2節 500年前
“世槞様”
淡い紫色の光に包まれた地下牢に、ぼわぼわとした低い声が響く。世槞は引っ付けていた弟の背中から額を離し、小窓を見上げる。そして、この地下牢は<いつも夜>であることを思い出し、小さく溜め息を吐いた。
“世槞様。革命軍との戦いは本日の正午とのこと。それまで、あと数時間しかございませんが……私のつまらない昔話に、少々お付き合い願いませんか”
あと数時間で正午ということは、今は朝らしい。
「やっと話す気になったのか?」
世槞は両腕を弟の身体に巻きつけたまま、皮肉混じりに言う。
「昔話の前に、まず聞きたいことがある」
“はい”
「私は紛い物?」
“いいえ”
影は即答する。世槞は頷き、話の続きを促した。
“私――闇炎のシャドウは、500年前のフランス、当時フレイリア王国の民家に生まれたユェナ・デアブルクという少女に宿りました。
彼女には優しい両親、甘えん坊な双子の弟、そして将来を誓い合った恋人がおりました。
貧しいながらも彼女は幸せを噛み締め、戦いとは無縁の日々を送っておりました。
不穏な空気が流れ始めたのは、彼女が18歳の頃。当時、フレイリア王国は魔女狩りという大義名分を掲げては罪の無い女性たちを次々と処刑台へ送っていました。理由は話すことすらくだらない、些細なことばかり。
彼女の家にも不穏な空気は流れ込み、処刑台送りになったのは彼女の母親でした。罪は、フレイ王の第二王子を誘惑し、王宮の中での身分を不正に得ようとしたこと。まったくもっていわれのない罪状でした。おそらく、王宮へ食材を届ける仕事をしていた母親に目を付け、罪を被せた者がいたのでしょう。
断頭台にて、母親の首は飛びました。彼女いわく、母親の首は虚無の表情を浮かべていたと言います。
その日からでした。彼女がおかしくなり始めたのは。
力を望む彼女の声が聞こえました。復讐をしたい、こんな国は滅ぶべきだ。……私は目覚めました。
闇炎の力を得た彼女は、悪を裁くと称して町をフラつく貴族や官僚、王宮騎士たちを次々と燃やしていきました。謎の焼殺事件の発生にて、一時は魔女狩りよりも国民たちを震え上がらせていたものですが、焼殺されるのは王宮の関係者ばかり。元より国のやり方に不満を抱いていた国民は、焼殺事件の犯人を地獄からやってきた処刑人であると恐れ敬い、支持するようになりました。
地獄の火刑人がまさか彼女であることに、双子の弟も恋人も、誰も気付いていませんでした。
それから2年後――再び彼女を悲劇が襲います。
地獄の火刑人の出現により、フレイリア王国は無闇に国民を処刑台へ送らないようになっていました。そんな中、真夜中に彼女が<処刑>している姿を目撃した貴族が命からがら王宮へ逃げ帰り、事の事実を国王に説明します。
明くる日、彼女は王宮へ連行されます。理解の出来なかった父と弟はただ呆然とするばかり。恋人は、怒りで身体を震わせていました。しかしこれは、彼女の策の1つでした。わざと捕まり、王宮へ連行されること。フレイリア王国の血筋の人間を根絶やしにして、内部から滅亡させるつもりでした。支配の無くなったこの場所で、再び平穏に暮らしたい。母親の欠けた家族と、恋人と小さな幸せを――それだけの願いを胸に。
計算外のことが起きたのは、処刑場でのこと。下された裁きは当然、死刑。しかし圧倒的な力を持つ自分を第三者が処刑出来るわけない、と彼女は高をくくっていました。処刑される、まさにその瞬間に王族の命を狩り捕ってやると決めていたのです。母親が無実の罪で処刑された場所にて行うこと――それに強い意味を感じていました。
断頭台に立たされた時、彼女は悲鳴をあげました。処刑をされるのは、彼女ではありませんでした。父、弟、恋人。残った家族と最愛の人が断頭台にて手足を縛られていたのです。
フレイ王も馬鹿ではありませんでした。彼女に最大の悲しみを投げつけた後、隙を狙って仕留めるつもりだったのです。
フレイ王は彼女が力を解放するよりも早くに処刑人に合図を送りました。振り下ろされる刃。血飛沫をあげて空を舞う首。
ごろん、と地面を転がるのは、2つの生首でした。
しかし。
