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母親が死んで喪も明けないうちに父親が次の嫁を連れてきた。
庶民には手の届かない透明なガラスをふんだんに使った公爵家のサンルームはその日、新たな住人を迎えていた。
北の地から取り寄せた柔らかな毛足の長い絨毯に春の日差しが落ちる。
ソファカヴァーは落ち着いた色合いで、しっとりとした飴色の家具とよく似あっていた。派手さはないが質の良い、ぬくもりのある雰囲気を作り出す内装は客人をもてなすというよりも、家人が家庭的な時間を楽しむためのものだ。
そんなごくプライベートな空間に五人の人間がいた。
清潔だが質素な身なりの強張った笑みを浮かべた母と娘。
優し気な微笑みを浮かべ、とろけるような目で二人を見る男。
それを他人事のように眺める人形のように整った顔立ちの兄と妹。
まるで出来の悪い悲喜劇のようだ。
おいおい、どんだけ人でなしだよ俺の親父。マジクソだな。
表情には出さないように俺は内心で唾を吐いた。
表情に出してもいいんだが幼少期から教え込まれた淑女たるものいつでも微笑みを忘れずに、という乳母の言葉には逆らえない。
なんといっても俺はリリアンヌ・ロワ・エデシオネ・リーリウル。
この国の王家に連なる筆頭公爵家の正妻の第二子である。
月明かりのような銀の髪に柔らかな光をたたえる菫色の瞳。小作りな面立ちは繊細に整い、水精霊のように嫋やかな肢体。月夜姫とまで呼ばれ、王太子の花嫁候補筆頭と名高い淑女の中の淑女である。
兄の方だと思った? ざんねーん! 妹の方でした!
まあ、中身は十八になる前に死んだ男子高校生なんだがな。
ちなみに童貞。生まれ変わったら美少女ワロス。股間のエクスカリバーがなくなって鞘になってたよ!
おい、だれか私の鞘って言ってくれる騎士王連れてきてくれよ。百合プレイ大歓迎だよ。
それはともかく、だ。政略結婚で仲の良くない夫婦だったとはいえ、二度目の人生をくれた上に、科学の代わりに魔法の発達した絶対王権のファンタジー世界で飢えや寒さに凍えることなく恵まれた環境で育った自覚のある俺は俺なりに父母に感謝をしているのだ。
なんと言っても前世は風邪ひいたかなと思ったらあれよあれよという間に悪化して、え、なんか死にそうにつらいんだけど? 死ぬのマジで? 待って? マジ死にたくねえし? となってるうちに死んだからな。風邪見くびっちゃあかん、マジで死ぬ。
そんな俺ちゃんだから生きてるだけで神様仏様ありがとうございますだよ。
俺も兄も貴族らしく乳母任せで親からの愛情なんて大して感じたことはないが、年の割に利口な兄も中身詐欺の俺も贅沢な暮らしができるのは家のおかげだと理解できてたしな。
俺ら兄妹、なかなか物分かりのいいできたお子様よ?
だから子供にさせるのは異常だとしか思えない教育も文句を言いながら甘んじて受け入れたし、貴族の義務だと外面よろしくして社交に努めた。
それをなんだ、自分には愛する女がよそにいて、しかも子供もいて、これからは家族として幸せになります?
おいおい、ちょっと待ってくれよ。
今までのんびり市井で暮らしてた平民の母子を今日から公爵家を取り仕切る正妻と長女にします! って?
落ち着けよクソ親父、せめて娘に使ってないお飾り爵位与えて貴族年金確保する程度に留めておけよ。
平民から公爵夫人とか本人的にもつらすぎだろ?
公爵夫人舐めてんの?
さすがの俺も怒るよ?
たしかに俺らの母親だって褒められた人じゃないけどさ、でも実家は由緒正しい伯爵家。貴族として教育を受けて、公爵家の内向きをしっかり取り仕切ってましたよ?
