4節 お節介な言霊と牙を剥く鎖
「『停止』」
革命軍の誰もが勝利を確信する、その直前に響く声。
紫遠の腕の中でかたく目を閉じていた世槞は、ハッと空を見上げる。
雷鳴も革命軍の歓声も何も聞こえず、予告無く静かになった世界。紫遠は世槞の視線の先を追い、自らも空を見上げた。見上げた先には、眩い雷光の球。今にも自分たちを全て飲み込みそうだが、どうしてかそれ以上落ちてこない。
「停止の次はぁー……そうだなぁ、在るべき場所に『戻れ』かなっ」
死に瀕した状況に似つかわしくない、呑気に間延びした声。しかし驚くべきことに、呑気な声が指示した通り、雷は『停止』した後に雷雲の中へ『戻った』のだ。
「やぁ、危ないところだったねぇ、せっちゃん!」
雪山にポン、と軽やかに足音を響かせる笑顔の青年は、あの呑気な口調の持ち主だ。明るくいい加減な雰囲気は、この場において異質といえる。
「もっと早くに助けに来いってやつぅ? ダメだめー。正義の味方は遅れてやって来るんだからぁーっていう、お決まりのキメ台詞を言わせてよ!」
灰色の長い髪を三つ編みにして後ろへ流し、笑顔というよりはニヤニヤと得体の知れない笑いを浮かべ、そんな気味の悪い雰囲気とは真逆の服装――軍服を着用している。
「んー……でもさすがに遅すぎたかなぁ。重傷だぁ」
「朧!」
世槞は青年の名を呼ぶ。
「その服……テメェ、組織の人間か!」
雷が消失し、ル哥はまた邪魔が入ったと舌打ちをする。
「はいハーイ。大正解! ボクの名前は可ノ瀬朧。言霊が大得意のお節介なお兄さんだよぉ。よろしくねん」
可ノ瀬の口調はどこまでの呑気で、しかし革命軍を挑発しているようにも聞こえる。
「言霊……雷を止めたのは、その力かい」
はぁ、と溜め息を吐く紫遠を見て、可ノ瀬はニヤニヤとした笑いを更に深める。
「わぁおっ! 会えて嬉しいよぉぉー。せっちゃんの双子クンじゃないっ」
紫遠の顔を覗き込み、まじまじと見つめる。
「ホントそっくりだねぇー。今まで双子は何組か見たことあるけど、ここまで似てるのは珍しいよ。しかも性別が違うのにさぁー」
「…………」
「ねぇねぇ、名前は確か紫遠だよね。しおたんって呼んでもイイ? せっちゃんとしおたん」
「…………」
紫遠はあからさまに顔を歪め、世槞を見下ろす。
「あ……紫遠、大丈夫よ。朧は悪いヤツじゃないから……」
弟は、馴れ馴れしいタイプの人間が一番嫌いなことを承知している世槞は苦笑いを浮かべる。
「仲間がたった1人増えたところで形勢が逆転したと思うなよ。そのニヤケ男の能力が言霊と分かった以上、無駄口叩く暇も無いくらい高速で雷を落としてやる!」
雷神トールに次なる指示を出すル哥。可ノ瀬は上空に浮かぶ革命軍を見上げ、少しだけ声を低くして言う。
「じゃあサ、増えた仲間が1人だけじゃなかったら――キミはどうするつもりぃ?」
「なに……?」
ル哥は東の空を見る。西の空を覆う黒々とした革命軍とは違い、西の空は白い影で覆われていた。数はわからないが、それぞれが召喚したシャドウに跨がり、こちらへ向けて進軍する集団――組織の軍隊が白い影の正体だ。
“あちらも援軍を呼んだというわけか”
雷神トールの唸り声に可ノ瀬は「ブー」と不正解を表す擬音を口で表現する。
「正解は……組織の軍隊もボクも、偶然、ここに居合わせただけなのでしたッッ」
可ノ瀬は組織の軍隊を見上げ、少しだけ難しい表情を浮かべるが誰も気付いていない。
「大丈夫か、紫遠! 革命軍が出現したと報告が入ったから、急ぎ軍を動かしたんだが……ん? どうして世槞がここに」
白く輝くシャドウの手から雪山に飛び降りた相模七叉が、深手を負っている世槞の姿を見て首を傾ける。しかし世槞もそれは同じことで、どうしてこの場所に弟の親友がいるのか、そしてどうして組織の軍服を着用しているのか――しばらく思考が停止したように動かない。
「七叉……」
「世槞、もしかしてシャドウ……コンダクター……なのか?」
七叉は紫遠を見る。紫遠は「僕もついさっき知ったばかり」と返す。
お互いに信じられない――このやり取りはつい先程、紫遠とやり合ったばかりだ。世槞は次々と明かされる真実に、もはや驚くことさえ疲れたと言わんがばかりに両肩を落とす。
「あら。どうして氷のボウヤがここにいるのかしら? 相模の補佐をしろと命じたけど、戦えとまでは言ってないわよ」
