1節 希翁村での出来事
戸無瀬高等学校は、気味が悪くなるほど静かであった。風の音や鳥の鳴き声すら聞こえない無音の世界に聳え立つ校舎は、招かれざる者の侵入を拒む。今年の春に入学してから毎日通っている場所だが、足が知らず知らずのうちに竦んでいる。
“どうやら、可ノ瀬の調査結果は正しかったようです”
寄生型のクイーンは、3つの条件を満たした女性の腹に宿る。
1、臨月であること。
2、赤子の性別が女であること。
3、巣に適した人口密度があること。
月詩総合病院に勤めていた鮎河聡美に寄生しつつ次なる母体を探していた寄生型は、産婦人科に緊急受診に来た葉山陽子をターゲットとした。調べてみればみるほど、葉山陽子は母体として優れていた。
沓名悠子の場合は、希翁村という小さな村そのものが巣になったが、この大都市において葉山陽子の場合の巣は――戸無瀬高等学校。
……そんな調査結果を朧から受けた世槞は、調査の為に出向いていた月詩市から、急ぎ月夜見市の戸無瀬高等学校へ戻ってきていた。
世槞は竦む足を引きずり、戸無瀬の敷地内に入る。今は午後の授業が終わったばかり時間帯だが、教師や生徒の数が異様に少ない。窓から確認できる限り、各教室には生徒が3、4名しかおらず、誰もが人の少ない事実にポカンとしている。
(皆、どこ行った……?)
まさか、クイーンの餌にでもされたのだろうか。
ドク、ドク、と心音が煩い。
自分の呼吸が聞こえない。足音が聞こえない。心音だけが体内で鳴り響き、見慣れたはずの知らない学校に迷い込む。
ドク、ドク。煩い心音は接近する足音と気配を打ち消していた。
“世槞様!”
背後からの攻撃。世槞は素早く身を翻して攻撃を避け、相手の胸に手を当てて闇炎を放つ。
「あぐっ…………な、にするんだよ……梨椎……さん」
闇炎はスッと溶け込むように体内に侵入し、心臓を焼いた。しかし世槞は、今し方、自分が殺した相手を見て驚愕する。
「ま、真壁……くん」
胸からぷすぷすと煙を上げながら死んでいるのは、同じクラスの真壁だ。――友達を殺してしまった。頭の中が真っ白になる直前、影が慌てて説明を投げ入れる。
“これは寄生型に寄生された影人です! その証拠に、口内の奥をご覧下さい”
影に指示されるまま真壁の口を開き、喉の奥を見る。そこには、真壁の体内に潜む異形の生物の顔が。
「寄生……型。寄生……されてる!!」
悪夢が走馬灯のように鮮やかに蘇る。
希翁村に滞在して3週間が経過した頃、世槞は森の奥で不自然な死体を発見する。身元がわからないほどに食い散らかされたボロボロの身体は、骨だけになった手首に巻かれた緑色のブレスレットを手かがりに、その死体が村長の娘であることが判明する。
娘が喰われた。村は騒然となる。当初、肉食獣の仕業であると考えられ、村の男たちはこぞって獣狩りに出掛けた。しかし何も得られず、無念の帰宅をしたかと思われたが、その時はまだ誰も気付いていなかった。出掛けた男たち――全てが、体内にもう1つの生命体を宿して帰宅したことを。
その日の夜から、女や子供、老人たちが次々と食べられ始めた。食べているのは、狩りに出掛けた男たちである。屈強な男たちを前に抵抗など適わず、恐怖に顔を歪めながら喰われてゆく人々。外の異変に気付いた世槞は沓名悠子と共に村から脱出する為に診療所へ走る。臨月を迎えていた沓名悠子はいつ陣痛が起きても対処出来るように、村の小さな診療所に入院していたのだ。
「先生!」
沓名悠子の病室へ飛び入った世槞が見たものは、静かに眠る沓名悠子の隣りに佇む、見知らぬ女。――寄生型、先代クイーン。名は分からない。
「あら、ごめんなさい。もう手遅れなのよ」
嘲笑うように世槞を見下ろす女の両隣には、いつの間にか村の男2人が控えていた。男たちは目にも止まらぬ速さで世槞を捕まえる。喰われる! ――と歯を食いしばるが、喰われることよりも残酷な仕打ちが待ち構えていた。
その悪夢が、繰り返される。
「見つけたっ」
心の奥底からの、無邪気な笑い声。悪意の塊。呪われた目覚め。この声を、世槞はよく知っている。
――うわぁああああああっ……!!
耳を擘く悲鳴は自分のものだ。鼓膜が破れてもいい、失明してもいい。もう何も聞きたくない、見たくない。しかし口の中にタオルを詰め込まれ、声を出せなくなる。失われることのなかった聴覚と視覚は、容赦なく悪夢を叩きつける。
両手両足を拘束され、連れ出された場所は裏庭。軽い足取りで歩く少女に付き従うのは、戸無瀬の制服を着た2人の男子生徒。名前は沢渡と山下。共に同じ学年だ。この2人は寄生型として、少女の下僕になってしまったようだ。いや、2人だけではない。あらゆる方向から視線を感じる。至る所に転がる、食い散らかされた死体。逃げ惑う人、追う人。そのどれもが見知った顔だ。
「貴女、お母さんの元教え子でしょ?」
少女は木の前で立ち止まるとこちらを振り返り、にっこりと笑った。
「あ、“お母さん”っていうのは、この“器”のね。つまり、今の器――沓名珠里の母親、沓名悠子の」
少女の外見年齢は、つい3週間前に生まれたばかりにしては成長が早く、世槞と同じか少し上に見える。その正体は、世槞があの日からずっと追い続けていた悪夢の元凶。――寄生型のクイーン。又の名を、沓名珠里。
先代クイーンに食され、沓名悠子の腹で育まれた影人。
「女王は短命だけど、それはあくまで器のね。器に寄生する本体は、ずっと同じなのよ」
少女の外見は、若い頃の沓名悠子に似ていた。写真でしか見たことがないが、少女が沓名悠子の娘であることが悲しいほどに理解出来る。
「私が宿る肉体は、何故か朽ちやすいのよ。だから頻繁に取り替えないといけないの。面倒よねー。ま、これも私たちの形態を存続させる為に必要なことだけど」
少女は木に吊された女性――葉山陽子を指差し、再び無邪気に笑う。
「で、次の器はこの人の胎内にある」
葉山陽子は気を失っているのか、ぐったりとして動かない。膨れ上がったお腹だけが目立つ。少女は寄生型となった田崎先生から木の枝を切り落とす時に使用する大きな鋏を受け取り、葉山先生のお腹にあてがう。
(……!!)
やめろ、と叫んだつもりだった。声はタオルの中に虚しく消え、言葉にならない呻き声になる。
「貴女にはまた見物人になってもらうわよ。発狂しちゃうまで、止めてあげないから」
鋏は、葉山先生のお腹にぶすりと突き刺さる。
「さ、儀式の始まりよ」