大体、ほとんど家に帰ってこなかった親父の代わりに使用人を取りまとめて夜会だのお茶会だの仕切ってたの誰だと思ってんだよ。公爵夫人ともなれば王妃を抜かして国内の貴族女性のトップだぞ。発言一つで社交界の風向きが変わるんだぞ。くだらねえ女の争いだなんて言ってる男どもは貴族向いてねえから死んだほうがいい。貴族女性の家内を取り仕切るっていうのは内助の功なんて言う生易しいものじゃない。家の生存競争だ。言葉一つが夫の、親族の生命線を握ってんだよ。王宮が見える権力争いなら社交界は見えない権力争い。トップである母が無駄な派閥争いを起こさず、家を盛り立てるためにどれだけ神経削って立ち回ってたと思ってんだよ。ふざけんじゃねえよ。そこののほほんとした女にそれをやらせようってか? まさか俺にぶんなげじゃねえよな? こちとらまだ一四歳のか弱い乙女だぞ。魑魅魍魎のはびこる妖怪大戦争に立ち向かえるわけねえだろ、ばかか! 中の人は三十路越え? 関係ねえ! 大魔女やら女狐やら傾城やらが蔓延る女の戦場に男子高校生の知識なんて役に立つわけがねえだろ!
ミミズの糞程度にあった親父への感謝の念なんて吹っ飛んだね。
こいつただのクズだわ。顔面偏差値のいいクズだわ。
間欠泉のごとく脳内に溢れる怒りにため息が出そうになるのを抑えて俺は隣に立つ兄をちらり見上げた。
兄の冴え冴えとしたアメジストの瞳が母子を無言で見下ろしていた。
表情は柔らかく、口元にはうっすらと笑みすら浮かべ。
激おこですわー。うわあ、こんな激おこの兄はちっちゃいころクソガキ王太子がチャンバラごっこで俺の髪ザンバラ切りにした時以来ですわー。被害者の俺まで怖かったし、王太子はしょんべんちびって未だに兄には逆らえない。魂に刻まれた恐怖ですなー。
激おこお兄ちゃんの銀の髪と深いアメジストの瞳は俺と同じく母から受け継いだ色だ。けれど俺が母親瓜二つなのに対して兄の顔立ちは父親によく似てる。母は兄を溺愛してた。正確にはその顔を。成長とともに父に似てくるその姿を。
兄も俺も知っている。母は父を愛していた。その愛を必死に得ようとあがいて、あがいて、疲れてしまった人だった。
あがいた結果が俺で、疲れてしまった母の目に俺は映らなかった。
屋敷に帰らない父の面影を兄に見て、すがって授かった俺が父の関心を得られなかったことに絶望して。
そして死んでいった哀れな女だった。
父にも母を愛せない理由があっただろう。それは目の前の母子のことかもしれないし、違うかもしれない。俺たちが知るべきことじゃないし、知ったことじゃねえ。だが、自分の子を、家を継ぐ嫡男を生んだ女に対する最低限の誠意はあるべきじゃないか?
それを家のことは丸投げ、自分は愛人宅でいちゃいちゃ。俺もさ、元男だからわからなくもないよ? 浮気とかついふらふらしちゃう気持ち? しかも貴族って男でも女でも愛人いて当たり前のところあんのよ。結婚そのものがビジネスライクって感じだから。でもさ、それってお互いが納得してる場合じゃない? 片方が納得してないならこれって不平等な取引なわけじゃん? じゃあ取引の条件を変えるなり取引自体を取りやめるなりさ、お互い納得のできる状態にするのが誠意ってもんなんじゃないの? ビジネスライクって言ったって、そのビジネスすんのは人間なわけなんだからさ。
だいたい、年に一度か二度会うか怪しい子供たちに、お前たちの新しいママだよーはない。
父親にとっては気持ちのない妻なんて他人みたいなもんなのかもしれないけどさ、子供にとってずっと一緒にいた母親なんだぜ? 無視されまくった俺でさえ大して会ったことのない父親より母親のほうが好感度高いわ。
しかも母親が死んでまだ一か月だってとこもない。ありえない。無神経にもほどがある。長男十七歳で長女十四歳だぞ? 思春期真っ盛りだぞ? 反抗期だぞ? せめて喪が明ける半年、いや一年は待てよ。大体、愛人の子が俺より一つ上っていうのもないわ。そんなに俺らの母親が嫌いなら愛人の子が生まれた後に子供作ってんじゃねえよ。クズかよ。そんなに愛に生きたいなら俺らの母親が縋ろうが脅そうが子供なんて産ませんなよ。俺だったからよかったものの、幼児期から育児放棄されて兄しか相手にしてくれなかったんだぞ。普通に性格歪むわ。父親の姿だって見たことなさすぎて、普通に母子家庭だと思ってたわ。