その場にいた全員が、おそらく彼女すらも驚いていたかもしれません。飛んだ首は2つです。しかし、断頭台にかけられた首は3つ。彼女は2つの首を見ます。1つは父親、1つは恋人。残りは――。
3つ並ぶ断頭台の真ん中、振り下ろされたはずの刃は粉々に砕け散り、ビリビリと電流を帯びていました。
「革命を起こすか、ジオ」
甘えん坊で、いつも彼女の後ろをついて回っていた少年は、逞しい青年の口調ではっきりとこう言いました。
彼女の双子の弟、スルト・デアブルク覚醒の瞬間でした。
巻き起こる爆風と雷は全てを吹き飛ばします。召喚されたジオは彼女と弟を大きな手で掴み、フレイリア王国から少し離れたエイメの港町へと避難させました”
影の口調は穏やかだ。内容は悲惨で救いようがないのに、まるで昔を懐かしむような。
“……これ以降は、例の騎士団長やスルトから散々聞かされていると思います。私は、組織に負けたユェナ様と共に永い眠りにつかされたのです”
世槞は自分でも気がつかぬうちに瞳から溢れていた雫を拭い、今一度疑問を投げかける。
「それだとやっぱり、お前が私に宿っていることが……おかしい」
“前にも言いましたが、私は世槞様に出会う為に幾人もの主人の影を渡り歩いきたのです。なのに、世槞様がお生まれになられる時代に、いつまでもユェナ様に仕えているわけにはいかなかった。ユェナ様は、長く生きすぎたのです。身勝手とは思いましたが、私は、自らの意思でユェナ様から離れさせて頂きました”
「自らの意志……?!」
“ですから、世槞様が私を奪ったわけでも、他の誰かに宿らされたわけでもないのです。私は、貴女を待っていた。……こういう表現はあまりよろしくはないのですが――……世槞様かユェナ様、どちらかに紛い物のレッテルを貼らねばならないのであれば、私は迷いなくユェナ様に貼らせて頂きます”
世槞は、ううん、と悩み、頭痛を起こすまで考える。
「……複雑だ。でも、スルト……いや、朱槻ル哥に譲れないものがあるように、私にも譲れないものがある。悪いけど、ユェナには――」
死んでもらうか、と世槞は自分の中で非情なる決断を下す。如何に同情すべき生い立ちであろうが、過去の人間は過去に帰すが相応しい姿。
“まだ、迷いますか”
影は問う。主人は首を振る。
「すでに心は決まってる。それは、お前の話を聞いたからじゃない。紫遠は……ずっと昔に、私を護るって約束してくれてたみたい。どうしてか私は覚えてないんだけど、紫遠は、シャドウを引き渡してまで私を護ってくれてる。感謝してもしきれないよ。だから、次は私が紫遠を護るの。一緒に生きたい。そして、寄生型による被害も食い止める!」
これは欲張りな願いだろうか。影が揺れる。笑っているようだ。
“私は貴女様の下僕です。心配なさらずとも、名前は必ず思い出します。何故なら、私にこの名前をお与えくださったのは、他ならぬ、貴女なのですから”
世槞はポカンとする。
“意味がわからない、という顔ですね。ふふ、今はそれでいいのです。今は”
含みのある、妙に引っ掛かる言い方だ。だが、今はそんなことどうでもいい。作戦決行の正午まであと少し。世槞は再び弟の背に額を引っ付け、目を閉じた。
明らかな違いが起きたのは、その時から。閉じた視界には、いつも暗闇しかなかった。だが、影の言葉を聞いた直後の暗闇はぼんやりと暖かくて、自分に擦りよる巨大な獣のような姿が見えた気がした。
“この事態は、私の行動が招いたようなもの。我が闇炎の主人よ……感謝します。どうか、どうかあの双子を救ってあげてください……”
次に目を開けた時は、牢屋の前に白色の軍服を着た人間たちがずらりと並んでいた時だ。その中に、あのオカマ野郎はいない。いるのは世槞と同じ年頃の少年ばかりで、その中には友人の顔すらあった。
「七叉……」
弟の親友であり、組織の人間でもある相模七叉は石畳の床に手をついて謝る。
「ごめん。世槞と紫遠に、こんな仕打ち……」
「や、やめろよ七叉。これは必然だ。私が闇炎を司った時から、こうなる運命だったんだよ……七叉は悪くない」
七叉の背後から、雰囲気で年下とわかる少年が鍵を開けに前へ出る。
「お身体は大丈夫でしょうか、世槞さん」
「どうして私の名前……」
