第三十話 深層への挑戦
交渉が本格化するまでには、まだ少し時間があった。その間、俺とレイアは、依頼をこなしていた。
この日は、第九層への挑戦だった。
これまでの最高記録は第八層。九層に入れば、また記録の更新になる。メンバーは、レイア、俺、コルト、シナの四人だった。
八層までは、順調だった。俺がいることで、三人の動きが噛み合い、想定より早く進めた。
九層の入り口で、レイアが一度立ち止まった。
「ここから先は、誰も入ったことがない」
「大丈夫ですか」
「あなたがいれば、いける」
その言葉に、俺は頷いた。
九層は、空気が重かった。魔力の密度が高く、圧迫感がある。俺でも、少し息が詰まる感覚があった。
「重いですね」
「そうだ。九層は魔力環境が特殊で、術師はここで本来の六割程度しか発揮できないと言われている」
「俺がいても、ですか」
「今日、分かる」
九層に入った。
最初の遭遇は、大型の土属性の魔物だった。岩のような甲殻、鈍いが攻撃力が高い。レイアが正面から槍を構え、コルトが側面から入る。シナが後方から強化術を展開した。
戦闘は、二十分かかった。
終わった後、コルトが荒い息をついた。
「きついですが、動けます。六割感は、全くないです」
「確認できた」とレイアが言った。「九層での制限が、アインで補われている」
さらに進んだ。
九層の深部で、過去の記録で確認されていた、最大の魔物と遭遇した。四つ足、飛行能力あり、炎を吐く。一人では対処困難な相手だ。
戦闘が始まった。
俺は、後壁まで下がった。見ていた。三人の動きを見ていた。
レイアが跳ぶ。炎を槍で逸らす。コルトが下から斬り込む。シナの回復が的確に入る。
三十五分の戦闘の末、魔物が倒れた。
全員が、無傷だった。
コルトが「やった」と声を上げた。シナが記録用の石板に書き込んだ。
「第九層突破、記録更新です、レイア様」
「アインのおかげだ」
レイアが、俺を見た。
「よくやった」
「俺は、何も」
「それが、何度目だ」
「……でも、本当に」
「本当に、そこにいてくれた。それが全てだ」
◇
帰路、九層から地上に向かう登り道で、俺は少しずつ、足が重くなってきた。
戦闘に参加していないのに、疲れていた。九層の魔力環境が、体に堪えたのかもしれない。
八層の出口を過ぎたあたりで、足がもつれた。
レイアが、横にいた。
「大丈夫か」
「大丈夫です。でも、少し」
「無理に歩くな」
「でも、ここで止まるわけには」
「少し休む」
壁に手をついて、少し呼吸を整えた。コルトとシナが先に行った。
二人になった。
「……もたれかかっていいですか」
俺は、言った。言ってから、言いすぎたかと思った。でも、口から出てしまっていた。
レイアが、少しの間、無言だった。
それから、肩を差し出した。
何も言わなかった。ただ、肩がそこにあった。
俺が少しだけ、そこに頭を預けた。
一分ほど、そうしていた。
レイアの肩は、思ったより、細かった。でも、温かかった。
「……ありがとうございます」
「重くない」
「それは、聞いていないですが」
「言いたかった」
短い会話だった。でも、それだけで、十分すぎるほどだった。
俺は、体を起こした。
「行けます」
「急がなくていい」
「大丈夫です。もう」
歩き始めた。
地上に出ると、夕暮れだった。
レイアが、俺と並んで歩きながら、前を向いたまま、小さく言った。
「……次は、第十層だ」
「一緒に行きますか」
「お前がいれば、行ける」
俺は、その言葉を、ただ受け取った。
胸の中で、何かが温かくなった。
お前がいれば、行ける。
その言葉を、レイアは、もう何度も言ってくれている。
でも、何度言われても、嬉しかった。
俺がいれば、いける。俺がいることに、意味がある。
三年間、一度も感じられなかった、その実感を。
この人が、いつも、くれる。
もたれかかった肩の温かさが、まだ残っていた。
俺は、その温かさを、忘れないでおこうと思った。
いつか、この気持ちを、ちゃんと言葉にする日まで。