人垣を掻き分けるようにして前へ出てくる長身の男性がいる。男性は紫遠と世槞を見比べ、「驚き」と呟く。
「ボウヤがもう1人いるわ……。なるほど、双子ね。まったく、なんの因果かしら……」
喋り方はまるで女性だが、外見上に女らしさは一切見受けられない。それどころか両腕両足に鎖を何重にも巻きつけ、物騒な様相をしている。
男性は再びチラリと世槞の姿を流し見た後、西の空に浮かぶ革命軍を威嚇する。
「革命軍よ、退きなさい。それとも、このまま開戦するかしら?」
片手を腰に当て、余裕たっぷりに言い放つ。それもそのはず。現在、月夜見市に召集された双方の軍隊の数を比べると、組織側が圧倒していたのだから。
「私はシャドウ・システム――ルィーゼ委員会の幹部、新良殺芽。鎖を司るシャドウ・コンダクターよ。現在、革命軍及び地獄の火刑人を始末する任に就いており、この迎撃軍の指揮を任されているわ」
新良の前に平伏し、崇めるように頭を垂れている女性は、足先にまで届く長い髪の毛が全て鎖に変容している。これは鎖の使い手、新良殺芽のシャドウ――アッチェルである。
「そこの青年」
新良は返事をしない革命軍に業を煮やし、可ノ瀬を指差す。
「えっ?? ボク?」
「名を可ノ瀬朧と言ったわね。ならば――月夜見市内にて闇炎の使い手の発見報告を上げたのは貴方ね」
闇炎の使い手。その言葉に七叉を始めとする組織の人間全てが新良を見る。
「それが……如何しましたか?」
可ノ瀬は、可ノ瀬らしからぬ口調になる。
「褒めてるのよ。よくやったわね、と。お陰で革命軍の動向を予測しやすかったし、ずっと探し続けていた闇炎の使い手も見つけられたし――」
新良は両手に巻き付けた鎖を鞭のように振るい、獲物を狙う。革命軍を攻撃をするものと誰もが思っていたが、鎖が噛み付いたものは赤い髪の少女だった。
「!!」
鎖は世槞の首や腹、両手足に至るまで巻き付き、身体の自由を奪い取る。
革命軍ではない者からの攻撃に、世槞は意味がわからないまま弟から引き離され、雪山を乱暴に引きずられる。
「姉さん?!」
世槞を助けようと立ち上がる紫遠もまた鎖に拘束され、ビル壁の磔となる。
「ごめんなさいね、悪気があるわけじゃないのよ」
新良がヒョイ、と両手の指を上下へ動かす動作をすると、鎖に拘束された世槞の身体は宙に吊り上げられ、そのまま固まって氷と化した雪の上へと叩きつけられた。
鈍い音がする。頭から落ちたことが悪かったのだろう。それきり世槞は意識を失い、糸の切れた操り人形のように動かなくなった。頭部から流れ出る赤い液体だけが、氷面をするすると滑る。
可ノ瀬はただジッと成り行きを見つめるだけで何も言わないが、その顔からはいつもの笑顔が消えている。
「はい、拘束完了。これで闇炎の使い手は我が組織の手中におさまったわ」
新良殺芽の感情の無い、非情なる判断。
「――……。……さ……姉さん……」
紫遠は何度も首を振り、鎖から解放されようと手足を闇雲に動かす。獅子型に噛み付かれた左半身からは血が吹き出し、雪を真っ赤に染める。
「無理よ、今のボウヤの力じゃ私の鎖は切れないわ」
新良は、以前紫遠と出会った時とはまるで違う姿に危機感を抱く。
「氷のボウヤ。今やこの少女は組織の重要なる道具……いえ、要なの。聞きたいこともいっぱいあるし……まだ貴男の元へ返すわけにはいかないわ。ま、無事に返せる保証も無いけど」
両の拳を震わせ、七叉は感情を押し殺しながら新良に問う。
「新良さん。……世槞をどうするつもりだ」
新良はフフンと笑い、自分が考えた絶対的な策を大声で張り上げる。
「聞きなさい。地獄の火刑人――ユェナ・デアブルクよ!」
「…………」
ル哥の後ろに隠れるようにして顔を覗かせるのは、青白い顔の女性。弱り果てた姿は、地獄の火刑人と呼ぶにはあまりにも痛々しい。
「取り引きをしましょう。今すぐに月夜見から退くならば、我々は攻撃をしない。代わりに、闇炎のシャドウを取り戻したいのならば、我々が指定する日時・場所に全軍を率いてきなさい。我々も現在と同じ数の軍と闇炎の少女を用意して待っています。そこでの戦いに勝利した方が、闇炎を手に入れる権限を得る――というのはどうかしら?」
