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 2節 急襲

「さ、儀式の始まりよ」

 合図の声。肉をぶすぶすと切り進む鈍い音に合わせ、葉山先生は意識を取り戻す。自分の腹を切り裂く刃、痛み、ぬるりと頭を出す我が子。

 理解が、出来ない――。

 ただ目を見開き、笑いながら鋏を操る少女を見下ろす。

「葉山先生ぇっ。貴女が、私の次なるお母さんですね」

 ぱっくりと裂かれた腹から取り出された赤子。もうすぐ生まれるはずだった娘。娘の頭に降り注ぐ珠里の鋭く尖った歯――。

 戸無瀬に悲鳴が響き渡る。世槞があげた悲鳴など、比べものにならないくらいの。

「あははははははは!!」

 笑い声をあげる珠里の口内からは、咀嚼した赤子の肉片が飛び出る。なんとも行儀の悪い食事の仕方だ。

「良いわぁ。悲鳴ってダイスキ。悲しみと絶望100パーセントなんて、素敵すぎる」

 珠里は頭の無くなった赤子の首の断面を葉山先生に見せつけながら、話を続ける。

「でも心配しないでぇ。この子は私の胃の中に収まることにより私の本体と融合し、再び貴女の子宮にて育まれる予定なの。貴女の赤ちゃんはちゃあんと生まれるわよ。クイーンとしてね!」

 葉山先生は黒眼の焦点が合っていない。

「……ちっ。つまらない。もう狂っちゃったの? 沓名悠子の方がまだ強い心を持ってたわね」

 珠里は腕を食いちぎり、フンと鼻を鳴らした。

(…………)

 心臓が止まったのではないかと思えるくらい、世槞の心音が静かになる。爆発しそうなほど煮えたぎった血液は氷のように冷たくなる。

 瞳からは、涙が流れる。

 これを止めたいが為に、必死に頑張ってきた。悲劇は沓名先生で終わりにしようと、繰り返してはいけないとかたく決めて。

(なのに……)

 助けてほしい。

 未だシャドウの名も分からぬようなコンダクターが、悲劇を止めるなどと豪語するなんて傲慢も良いところだ。

(でも、だからってどうすれば良かった? 組織には頼れない。仲間なんていない。所詮私には、どうすることも――出来なかったんだよ……)

 信じてくれたのは可ノ瀬朧だけ。そんな彼ですら、世槞に情報を提供するだけで精一杯だ。

“世槞様……”

 一番頼りになるはずの下僕は、表世界に出られないまま影の中で地団駄を踏む。

「よし、これで儀式の第一段階は終了ね。田崎、私の胃の中から赤ん坊を取り戻して」

 クイーンに従う寄生型の中から、珠里は田崎を指名する。

 儀式の第二段階。それは、クイーンの腹を割いて肉片となった赤ん坊を取り出し、葉山先生の子宮に戻すこと。この時点で先代のクイーンの器は朽ちることになる。

「ダメだ」

 低く、唸るように押し出される声。珠里は「んん?」と、頭を垂れたままの世槞を見下ろす。世槞は拘束されていた腕を振りほどき、口に押し込まれたタオルを抜き出していた。

「先生と……約束、したんだ」

「お母さんと? どんな約束かは知らないけど、それは果たせそうにないわね。だって、私の次なるお母さんは葉山陽子先……」

「お前を、珠里を殺す」

 珠里の声を遮り、鋭く放たれる約束。珠里は嘲り笑う。お前などに何が出来る。何も出来やしない。所詮、力を持たぬ第三者は――と。

 その時、珠里の目には胸から紫色の煙りをあげて背後へ倒れる沢渡の姿が映っていた。

「私は、第三者じゃないよ」

 珠里は「あっ」と声をあげた。そうだ、そうである。寄生型が占拠した希翁村からは、誰も逃れられるはずがなかった。逃れられるとするならば、それは、常人を遥かに凌ぐ身体能力を有した――。