内心の罵詈雑言をかけらも出さず、けれど俺たち兄妹の眼差しだけは冷ややかさを増してゆく。
麗らかな春の日差しが差し込むサンルームで親父と母娘の三人だけが幸せそうに微笑んでいる。
シチュエーションも最悪だ。
なぜ父はこの部屋に俺たちを呼んだのだろう。
かつて、そのお気に入りのソファにゆったりと座り刺繍をしながら兄の朗読する詩を聞いていたのは母だった。
赤い薔薇の咲く庭の木立の陰からその姿をそっと見ていたのは俺だった。
穏やかな風に兄の声がそっと乗り、時折母がお気に入りの詩を兄とともに口ずさんだ。美しい光景だった。
部屋に戻る母の手を取る兄がちらりと庭の俺に目をやり、小さく手を振ってくれると、それだけで胸の奥に温かいものがじんわりと広がったもんだ。
中身は男子高校生だって言うのに、子供のころの俺ときたらすっかりリリアンヌの体に引きずられて人恋しくて仕方がなかったのだ。
けれど、母にとって俺の存在が父に愛されなかった現実そのものであることを察してしまえる脳みそのせいで自分を無視する母を責めることもできずにただ遠くから美しい母子を眺めていた。
そんな俺を兄はいつだって気にしてくれた。
俺が女なら惚れてる。いや、女だったわ俺。まあ、俺が惚れるくらい兄はいい男だってことだ。
本当に馬鹿だな、うちの親父。
この部屋を母が気に入っていたことも知らないんだろうな。
兄は父を許さないだろう。きっと一生。兄が執念深いことは俺の髪を切った王太子にいまだちくちく言ってることで実証済みだ。王太子の花嫁候補だなんて言われてるが、あれが義兄になるなんて殺されてもいやだって俺に対して言うくらいだから。つかそれを俺に言うあたりうちの王太子の脳みそ学習機能ねえな。兄にめちゃくちゃ絞められて、リリアンヌ本人に不満はないがお前が嫌なんだって言い訳にもならないこと言ってたわ。残念ながら俺が嫁にならなくても兄は次期公爵、うちは王家に最も近い筆頭公爵家だから王太子の側近になることは確約されている。一生、うちの兄と一蓮托生だよ! よかったね!
そんな兄の逆鱗に触れまくりだからな父よ。現公爵のうちはいいだろうが引退後は地獄だろうな。我が世の春は今だけだから存分に楽しめよ。
まあ、そのころには俺は嫁に出てるだろうし関係ないからどうでもいいか。
あー、本当に腹立つな。大体なんでまだ婚姻の届も出してない赤の他人の平民の母娘がソファに座ってて俺たちが立って紹介されてるわけ? この国って絶対王権で平民はお貴族様にひれ伏すんじゃなかったっけ? 基本的人権も生存権もねえから貴族でよかったーってめっちゃ感謝したんだけど気のせいだったかな? もしかしてノブレスオブリージュ行き過ぎて貴族は平民様の税金のおかげで生きてます、ありがとうございます! みたいな世の中になったの? 知らんかったわー。それなら俺も平民になるからえらい奴はみんな俺のために身を粉にして働けよ。
本当にうんざりして兄の袖をつまんで引っ張った。
「わたくし、少し気分が…」
鈴を転がすような可憐な声で俺が言えば、兄は俺の内心を察して小さく頷いた。
「それはいけない、リリアンヌ。朝から食欲もなかったようだし、部屋で休んだほうがいいね」
部屋まで送ろう、と妹に便乗して退場する気満々の兄が差し出した腕に手を絡ませる。
さっさと部屋を出ようと脳内お花畑の三人に背を向けたところで声をかけられた。
「あ、あの、」
恐る恐る、けれど、下品なほど大きな声は耳に痛い。そんな大声出さなくても聞こえるわい。
ちらりと振り返ると愛人の娘が立ち上がっていた。
父親譲りの淡い金の髪がゆるく渦を巻いて肩に落ちる。暖かなハシバミ色の瞳は母親ゆずり。大きなまんまるとした目と健康的にふっくらとした頬が彼女を年より幼げに見せていた。
