第一話 役立たずのエンチャンター
「なあアイン、お前のそれ、本当に効いてんのか?」
朝一番、準備室に入ってきたエランがそう言った。もう何百回聞いたか分からない台詞だった。
俺は装備に手をかざしたまま顔を上げる。エラン・クロウ。パーティ「鉄の牙」のリーダーで、剣士。背が高くて顔も整っていて、声も大きい。冒険者に必要なものを一通り持っている男だ。持っていないのは、他人への敬意くらいだった。
「かけてます。ちゃんと」
「かけてますって言うけどさ、光るわけでもないし音が鳴るわけでもないし、正直こっちは何の実感もないわけよ。俺、たまに思うんだよね。お前のエンチャントって、本当は何もしてないんじゃないかって」
エランは笑いながら言った。悪意があるというより、本気でそう思っているという顔だった。そのほうが、たちが悪い。
「効果が目に見えないだけで――」
「はいはい、それはもう聞き飽きた」
エランは俺の言葉を最後まで聞かずに、剣を腰に差した。奥では他のメンバーが荷物をまとめている。今日は近郊の森でオーク退治の依頼らしい。
「まあ、いてくれるだけでいいからさ。今日も荷物番よろしく。俺たちは俺たちで、ちゃんと成果出してくるから」
そう言い残して、四人は準備室を出ていった。扉の向こうから笑い声が聞こえて、それも遠ざかっていく。
俺は一人、準備室に残された。
荷物番。それが今日の俺の仕事だった。というより、この三年間、ずっとそうだった。
◇
俺の名前はアイン。姓はない。東部の小さな村の出身で、十七のときに村の長老に「お前には魔法の素養がある」と言われて、王都ガルディアの冒険者ギルドにやってきた。
素養の種類はエンチャント。付与魔法だ。
村を出るとき、俺は正直、期待していた。付与魔法師は珍しいと聞いていたし、ギルドの受付でも「それは重宝されますよ」と言われた。パーティへの斡旋もすぐに決まった。それが「鉄の牙」だった。
でも、一ヶ月もしないうちに気づいた。
俺のエンチャントは、効果が目に見えない。
炎の魔法は炎が出る。回復魔法は傷がふさがる。剣に魔力を乗せる強化魔法だって、うっすらとは光る。だけど付与魔法は、何も見えない。俺が手をかざして、指先から何かがすうっと流れていく感覚があるだけで、外からは何が起きているのか分からない。
しかも、ギルドの測定器では俺の付与の効果が測れなかった。付与魔法専用の測定器は王都の専門機関にしかなくて、C級の補助員ごときに測定を頼む金なんて、誰も出してくれない。
だから俺のエンチャントは、三年間ずっと「効果不明」のまま放置されていた。
効果があるかどうか分からないものに、誰も価値を見出さない。当然のことだった。俺は補助員から荷物番に格下げされて、パーティが依頼に出ているあいだ、ギルドで在庫の管理をするだけの存在になった。
それでも俺は、毎朝エンチャントをかけ続けた。
効いているのかどうか、自分でも分からなかった。でも、やめる理由もなかった。もしかしたら効いているかもしれない。そう思って続けていた。
馬鹿みたいな話だと、自分でも思う。
◇
昼過ぎ、ギルドの正面が少し騒がしくなった。
準備室の扉の隙間からのぞくと、受付のあたりに人だかりができている。見慣れない一行が来ていた。護衛らしき男が二人、使用人風の女が一人。そして、その真ん中に、一人の女が立っていた。
背が高い。長い銀髪を後ろで束ねていて、旅装なのに生地が明らかに上等だった。腰に槍を提げているが、その細身の体には不釣り合いなほど大きな得物だ。顔立ちは整っているけれど、笑顔はない。受付の職員が、明らかに緊張した様子で応対していた。
どこかの貴族か、あるいは名のある冒険者か。とにかく、俺なんかとは住む世界が違う人間だということは、遠目にも分かった。
その女が、書類を受付に渡して、踵を返そうとした。
