第九話 優しい神獣様
(タヌキって意外と可愛いですよね)
(Side ポーラ=カルム=プロシュヴェリテ)
その知らせが届いたのはあまりに突然のことだった。
森の異変を調査するために、調査隊が結成されること自体は元より知っていた。
私もカルムの纏め役として会議に参加し、危険とは知りつつも彼らを送り出したからだ。
「……すまない……すまない、俺がいながら、ぐぅっ」
誰よりも酷い怪我を負いながら、二人の犬人を抱えた義弟、ゴードンさんはそう呻き、気を失った。
抱えられていた一人は辛そうに息を繰り返し、もう一人は呼吸すら止まっているのにどこか安らかな表情をしていた。
「あなた……なの?」
体毛は血に濡れ、顔も体も傷がない場所を探す方が難しいほど痛々しい傷が溢れ、最初は誰かも分からなかった。
けれど、耳に着けた夫婦の証『星の耳飾り』だけはどれだけ信じたくなくても、その犬人が夫、ゴドウィンであることを告げていた。
周囲の制止を振り切って何度も何度も何度も《治癒術》を行使し、空回る術の感覚だけが脳にこびり付いた。
『……ポーラ、もう止すんだ。酷なことを言うけれど、ゴドウィンが命がけで救ってくれた皆の命を、ポーラの力でどうにか助けてはくれないかな?』
陽だまりのような暖かいリル様の手が私の手を包み、涙ながらに頭を下げて私に告げる。
周囲を見渡せば、カルムの皆がなりふり構わず走り回り、一人でも多くの人を救おうとしていた。
ここは既に戦場であり、私以外の全員がその役目をきちんと果たしていた。
「……はいっ、申し訳ありません。今すぐ治療を行います」
心はズキズキと痛むのに、不思議と涙はでなかった。
今は一つでも多くの命を救わねばならなかった。
*****
それから先のことは正直あまり覚えていない。
精神力を回復させる精霊薬を服用し過ぎて何度も気絶した上、起きて直ぐに精神力が擦り切れるまで酷使したからかもしれない。
しかしその甲斐はあって、夫含め既に亡くなっていた三名以外は全員救うことができた。
現状、まだまだ油断はできないが、ほとんどの患者の容態は安定していた。
リル様やカルムの皆からは休んでいいと言われていたが、その提案を拒否して私は働き続けていた。
『カルムの誇りだ』などと褒めてくれる人もいたが、私はそんな高尚な人間ではない。
ただただ、何かをしていたい、そんな気分だったのだ。
そうして一心不乱に動き回っていると、ゴードンさんがとある一匹の魔物を連れて治療院に現れた。
「ぷぃ!」
その魔物は私目掛けて一直線で走って来たかと思うと、可愛らしい鳴き声をあげた。
下手に暴れられると命に関わる患者もいるため、少しばかり私は焦りを感じたが、その魔物の瞳はどこかリル様に似ており、すぐに私を安心させた。
『ポーラ、一番重症の患者はどこだってデントさんが』
『り、リル様、デントさんというのは、この魔物ですか?』
『ん? ああ、そうだった、分かんないよね。こちらオーヴィーズの神獣のデントさん、なぜか皆とはお話はできないけど、凄い治癒技能を使えるんだ』
『し、神獣様でしたかっ』
まん丸としてて可愛いななどと考えていた不敬な自分を心の中で罰し、私は態度を改める。
同時に、神獣様であれば問題ないかと、脚や腕に大きな傷を負った患者達の目の前へと連れて行った。
そして、神獣のデント様が治療を始めた瞬間、私はそのあまりに異質な光景に目を疑った。
カルムとして働き始めて十数年、天才だなんだと褒めそやされ、カルムの長にまでなってしまったが、デント様の《治癒術》は私の《治癒術》とは何もかもが違った。
私達が何人集まろうとデント様一人の《治癒術》には到底及ばない。治る、という結果は同じでもその過程や患者への負荷、治療速度が根本から違っているのだ。
「カルムの皆さんっ、今すぐに集合してください! 気絶している者は叩き起こしてくださいっ」