鍵を開けながら、少年は苦笑する。
「紫遠さんの双子のお姉さんでしょう? だからすぐにわかったんです」
「…………」
「僕は錬金を司るシャドウ・コンダクター、柊ゆうです。七叉さんの後輩です。よろしくお願い致します」
ぺこりと頭を下げられ、世槞は慌てる。組織には新良のような人間ばかりがいると思っていたので、少年の礼儀正しく優しげな姿に戸惑ったのだ。
「あ……よ、よろしく」
顔を上げ、柊はにっこりと微笑むがすぐに悲しみの表情に変わる。
「組織は、世界の均等を保つ為であるならば手段を選びません。均等の犠牲になるのは、いつだってシャドウ・コンダクターです。ですが、世槞さんと紫遠さんは組織の人間ではない。今回の作戦が無事完了すれば、元通りの生活に戻ることが可能です。それまで、頑張って生きてください。僕も協力致しますので」
「……ありがとう」
両方の扉の鍵が開錠され、世槞は牢屋から出るなり、地下牢への入口付近にいる男性を発見する。それは、紫遠を牢に閉じ込めた看守の1人であった。
「あ、お前!」
世槞は七叉の横をすり抜けて看守の元へ高速で接近し、胸倉を掴んで怒声を張り上げる。看守は突然の出来事に視線をキョロキョロと彷徨わせる。
「昨晩、扉を閉める時に捨て台詞吐いただろ。私の弟のこと――シスコン野郎だ、って」
「だ、だから何だっ……」
世槞は叫ぶ。
「その通りよ!!」
力に任せ、看守を床に叩きつける。看守はすぐさま反撃をしようと立ち上がるが、柊の制止により苦々しい表情で引き下がった。
「ごめん、柊くん」
「いいえ。お気になさらず」
世槞はすっきりしたように片腕を回し、しかしすぐに弟を心配して隣りの牢へ飛び入った。紫遠は頭を抑えながら立ち上がる。身体はフラフラとしていて、ひどく不安定だ。
「大丈夫!? 手を貸すわよ――」
紫遠は伸ばされた手を視界におさめるなり素早く掴み、自分の元へその身体を引き寄せる。
「えっ? ……お、おい」
全員の視線がある中、紫遠は構わず姉を抱き締めたのだ。
「昨晩は、この鉄格子が邪魔だったよね……」
「そんなこと言ってない! 放して、皆見てるっ」
「恥ずかしがる必要は無いよ。僕は看守くんが言う通り、シスコン野郎なんだから」
「お前なに言ってんだ? ……は! まさかフラついてたのは演技か!」
「……今更気付いたのかい」
「放せ!!」
両手を床についていた七叉は2人の友人のやり取りを唖然として見上げ、やがて笑い声をあげる。柊は口元を押さえ、顔を背けながらクスクスと笑っていた。
「シャドウを剥がされても、すぐに顕著な症状が現れるわけじゃないよ」
地下から人工の地上へと上がった時、紫遠は悪びれもせずに種明かしをした。
「でも、身体が冷たくて……」
「僕は体内に氷を宿らせている。だから、体温を通常や低温に設定することなど簡単」
「お……お前……わざと……」
またしても騙されていたようだ。顔を真っ赤にして怒る世槞の反応を楽しむように、紫遠は笑う。
「姉さん、僕を護ってくれるんでしょ? 一緒に生きたいんでしょ? その意思は、影から話を聞く前からすでに決めてたみたいじゃない」
「?! 昔話の時、起きてたのか!」
「一晩中抱き締めてくれててありがとう。看守を痛めつけてくれてありがとう。姉さんって、僕のこと結構大切に想ってくれてたんだね」
「――――っっ」
世槞は子供のように地団駄を踏み、知らず知らずのうちに燃え上がっていた闇炎が、近くの植木を燃やしていた。
「でも、シャドウが不在だと死ぬのは本当なんだから」
「はんっ、誰が死なせてやるもんですか。生きて、私からの仕返しを受けなさい!!」
「それは楽しみ」
ふふん、と笑う憎たらしい姿はいつもの紫遠だ。世槞は膨れながらもどこか安心しており、幾分落ち着いた心持ちで作戦に望めそうだと、人工の青空を見上げながら思った。
「ああ、そうそう。良い報告があるんだよ」
世槞は前を歩く七叉や柊、その他組織人たちに聞き取れないくらい小さな声で紫遠に耳打ちをする。
「なんだい」
「あと少しで、思い出せそう」
ふふ、と笑う姉の顔を見下ろし、紫遠はしばし考えるように押し黙ったあと、微笑んだ。