文句なしにかわいい。前世だったらクラスの男子があいつかわいいよなと噂するタイプだ。親近感のわくタイプの美少女。現在の俺ちゃんとは真逆だ。俺ちゃんはあれなの、近寄りがたいタイプの神秘的美少女タイプなの。お胸は発展途上なの。
彼女の名山を眺める俺の代わりに兄が口を開く。
「何か?」
洗練された貴公子の微笑みに娘の頬が赤く染まる。
そらな、うちの兄ちゃんちょっとお目にかかれないレベルでイケメンだからな。市井育ちのお嬢さんには刺激が強かろうもん。
「あ、あの、私、こういうの全然わからなくて、たぶん、二人にも不快な思いとかさせちゃうかもしれないけど、できればこれから兄妹として仲良くしていきたくて、あの、だから、どうかこれからよろしくお願いします!」
顔を真っ赤にして勢いよく頭を下げた彼女に俺と兄は茫然。脳みそお花畑たちは微笑ましそうに彼女を見ていた。
いや待って、なんかよくわかんない。ほんとごめん、マジよくわかんないから兄に丸投げするね。
俺はにっこりと微笑んで兄を見た。兄も俺を見てにっこりと微笑んだ。
「こちらこそよろしくね」
兄の優しい声が聞こえると彼女はまた勢いよく頭を上げて満面の笑みを見せた。
あーかわいいかわいい。かわいいんだけどさ。
にっこりと笑みの形を張り付けたまま兄と俺はそのまま部屋を退出した。
廊下に待機していた侍従もメイドも下がらせてしばらく二人で歩く。
公爵家の廊下は長く広い。
周りに人の気配を感じなくなってから、それでも声を潜めて俺は兄に尋ねた。
「お兄様」
「なんだい?」
兄も声を潜めて答える。
「彼女、何をお話しになられていたのかしら?」
俺ちゃん、何言ってんだかぜんぜん分らんかったわ。
「うーん、下町訛りがきつすぎて僕もよく分からなかったんだけど、たぶんよろしくみたいなことじゃないかな?」
お互いに首を傾げて、困ったわ、困ったね? と言って兄と分かれて部屋に戻った。
なんだよ、兄も結局わかってないんじゃん。
いや、マジでどうすんだ?
俺ちゃん、生粋のお貴族様の箱入り娘だから今まで周りや自分が喋っている言葉が普通の言葉だと思っていたけど、どうやら違うらしい。
下町言葉、訛りきつすぎてほぼ外国語だよ…。
早口だわ、巻き舌きついわ、耳が言語として受け付けてくれなかったよ…なんか鳥の鳴き声とかそんな感じだった…。
どうしよう、まさか同じ国の人間なのに意思疎通ができないなんて。
部屋に戻ってすぐに俺を待っていたメイドに湯あみの用意を頼んだ。
まだ日は高いが気分転換。リリアンヌちゃんはお風呂大好き。命の洗濯、魂のリフレッシュだからね! 中のひともね、お風呂だーいすきなんだよ! 昔は面倒くさいと思ってたけどリリアンヌちゃんになってからはお風呂大好きになったんだよ! 理由はわかんだろ! 言わせんなよスケベ!
浴室の準備が整うのをわくわくと待ちながら一人掛けのソファに身を沈める。
大して長い時間でもなかったのにやたら疲れた。
メイドがそっと差し出した茶を啜ってやっと一息。
それにしても、と先ほどの不安を思い出す。俺ちゃんは言語に関してはかなりお粗末なのよね…。脳みそちっちゃい幼児のうちはほぼ本能で生きてたから問題なかったけど三歳くらいになってちょっと論理的思考とかできるようになってくるじゃない? あ、俺、日本で男子高校生やってた! 童貞だった! とか気が付くわけじゃない? 三歳って言ったらまだ言葉は片言でしょ? 自然と脳内言語がこっちの言葉じゃなくて日本語になっちゃったんだよねー。おかげでこっちの言葉をいちいち日本語に翻訳するから時間がめちゃかかる。誰か辞書くれよって本気で思った。俺ちゃん乳母からは言葉の遅くてちょっと頭の足りない子だと思われてたからね。遺憾の意。
まあ、子供の脳みその可能性は無限大。勉強嫌い男子高校生とは段違いの記憶力と理解力でなんとか読み書きおしゃべり追いつきましたよ。俺ちゃんやればできる子だからね!