新良殺芽が打ち出した策は、世槞を囮として革命軍全員を誘き出し、まとめて始末をするというものだった。魂胆が見え見えの条件に、革命軍が乗るわけがないと七叉が思った矢先、雷の使い手――朱槻ル哥が同意の意を示す。
「……わかった」
「スルト!」
ユェナの細く白い手がル哥の腕を掴む。ル哥は優しく微笑み、「大丈夫だから」とユェナの手に自らの手を重ねる。
「日取りが決まったら、俺たちにしかわからないような印でも出せ。しばらくは、日本国内に滞在しているから……」
「契約成立ね。では、今はお互いに退きましょう」
新良は雪山に刺さったままの紅蓮剣フィアンマに気付き、部下の1人に取りに行けと命じる。しかし、部下の指先が漆黒の剣に触れた瞬間、剣から溢れ出た紫色の炎が瞬く間に部下の身体を飲み込んだ。
「うっ……うわ……あああがががぁぁああぁ……っっ……」
闇炎は地獄の業火の如く灼熱で、獲物が死に至るまで決して離さない。部下の悲鳴が時間を追って小さくなる様子を、固唾を飲んで見守る。
闇炎が部下を吐き出す頃には、部下の身体はドロドロに溶けた人間の成れの果てと化していた。
「馬鹿か……。紅蓮剣は、闇炎を司る者以外の人間が触れると、強い拒絶反応を示すんだよ……それくらい、調べとけ」
身体の溶ける、なんともいえない臭いが上空にまで昇り、ル哥は顔をしかめながら言う。
「……厄介な属性だわ。アッチェル」
“はい”
アッチェルは気を失っている世槞の右腕を掴んでズルズルと引きずり、漆黒の剣を握らせる。アッチェルは警戒するが、紫色の炎が燃え上がることはなかった。そのまま身体を仰向けに寝かせ、剣を掴んだ右手を胸の上に固定した。
「貴方たち、闇炎の少女をヴェル・ド・シャトーへ連れて行きなさい。逃げないよう、地下牢に閉じ込めておくのよ」
新良は両手をパン、パンと払い、部下が世槞の身体から剣がずり落ちないよう慎重に担架に乗せて運ぶ姿を確認した後、七叉と紫遠に振り返る。
「これも革命軍を根絶やしにする為なのよ。500年間、待ち続けた絶好のチャンスなの」
たしなめるように言った。
「命令が下るまで、貴方たちも本部にて待機していなさい」
そして立ち去った。
「しおたん……」
革命軍も迎撃軍も退却した空は、白銀から本来の夕空へと戻る。雲間から差し込む西日が雪を溶かし、空中を漂う水蒸気が光を反射してキラキラと輝いていた。
可ノ瀬は頭を垂れたままの紫遠に呼び掛ける。
「……少年を封じる忌まわしき呪いよ、『解放』されよ」
紫遠を拘束していた鎖は、呪文のような言葉に指示されるまま粉々に砕け散る。紫遠は両膝を氷上に着き、前のめりに力無く倒れる。
“……紫……遠様”
主人の身体を抱き留め、氷閹は遠慮がちに名を呼ぶ。いつもの高圧的な態度は微塵にも感ぜられない。
「しおた……」
「その呼び名、止めてくれないかい? 虫唾が走る」
紫遠は氷閹の肩に額を押しつけたまま、ぴしゃんと言い放つ。
「姉さんのことも気安く呼ばないで。更にあだ名をつけるなんて、言語道断」
「……えーと」
顔は同じなのに、世槞とはあまりにも違う性格にさすがの可ノ瀬も少し呆気に取られる。
「なんて言えばいいのかな……ともかく、ごめんよ。闇炎の使い手について組織に報告なんて、するべきじゃなかったよね」
「……いや」
紫遠は少しだけ顔をあげてボソリと呟く。
「どちらにせよ姉さんは襲撃を受けていた。報告義務があることは僕も承知しているし、その中でも君は、あえて姉さんの名や外見的特徴を伏せて報告していた。……感謝、してるよ」
こうも素直にお礼を言われることは性に合わないらしく、可ノ瀬は笑っているのか困っているのか、よくわからない奇妙な表情を浮かべながら頭を掻いている。
「しおたん、キミはこれからどうするのぉ?」
懲りずに妙なあだ名で呼んでくる可ノ瀬に対し、紫遠は言い返すことすら疲れたらしく、なされるがままに放っておく。
「新良殺芽の指示通り、本部へ行くよ」
「それで?」
「姉さんを取り返す」
可ノ瀬はニヤニヤと笑い、普段の彼らしい表情に戻る。
「世界の為? 打倒組織の為? ……そんなこと知ったこっちゃない。組織も革命軍も、くだらないことに僕の姉さんを利用する姿勢が心底許せない」
「えっ。なんだかその発言、世界を敵に回しそうだね」
「だからなんだい。たとえ本当にそうなったとしても、怖くもなんともない。僕が唯一、怖れていることは――」