 ぎゃあ、と声をあげて山下が倒れる。山下は腕を切り落とされていた。断面は、何故か溶けていた。強い硫酸をかけたような、そんな溶け方。

「……闇炎はな、普通の炎とは違うらしい。強い酸を含み、触れたものを燃やしながら溶かすんだ――」

 尚も頭を垂れながら世槞は言う。

 世槞の手足を拘束していたものはすでに消失している。紫色の炎によって溶かされたらしい。手には紫色の光を帯びた漆黒の剣を握るが、俯いている為にどんな表情をしているのかが分からない。――得体が知れない。

 迷ってなどいられなかった。珠里は、逃げた。次なる母体を、部下を、全て捨てて。

「逃げんのか。そうだよな、寄生型っていう形態を存続させる為には、女王だけは失っちゃいけないんだもんな」

 世槞はギロリと視線を上げた。

「……逃がさねぇわよ」

 その表情は、直前まで怯え、悲しんでいたか弱い少女とはまるで別人であった。吹っ切れたように清々しく、しかし強い憎悪を含んだ瞳。

“世槞様”

「ごめん、お前の名前はまだ思い出せないし、完全なる覚醒を果たせていない私は弱い。でも、多少の力を貸すことくらいは出来るんだろ――?」

“勿論です”

 手に握る漆黒の剣は、紫色の光をより強く発する。これは闇炎を司る者にしか扱えない剣――名称は紅蓮剣フィアンマである。

 世槞は口元だけでニヤリと笑い、叫ぶ。

「せっかく見つけたクイーン、逃がしてたまるか!!」

 高ぶる心に呼応するように足先から紫色の炎が燃え上がる。火柱の如く吹き出す闇炎に何体かの寄生型が巻き添えとなって溶ける。それを見て恐れおののき、赤髪の少女が進む道を開ける。本来ならば世槞を止めるのが部下の役目。しかし統率者を失った集団は、己の使命が霧がかかったように見え辛くなり、困惑していた。

 世槞は戸無瀬の敷地を出て、市街地へ入る。今は夕刻。街は帰宅する学生やサラリーマンたちで溢れていた。人ごみの中に悲鳴が巻き起こる。それはクイーンが逃げているからではない。物騒な剣を握った赤髪の少女が、脇目も振らずに走っているからである。警官の「止まれ!」の声に応じるわけなく、やむなしに発砲された銃弾は少女に命中せず、通り過がりの一般人の足を貫く。誤射。また別の悲鳴があがる。

 交差点に差し掛かかった時、世槞は目を見開き、額を抑える。

「どういうことだ……?」

 月夜見市の中心に位置する大きな交差点は、至る所で交通事故が発生し、怒声と悲鳴が入り乱れる阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。クイーンの姿は悲鳴の中に紛れ込み、わからなくなっている。キョロキョロと交差点を見渡していた世槞は、信号機が故障している事実に気がつく。こんな大きな交差点一帯の信号機が赤、黄、青の色を規則性無くまるで悪戯のように繰り返す。進んで良いのか駄目なのか、しかし止まっていては他の車に衝突されるという事態が随所で混乱を引き起こしている。

 信号機はビリビリと電流を帯びており、あれが故障の原因だろうとおおよその予想がつく。

(これもクイーンの仕業? でも、信号機に細工するような時間なんてあっただろうか……)

 だが、こんな混乱は全て飛び越えてしまえばよい話。世槞は地面を蹴り、車の屋根を足場にして交差点の向かい側へ渡ろうとした。――刹那、突然目の前に人間が現れた。いや、空から降ってきたのだ。

「見つけた」

「えっ……?」

 車の屋根を足場に着地したその少年は、驚き足を止める世槞に対し、電流を帯びた鞭を振り上げた。直撃こそフィアンマで防いだものの、凄まじい波動と放たれる電流が世槞の身体を遠く離れたビルへと吹き飛ばす。

「――――っっ」

 吹き飛ばされた身体はビルの壁を突き破り、中にいた人々を巻き添えにしながら反対側の道路へ飛び出る。

“世槞様! だ……大丈夫ですか?!”