日常的に外国語でしゃべって生活してるみたいなもんだから、最近日本語がおぼつかないのがちょっと悲しい。
それはともかくとして、彼女の言葉を理解するためにはほとんど聞き取れないあのきつい訛りを覚えなおさなきゃいけないのか、と思うと辟易としてくる。
今でさえ近隣諸国の言葉とか家庭教師つけてまで習ってんのにいまいちの出来なのだ。これ以上脳みそ使いたくない。ほんと、苦手だから。
「お嬢様、ご用意が出来ました」
一人掛けのソファに座ってぼんやりとしていたが、大した時間もかからずにメイドから声を掛けられて浴室に向かう。電気も水道もないけど魔法のあるこの世界はめちゃくちゃ便利だ。魔法の道具をぽちっと押せばお湯だってあっという間に沸かせる。魔法を使うには専門の学校で学ぶか師匠に弟子入りするかしないといけないけれど、魔法の道具は魔力さえあればだれでも使える。この世界の人間は大なり小なり魔力を持っているから皆が魔法の恩恵に与れる。ありがたいことである。
ちなみに俺も昔は魔法を使ってみたいとかじってみたことがあるが、これがとんでもなく複雑で難しかった。魔法を使うには技術と知識とセンスが必要とか言われてとっとと諦めた。俺ちゃん公爵令嬢だからね、わざわざ魔法技術者にならなくても暮らしていけるから。魔法使うだけならお金出して道具作ってもらえばいいだけだもん。別に悔しくなんてないんだから。
タイル張りの広々とした浴室にたっぷりと湯の張られた猫足のバスタブ。オレンジに似た甘酸っぱい香りは湯にたらされた香油だ。
控えていた三人のメイドたちに恭しくドレスを脱がされ裸になる。恥ずかしい? そんな感情はそもそも育ちませんことよ。十四年間、一度も自分で服の脱ぎ着なんかしたことありませんー。体形にだって気を付けてるから俺ちゃんのリリアンヌちゃんは脱いでもすごいんですー。人目に触れて恥じるところなんて一点もありません! ムダ毛の一本もねえよ! 下の毛だって一本生えた日から剃られてお手入れ完璧よ! 剃った後に除毛効果のあるクリーム塗ってお手入れもしてるからほぼ生えんのよ! 貴族女性の嗜みだから! 男性も剃って整えるって聞いたよ! 貴族の常識! 男子高校生には理解できないけど貴族の常識だから!
いろんなものと折り合いつけて生きてんだよ、俺ちゃん…。
折り合いつけられるくらいには貴族生活楽しいしね。
「エマ」
俺のドレスを脱がせたメイドのうち一人に声をかける。
俺よりいくらか年上に見えるエマは五年ほどの付き合いになる。確か十七だか十八か? うちみたいな上位貴族の家のメイドや侍従は下位貴族の長子以外が行儀見習い代わりに勤めることが多い。侍従や執事見習の男性はその家に残るが、女性はある程度勤めると嫁に行くこともある。その時、なんとか家で行儀見習いという経歴はなんとか家の位に応じて箔が付く。筆頭公爵家のうちならいわんや。さらに家の人間に気に入られて紹介なんてしてもらえれば玉の輿も夢ではない。
実際そういう事例も少なくないのだ。礼儀作法もしっかり仕込まれて、家の裏方も分かってる上位貴族のお墨付きのお嬢さんだから相手も安心して家を任せられる。お互いウィンウィン。
うちの母はそういうところも結構上手にさばいてて、うちのメイドから家格のある貴族に嫁いだメイドもそこそこいる。あの人、ほんと男を見る目はなかったけど貴族女性としてはちゃんとした人だったなあ。嫁いだメイドちゃんたちはとても幸せにやっていると彼女と仲が良かったメイドが言ってたっけ。そりゃ男のほうだって下位貴族の娘だけど筆頭公爵家の奥方の後ろ盾で嫁いできた嫁を蔑ろにはできないっしょ。そんなことをするより大切にして公爵家の奥様との繋がりを保ったほうが有益ってわけ。