『ぽ、ポーラ? どうかしたの?』
『リル様、不敬ながらお願いがございます。デント様が何を考えて、どのように技能をお使いになっているのか、一言一句違わずお聞きしては貰えないでしょうか?』
『べ、別にいいけど、そんなに凄いのかいデントさんは?』
『凄い、などという言葉で片付けていい次元ではありません……これは私達の到達点です』
私が大声を出してもデント様は変わらず、真摯に患者に向き合って恐ろしい集中力とスピードで患部を治療していた。
ほんの少しでも見逃してはならない、私の全神経がそう告げていた。
*****
デント様が《治癒術》の概念をひっくり返した歴史的一日を越え、私は一つの大きな問題を抱えていた。
「や、やることがない?」
「はい、デント様のお陰で患者の治療は完全に終わりましたから。というか大人しく寝てくださいよ、ポーラさん」
「一人くらい患者が残っていたりしませんか、何かしてないとどうにも落ち着かなくて」
「ポーラさんも見たでしょう、デント様が最後の一人に至るまで癒し続けたあの勇姿を。とにかく寝てください」
「え、ええ」
顔は可愛らしいのに態度は冷たい鬼の副長、ポコさんに追い出され、私は渋々治療院を後にした。
その後、家に帰るでもなくブラブラと街を歩いていると、偶然、リル様が猫人の神獣ベル様を連れてどこかに行こうとしているのに出くわした。
『リル様、こんな朝早くからどちらに?』
『やあ、ポーラ……ってその顔まだ眠れてないのかい?』
『わ、私のことは良いのです、それでどちらに?』
『…………僕達は今からちょっと偵察に行くところだよ』
『偵察、ですか?』
何か言いた気なリル様を押し切って、詳しくお話を伺うと調査隊の報告にあった『謎の霧』をベル様と共に調べに行くのだそう。
調査隊の一件があったばかりで、どうしようもないほど不安になったが、ベル様が力強く『私が居るから大丈夫、安心していい』と仰ってくれて、なんとか気持ちは落ち着いた。
『あれ、デント様はご一緒ではないのですか?』
『色々事情があってね、今回はベル姉ちゃんだけだよ』
『ん、デントは疲れて寝てる。それに弱いから置いてきた』
『……折角ぼかしたのに、師匠が泣いちゃうよ?』
『いい、デントは泣いてるくらいが可愛げがある……ポーラさん、デントが起きたら絶対変なこと言い出すから見張っててほしい。デントは飛び切りのおバカだから気をつけて。ムカついたら殴ってもいい』
ベル様の明け透けな物言いに、随分仲が良いんだろうなと微笑ましい気持ちになりながら、私は降って湧いた役目に内心喜んでいた。
『いや…』
『はいっ、承知しました。その大役しっかり果たしますっ』
リル様が心配気にこちらを見つめていたが、私は気付かない振りをして走り去る。
何かしていたかったし、何より昨日のお礼をデント様にお伝えしたかったのだ。
私はデント様が居るであろうリル様のお家へと駆けだし、護衛の騎士達に挨拶をしてから、デント様が眠っている寝室の扉の横に静かに陣取った。
デント様は余程お疲れになっていたのか、数時間待っても眠ったままだった。
「(あれだけの精霊薬を服用したのですから、当然と言えば当然ですが)」
そう心の中で零し、昨日のデント様を思い出す。
あれだけの卓越した知慧を持っていながら、デント様は私達の半分程度の精神力しかお持ちでないようだった。
そのため何回も精神力が切れそうになり、その度に精霊薬を飲んでいたが、一度として気絶することなく、全ての治療を完遂していた。
精霊薬は、魔物の魔結晶を砕いて水に溶かし、煮詰めに煮詰めただけの酷く雑な作りの薬だ。
味もさることながらその副作用が尋常ではない。
連続で使えば使うだけ、脳を直接殴打されるなんて表現すら生易しいくらいの激痛が襲ってくるのだ。
「(私が耐えられるのが精々五回……それをデント様は一体何度繰り返していたのでしょうか)」