その瞬間、女がふとこちらを見た。
正確には、俺がのぞいている準備室の扉のあたりを見た。
俺は反射的に、扉の隙間から身を引いた。心臓が跳ねた。目が合った、気がした。でも、そんなはずはない。この距離で、しかも扉の隙間からのぞいている俺に、向こうが気づくわけがない。
気のせいだ。俺はそう結論づけて、また在庫の帳簿に目を戻した。
あの女が誰なのか、どうしてこちらを見た気がしたのか。そんなことを気にする資格は、俺にはなかった。俺はただの荷物番で、あの女は雲の上の人間だ。それだけの話だった。
――そのはずだった。
◇
夕方、パーティが依頼から戻ってきた。
「いやー、今日も完璧だったわ」
エランが上機嫌で報告書を書いている。オーク退治は無事成功したらしい。しかも、想定より数が多かったのに、誰も怪我をしなかったという。
「最近さ、マジで調子いいんだよな、俺」
エランが仲間に向かって言った。
「オークの動きが全部読める感じっていうか。前はもっと苦労してた気がするんだけど、最近は体が勝手に動くんだよ。これがベテランってやつかな」
「エランさん、ほんと最近強くなりましたよね」
「だろ? やっぱ才能って、あるところにはあるんだよ」
俺は後片付けをしながら、その会話を聞いていた。
最近調子がいい。体が勝手に動く。前より苦労しなくなった。
――それ、いつからだ?
ふと、そんなことを思った。でも、すぐに考えるのをやめた。俺のエンチャントは効果不明だ。それは三年間、変わらない事実だ。俺のおかげで彼らが強くなっているなんて、そんな都合のいいことがあるはずがない。
もしそうだったら、三年間のうちに、誰か一人くらいは気づいてくれたはずだから。
「アイン、報告書の控え、棚にしまっといて」
「はい」
俺はエランから書類を受け取って、棚にしまった。それが今日の最後の仕事だった。
誰も俺に礼を言わなかった。それも、いつものことだった。
◇
その夜、ギルドの宿舎に戻った俺は、窓の外をぼんやり眺めていた。
王都の夜は明るい。街灯の列がずっと遠くまで続いていて、どこかから酒場の笑い声が聞こえてくる。みんな、それぞれの一日を終えて、それぞれの場所に帰っていく。
俺は、どこに帰るんだろう。
この宿舎は、パーティに所属しているあいだだけ使わせてもらえる部屋だ。俺の部屋じゃない。俺の居場所は、この王都のどこにもない気がした。
考えても仕方のないことだった。俺はそう自分に言い聞かせて、目を閉じた。
明日も、同じ一日が始まる。裏口から入って、軋む扉の音を聞いて、エンチャントをかけて、荷物番をする。それだけの一日が。
それでいい。それ以上を望むから、辛くなる。
三年間そうやって自分をなだめてきたように、俺はその夜も、同じ言葉で自分をなだめて眠りについた。
◇
その頃。
王都の高級宿の一室で、銀髪の女が窓を開けて夜風を入れていた。
レイア・ヴォルドハルトは、手にした報告書に目を落としながら、昼間のことを思い返していた。今日、条約交渉の合間にギルドへ寄った。ただの事務手続きのはずだった。
なのに、あのギルドの奥――準備室のあたりから、妙な感覚がした。
魔力の流れ、とでも言えばいいのだろうか。そこだけ、空気の質が違った。川の本流が静かに流れているような、確かな何かが、あの場所から広がっていた。
思わず視線を向けたが、そこには扉があるだけで、中は見えなかった。
気のせいかもしれない。レイアは報告書を閉じた。あと数日で交渉が終われば、自分は隣国へ帰る。この国のことも、あのギルドのことも、もう関わることはないだろう。
――それでも。
あの感覚が、なぜか頭の隅に引っかかって離れなかった。
レイアは窓を閉めて、灯りを消した。
明日、もう一度あのギルドに寄ってみよう。そう思いながら、目を閉じた。