おかげさまでうちは良縁を得られると若い下位貴族の中では断トツに人気な職場。美人で優秀なメイドちゃんがよりどりみどりである。
でも今いる子たちが抜けたら質下がるだろうなー。あの愛人さんがそこまで気が回るとは思えないし、第一、彼女じゃ伝手も信用もないからね。
公爵家のメイドってだけでもそれなりに箔はつくから人が来ないってことはないだろうけど、良縁求めてスキルアップにも余念のない高スペックメイドちゃんは減るだろうね。だって平民上がりの奥様に気に入られたって大していいことないもん。悲しいけど、これ現実。
今いるメイドさんたちだけでもいいところに縁つけてあげたいんだけど、俺ちゃんも社交界デビューはまだだからコネないの。お茶会は参加してるから同年代ならいくらか顔見知りもいるけど、そうしたコネが生きてくるのは彼女たちが嫁に行き家内を取り仕切るようになってから。なんとも口惜しや。
俺ちゃんお気に入りのエマは可愛くて仕事もできるし、何よりも性格がいい。そろそろ年ごろだし兄に頼んで母からいい嫁入り先を紹介してもらおうと思っていたのに。
母がいないからと言って間違っても父なんぞには頼めない。貴族男が自分より身分の下の男に女を斡旋するのは愛人の下げ渡しって暗黙の了解があるのだ。実際は違くてもそう思われるってやつ。真っ当な紹介は奥方から相手のお家の女主人に紹介するのが筋。大体嫁入り相手の母親ね。
はー、ほんとにエマには特に世話になってるし、大好きだし幸せになってほしいのになー。世の中うまくいかねーなー。
ため息を飲み込んでいると俺に声をかけられたエマがするするとお仕着せのメイド服を脱いだ。
俺の前にエマの弾けるような瑞々しい肌が露になる。
浴室内は温められているが、少し肌寒いのかエマがふるりと震えた。
十にもならない俺のところに年が近いからという理由でつけられたエマは一目見た時から俺ちゃんのお気に入りなのだ。
五年前っていたらエマもまだ十二くらいだったはずだけど、もうすごかった。
むっちり、もっちり、ぼいんぼいんよ。
魅惑の肉まんがこんもりと。いいか、コンビニレベルじゃない。中華街の名物肉まんみたいなやつだ。
触るよね。普通に触るから。
リリアンヌちゃんの中身は童貞男子高校生だから初めはちょっと良心が止めろよって叫んでたけど童貞のたわごとだよね。リリアンヌちゃん幼女だから好奇心で触っちゃうのおかしくないもん。
ちょっとたれ目でポチャッとした優しそうなお姉ちゃんの魅惑の肉まんもぐもぐしちゃうのもおかしくないもん。
「リリアンヌ様、どうぞ」
エマに差し出された手を取る。
少しふっくらして見えるエマだが太っているというわけではなく縊れるところは縊れた健康的なバランスの良い体をしている。なにより触れるとふわふわした弾力のもち肌が素晴らしい。
さらにさらに、その胸部はこの五年で見事な成長をし、人類の至宝と化している。手を合わせて拝みたい。
エマの手に支えられながら足を入れる。俺の好みを知り尽くしたメイドたちのおかげで湯の温度は絶妙。ゆっくりと腰を下ろして肩までつかる。
あー生き返るわ。
ふう、と大きく息を吐きだす。
向かい合うようにエマが湯船に入り、俺の足をマッサージするように湯の中で洗う。
服を着たままのメイドたちが俺の髪や腕をとって、洗い出す。
全自動リリアンヌちゃん丸洗いシステムである。
いやあ、本当にお金持ちってすごいね。権力素晴らしいね。
ほかの貴族がどうしてるかは知らないけど、リリアンヌちゃんは一人は絶対丸裸にして道連れにするよ。ちっちゃいころから一人では絶対入らないって駄々こねまくったからね。そろそろ一人で入れって乳母に遠回しに言われても断固拒否したから。今じゃご指名制で、その日の気分でかわいこちゃんと入浴タイムですよ。たまらんですよ!
