣を待つ。世槞は飛びつくようにケルベロスの背に跨がり、羅洛緋は頭をあげると同時に身体を反転させ、崖から身を投げ出した。

“飛ばします。振り落とされないよう、しっかり掴まっていてください!”

「うん!」

 地上へ真っ逆さまに落ちる独特の浮遊感。世槞はケルベロスの漆黒の毛をしっかりと握り、風を切る。

 羅洛緋は戦場のど真ん中を地上すれすれの高さで高速飛行する。途中、何人もの影人か味方に体当たりしているが、構ってなどいられない。

「羅洛緋っ、追いつける?!」

“はい。あと少しです”

 川を飛び越えた頃、羅洛緋が急に立ち止まり、太く鋭い爪で何かを切り裂いた。世槞は反動で数メートル先に振り飛ばされるが、転倒することなく難なく着地する。

「羅洛緋! それは反則――……」

 着地してみてわかったことだが、そこは迎撃軍の駐屯地であった。自分とよく似た少年と目が合う。

「……姉さん。あれ、君のシャドウなの……?」

 首と右腕の無い赤ん坊を抑えつけている漆黒の獣を指差し、紫遠が確認の意味で尋ねる。

「あ……その、羅洛緋って言うんだ。強そうでしょ!」

 地獄の扉を開いてやってきた獣は、見る者を恐怖のどん底へ叩き落とす。だが、紫遠は苦笑するだけ。

「ああ。君らしい、シャドウだよ……」

 紫遠の背後では、可ノ瀬がこれまたニヤニヤとした得体の知れない表情で羅洛緋とその獲物を観察している。

「朧、やっと捕まえたんだよ、クイーンを」

「うんっ。そうみたい」

 そのクイーンが一体どこから現れたのか。可ノ瀬は大体の予想をつけたようだ。

 世槞は羅洛緋の足の下で暴れるクイーンを見下ろし、迷うことなく紅蓮剣フィアンマを突き刺した。胴体の真ん中を、地面ごと貫いて。

 赤ん坊の小さな身体に剣は不釣り合いなほど大きくて、虐殺をしている気分になる。だが、今はそれで良かった。数々の悲しみを生み出したクイーンの死に、相応しい。

(これで約束……果たせたかな。沓名先生……)

 再生が不可能なのように、このまま細かく切り刻んでやろうか。――そんな思いを抱きながら、事切れたクイーンから尚も剣を引き抜かない世槞の手に、紫遠の冷たい手がふんわりと触れる。

(!)

 燃えるほどに熱を帯びていた手が、スッと冷やされてゆく。

「あったかいね、姉さんの手」

「……あ」

 我に返り、剣を放した世槞の手は真っ赤に焼け爛れていた。これは温かいというレベルではない。

「僕の手は冷たいから、丁度良いでしょ」

「……ごめん。助かった」

 世槞は頭を掻き、苦笑いを浮かべた。そして、大事な報告をする。


「地獄の火刑人は死んだ。私は無事に帰ってきたよ」

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