神獣様であることは恐らく関係ない。デント様はデント様であるが故にあの痛みを乗り越えられたのだ。
戦闘を生業としないカルムの面々よりも、か弱い身体でありながら、神の如き意志力で偉業を成す。
その姿は正しく我らが敬愛する神獣様そのものであり、威厳と優しさに満ち溢れていた。
人知れず昨日のことを思い出しながら感慨に耽っていると、部屋の中からごそごそと物音が聞こえ、少しして扉が独り手に開いた。
「ぷ、ぷぃ」
扉の端っこにデント様がちょこんと座ってこちらを見ており、何故か申し訳そうに鳴き声をあげた。
「おはようございますデント様。お加減はいかがですか?」
「ぷぃ? ぷぷぃ!」
「お元気そうですね、良かったです」
「ぷぃぷぃ」
なんと言っているのかは分からなかったが、私のことを心配するように優し気に足を撫でてくださり、(失礼かもしれないが)その姿は非常に可愛らしかった。
しばらくの間、探り探りで会話? のようなものをしていると、唐突にデント様が私の体を素早くよじ登り、頭の上に乗った。
位置が気に入らないのかひとしきりさわさわと優しく頭の毛を撫でたかと思うと、今度はぷぃっと鳴いて廊下の奥の方を指さしていた。
「きゅ、急に何を……外、ですか? 別に構いませんが」
廊下を歩き、リル様のお家を後にし、デント様が頭に乗っている妙な状況を不思議がられながらも私は大通りに出た。
デント様はまだこの街に来て間もないのか、街灯と雪景色に甚く感動しておられ、子供の様に燥いでいた。
「ぷぃー!!」
「雪は初めてですか? 色々大変ですが、綺麗ですよね」
「ぷい、ぷぷぷぃ」
「おや、初めてではないのですね。一体どこで見られたのでしょう。帝国の方から来られたのでしょうか?」
「ぷ、ぷぃ!」
「誤魔化している、のでしょうか? まあ事情があるのでしょうし、気にしても仕方ありませんね……それで、次はどうすればよいでしょうか?」
会話が成立しているのか疑問に思いつつも、私はデント様に問いかける。
すると、デント様は頭の上でもぞもぞと蠢き始めた。
「ちょ、ちょっとっ、デント様? きゃ、くすぐったいですって、ふふっ、えへへっ」
身振りで何かを伝えようとしているのは分かったが、頭の上でちょこちょこと動き回られるのが、あまりにこそばゆく、私は自然と笑みが零れた。
刹那、随分と懐かしい記憶が頭を過ぎった。
「ポーラさんって子供みたいな笑うよね」
「はいはい、子供っぽいって馬鹿にしてるんでしょ」
「馬鹿になんてしてないよ。俺さ、無邪気なポーラさんの笑顔が大好きなんだよ」
「えっ、な、す、す、好きとか急に言われても」
「ははっ、照れてる照れてる。そういうとこも可愛いよね」
「……やっぱ、馬鹿にしてるっ! もう許さないからねっ」
夫は周囲の目も気にせず、そんなキザったらしい言葉を恥ずかしげもなく言ってくる人だった。
誰よりも強くて、でも不器用で、何度注意しても誰かを守っては怪我ばかりして帰ってくる、そんな人だった。
……愛しい愛しい、大切な人だった。
「君より絶対長生きするからさ、任せてよっ」
私が小言を繰り返す度に、彼は誤魔化す様に私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
こそばゆくて、気恥ずかしくて、思わず子供みたいに笑ってしまう、そんな時間が私は大好きだった。
「ふふっ、ふふふっ……うぅ、うぁ」
「ぷぃ?」
笑っているはずなのに、涙がとめどなく溢れ、デント様が困惑したように首を傾げて鳴いた。
私は涙を見せないよう、デント様を持ち上げ、ぎゅっと優しく抱きかかえた。
「……長生きするって言ったじゃない、うそつき」
勝手に零れる涙をせき止めるように空を見上げ、もう誰にも届きはしない恨み言を吐き出す。
冷たく寂しい夜空の下、頬を伝う流星と優しい神獣様だけが私の心を温めてくれた。