だって女の人の体に興味津々の童貞男子高校生だったんだもん! 生の裸見たかったんだもん! ついでに触りたかったし! 欲望に忠実なお子様だったんだよ! 今もだけどね! お風呂大好き!
洗い終わって泡だらけになった湯船のお湯を一度捨てる。新しいお湯で体や髪についた泡も落としてもらって、再度湯を張る。
メイドや侍従たちはシャワーだけだったり、湯船を張っても洗って一度お湯を捨てたらそこで終了させちゃうらしいけど、リリアンヌちゃんの中の男子高校生は日本人なんで体洗った後にも湯船にしっかり浸かりたい。
新しいお湯にも香油を垂らしてエマ以外のメイドは浴室を出て行った。二人は入浴後のお手入れの準備をしていることだろう。
浴室の羽目殺しの薔薇窓から明るい陽射しが差し込み、立ち上る湯気が揺れる。
湯の中で俺の指先をマッサージするエマにそっと俺は近づいた。
「エマ」
囁くように呟けば、エマは困ったいたずらっ子を見るように微笑んだ。
俺はそんなエマに甘えるように湯に浮かぶ柔らかな二つの島に顔を埋める。ふわふわの胸からオレンジの香りがほんのりとして、それを鼻から大きく吸い込んだ。世の童貞ども知ってるか? 巨乳はお湯に浮く!
ぎゅうぎゅうと縋りつく俺をエマは優しく抱きしめてくれる。
ちゃぷりと水面が揺れた。
お湯の中で触れ合う素肌は温かく、溶け合ってしまうかのように気持ちがよかった。
あーこれこれ。
本当に究極のリラクゼーション。天国ってね、お空の上にあるんじゃないんだよ、ここにあるんだ。
童貞男子高校生、普通に天に召されたわ。
ほんと見た目美少女でよかったー。
これ男だったら童貞拗らせた俺じゃ幼児でも恥ずかしくて絶対無理だったし、下手に前世の俺に似たさえない幼女とかだったら申し訳なくて我儘なんて言えねえもん。
美少女が美少女にだから俺の良心を湯船に溺死させられたんだよね。もう煩悩の海に沈んで死ね! って感じで良心も羞恥心も死にました! 残ったのは本能と欲望です! こんにちは好奇心!
お湯に浮かぶふわふわとした胸にちゅっちゅっと口づける。唇が触れるのがくすぐったいのかエマがくすくすと笑った。
エクスカリバーがあったら確実にガン勃ちだね! なくて残念だけど、あったら恥ずかしくてこんなことできないから塞翁が馬だね!
そういえば、と俺は唇を話してとろんとしたエマの翡翠色の目を見上げた。
「ねえ、エマはあのお嬢さんとお話しした?」
急に問われたエマはきょとんとした顔をして俺を見下ろした。
「いいえ、直接はございません」
そうだよねー、小首を傾げたエマの艶やかな紅茶色の髪が一筋、肩から流れ落ちた。
俺はエマの太ももの上に横向きになるように座りなおしてその一筋の髪を指に絡めた。
内緒よ、とエマの耳元で俺は囁く。
「あの方ね、とっても早口で巻き舌なの。お声もかん高くてね。まるで小鳥が歌ってるみたいなの。私、あいにくと小鳥さんとはおしゃべりできなくて、困ってしまったわ」
ため息交じりにそう零すと、エマは手で口元を抑えて少し震えた。笑いおったな、このメイドめ。
「確かに、かなり聞き取りづらいとお話しした者が申しておりました。下町の訛りを聞いたことがないリリアンヌ様が聞き取れないのも無理ないことでございます。お気に病むことはありませんよ」
肩を震わせながらエマが言う。
主人を笑うとは不遜なメイドだ。乳を揉んでやろう。ついでに耳たぶも噛んでやる、このやろう。
リリアンヌ様、お止めください! と言いながらも笑い続けるエマの耳をかぷかぷと甘噛みしながら柔らかな胸を揉む。
エマが笑うから! とむくれた顔を作って見せたが、結局一緒に笑いながらお湯の中で暴れてしまった。
それにしても、彼女、どっかで見たことあるような気がするんだけど、どこだっけなー? なんか小骨が喉の奥に刺さったような、気持ち悪いなー。