「あ……あぐっ……」

 今まで受けたことのない衝撃を全身に感じ、地面に突っ伏したまま世槞は唸る。頭からはぬるりと生温い液体が流れ、地面を這う。幸い骨は折れていないようだ。動ける。しかし、ビルの壁を2回も突き破ったというのに、骨も無事なまま動けるこの身体が恐ろしかった。

(大丈夫っちゃ大丈夫よ、影。さすが……シャドウ・コンダクターだ……)

 シャドウ・コンダクターでなければ、最初の一撃で即死していただろう。ゆっくりと視線だけを動かす。同じく吹き飛ばされていたフィアンマが近くに転がっており、その更に向こう、攻撃の巻き添えになった数人のサラリーマンたちがすでに事切れていることを知り、震えた。

(私だけ……生きてる)

 口内に異物を感じる。咳をしてみたところ吐き出されたのは血であった。生きてはいるが、全身に受けたダメージは相当のものらしい。

「きゃぁああああ!!」

 代わりに悲鳴を上げたのは、世槞が吹き飛ばされる一連の様子を見ていた人々だ。突然の出来事に思考が停止していた彼らは、思い出したように悲鳴を上げる。それは連鎖的に続き、世槞に攻撃をくわえた少年から離れるように逃げ、車に乗っている人間は扉を開け放って飛び降り、逃げる人々の後を追う。

(あいつ……何者だ)

 少年の歳の頃は同じくらい。色素の薄い髪に、灰色の瞳。

(クイーンの仲間にあんなやつがいたのか?)

 これは計算違いどころか、殺される危険性がある。

 世槞は両腕を立て、身体を起こそうとするも左脇腹に突き刺さっていたビルの瓦礫に気付いて下唇を噛んだ。

「やっと見つけたぞ、闇炎の簒奪者が!」

“!”

 電流の流れる鞭を振り回しながら、声を張り上げる。少年はひどく怒っていた。何に怒っているのかなんて世槞にはわからない。ただ、尋常ならざる殺気に背筋がゾクリとした。

“世槞様、お逃げください。あの者と戦ってはなりません”

 世槞は脇腹に突き刺さっていたビルの瓦礫を強引に引き抜き、血が流れていることも厭わずに剣を掴み、立ち上がる。

「その剣に触るな! 紛い物のシャドウ・コンダクターが手にしてよい代物じゃねぇんだぞ!」

 例の電流がほとばしる。世槞はビルの壁を蹴り上げ、隣りのビルの屋上へと飛び上がる。普通では有り得ない跳躍力だ。

「げほっ……畜生。なんなんだよ、あいつ……」

 今は、他の敵を相手にしている暇など無いというのに。世槞はクイーンが逃げた方向を見失い、舌打ちをする。

「おい、よそ見してんじゃねぇ!」

 下から飛び上がってきた少年の目と、屋上の端にいた世槞の目が衝突する。

「!」

 世槞は後方へ飛び退くが、そこには別の人間が待ち構えていた。中世ヨーロッパ時代の騎士のような鎧を着用しており、一見、変人のコスプレかと思われたが鞘に仕込まれた大剣を目視した途端、世槞は「きゃあ」と、らしくない甲高い悲鳴をあげた。

 きらりと煌めく刃が喉元から数ミリの距離をすり抜ける。咄嗟に地面に手をつき、両足を回転させて騎士の顔を蹴り飛ばす。ガシャン、と鎧を纏った身体が倒れ込む音のしばらくあと、ゴロン、と兜を被った頭が重く転がる音がした。世槞はひゅう、と息を飲み、とりあえずの難を逃れたことに安堵をして両手を地面から離す。

「ばぁか、革命軍の一騎士なんざがテメェを斬れるとは思ってねぇよ」

 立ち上がろうとして中腰になっていた時、耳のすぐ近くで感じ取れてしまった息遣い。

(あ……)

 脳天より落下した雷が血流に侵入し、全身を巡る。血の中で小さな爆発が幾多も発生し、頭の中が真っ白になる。

 己の手から離れたフィアンマは、カラン、と乾いた音を立てて屋上から落ちる。

(ああ……)

 足に力が入らず、ぺたんと座り込む。ぐったりと垂れる頭、両手。激しい痺れ。指一本すら自分の意思では動かせない。

 どうしてこんなことに。クイーンを追わないといけないのに、突如現れた少年に覚えのない恨みをぶつけられ、手痛い攻撃を仕掛けられ。

「あー、やっぱあの程度の電流じゃ死なねぇか。普通の人間ならば、即死してるところだが。こいつは腐ってもシャドウ・コンダクターってわけなんだなァ」

 ビリビリ、と電流がほとばしる音が聞こえる。少年はそれを最後の一撃として世槞を仕留めるつもりである。世槞はただ、頭を深く垂れたまま「どうして」。それだけを心の中で繰り返していた。

「1つ、聞きたい。闇炎のシャドウは、ユェナから奪ったのか? それとも、誰かから受け取ったのか?」

 少年からの問い掛け。意味のわからない世槞には首を振ることしか出来ない。

「俺はな、許せねぇんだよ。ユェナを利用した野郎が。絶対に殺してやる」

 殺気の対象は世槞だ。身に覚えのない恨みに戸惑うものの、なんと弁明してよいのかわからない。

「テメェが死ねば、闇炎のシャドウはユェナに戻るだろう。お前が闇炎を奪ったならば、ここで始末して終わりだ。だが、もし誰かから受け取ったならば、俺はそいつを追い詰め、やっぱり殺す」

(闇炎を奪う? 受け取る? 違う。私は生まれながらに闇炎を司ってる……はず……)

「闇炎の玉座から引きずり落とさせてもらうぞ。本来、そこに座すはユェナ・デアブルクなんだからな」

(誰、それ)

 しかし、名を聞いた世槞の影が一瞬だけ揺れる。まるで突然、背後から肩を触られてビクリと身体を震わすような、そんな動作。

「残念だが紛い物のお前は、消え去るのが運命だ」

(紛い物……私が?)

「ああ、やっとこれでユェナが救える……」

 世槞は諦めたのか気を失ったのか、目を閉じ、頭を垂れたまま一言も発しない。血に濡れた赤い髪が、不吉な色味を帯びていた。

「それにしても、お前のその顔……どこかで」

 少年が世槞の風貌についてある疑問を抱いた直後――冷たい風が世槞の頬を撫でた。それは儚げで、それでいて優しい淡雪。

「……テメェは……っ!」

 暗闇で聞こえる、少年の驚愕と焦りに満ちた声。事態が急変したようだ。覚悟していた電流は落とされず、世槞が恐る恐る目を開けると、そこには、冷たい風にそよぐ赤い髪があった。――自分と同じの。

 放たれたはずの電流は、世槞に届かないまま氷の壁と衝突して粉々に砕け散っている。

(…………??)

 空を舞う氷の粒子は赤みを帯びた夕陽に照らされ、キラキラと輝いている。――美しい。世界が輝く様は、まさに希望の象徴だ。世槞はぼんやりと輝く世界を眺め、その中に立つ赤髪の少年へと視線を落とす。

 赤髪の少年は唇をギュッと一文字に結び、僅かに震えていた。恐怖でも悲しみでもない――怒り。

「……君」

 透き通るような、中性的で綺麗な声。しかし聞き慣れたその声は、普段よりもワントーン低くなっていた。

「もう迷う理由は無くなったよ。雷の使い手――覚悟は出来てるんだろうね?!」

 赤髪の少年は珍しく声を荒げていた。

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