(1)
「あ、アリシア。何作ってるの?」
私は偶然実習室の前を通ったときにアリシアを発見した。アリシアは、ぎくりと肩を強張らせたけれど、声の主が私だと分かると「ああ」と頷いた。
「薬よ。薬師が作るのは薬でしょう?」
「いや、まぁそうだけどさ……物凄い広くない、その答えって」
それに薬の割りに甘い臭いがしている。薬というよりは美味しそうな香りだ。
「チョコレート?」
鍋の横で、先に出来上がったのか、可愛らしい形をした茶色の形を取り上げる。アリシアはちらりとその様子を見て「別に食べても良いわよ」と告げた。
私はそうなんだ。と、喜んで一つぱくり。チョコレートというか……なんだろう、マカロンの生地みたいにふわふわ、かしかしだ。
不味くはないけれど、これは美味っ! という程ではない。アリシアが作るものとしては少し珍しいかもしれない。
ぺろりと、手についたパウダーを舐め取ると、目を丸くしているアリシアと目が合った。首を傾げれば「そう、そうよね」と勝手に納得している。
「それ、別に毒じゃないけど、薬といったでしょう? 効能を聞くこともなく口の中に入れるのはどうかと思うわ」
はぁと嘆息しつつそういったアリシアに、私はやっと気がついて「えっと、何?」と聞き返す。
「何? じゃないわ。貴方本当に無防備ね? まぁ、重ねるけど、毒じゃないし良いんだけど」
「ええっと、本当になんなの?」
「それ、酔いにくくするのよ。今度、パーティにお呼ばれしているのだけど、あたしあまりお酒は好きじゃないのよね。だから……」
ふーんっと頷きつつ私はもうひとつぱくりと口に入れた。美味しいとは思わなくてもなんとなくクセになる味だ。また手を伸ばしかけたら、アリシアに「もうっ!」と取り上げられた。
アリシアってちょっと可愛い。
「一応前にも作ったことのあるものだから効き目は確かだと思うわ。でーもっ! そんなにパクパク食べるものでもないっ! もう! 早く貴方はギルドの仕事でもやってらっしゃいっ!」
ぐるりとアリシアに身体を反転させられて、どんっと背中を押された。
私は、笑いながら数歩よろけたけど、分かった。と頷いて実習室を後にする。
普通に飲む機会なんて学校にいる間は殆どない。種屋に戻ったときに晩酌程度口にするくらいだ。だから別に良いと気にしなかった。
「―― ……これなに」
「樽」
「いや、それは見れば分かるよね?」
暇つぶしにと訪れた、カナイたちの部屋の中央に、でんと置かれた酒樽に眉を寄せた。エミルはその樽に寄りかかりつつ説明してくれる。
「去年の葡萄酒が美味しかったという話をこの間したら、届いちゃったんだよ。これ、今年の新物だって……」
「いや、普通一本二本じゃない?」
「フツーじゃねぇんだろ? 王宮の連中は」
「う、うーん……ほら、大は小をかねるっていうし、それじゃないかな?」
違うと思う。違うと思うけど、エミルを責める気にはどうしてもなれない。人徳だ。
「僕、食堂で何か作ってくれるようにお願いしてきますね。今夜は屋上庭園ででも月見しましょう?」
「月見?」
「マシロちゃんの世界にはそういう風習があるって聞きました」
いったけどさ、アルファのはそれ飲むのが中心でしょ? 酒盛りしたいだけだよね。月見の季節でもないと思うし。
嬉々としてそういって部屋を飛び出したアルファは止める隙もない。私とエミルは顔を見合わせて肩を竦めた。
ま、今日の私は酒豪だし。いっか。
***
シル・メシアの良いところは、天気が安定していることもあると思う。急に予定を立てても雨で中止。なんてことにはまずならない。
今夜もばっちり晴天で、誰も居なくなった屋上庭園からは二つ月が綺麗に望める。
いつもの四人なのだけど、並んだ料理は何人前だろう? 夕食だってちゃんと食べたのに……。石畳の地面に大きな敷物を広げて並べられる料理。大半はアルファが食べてしまうのだということは分かるけど。
「最後にメインも持ってきました」
「ひっ!」
その声に振り返れば、アルファが樽を軽々しく担いできていた。「マシロちゃん、ちょっとどいて」といわれてベンチにぼんやり腰掛けていた場所を譲ると、そこへ樽を据える。
「じゃあ、とりあえず乾杯しようか?」
エミルにそういわれてカナイはグラスを出すと、ワインを注いでいく。透明度の高いグラスに静かに注がれていく赤い液体はとても綺麗だと思う。
みんなにグラスが行き渡ったところで
「かんぱーい!」
ちんっと涼しげな音を鳴らした。
ちょっとグラスに口を添えれば、鼻先に葡萄酒特有の濃い香りが入ってくる。良い香り。と思えるくらいには大人になったと思う。そのまま傾けて、口に含んだらふわりと柔かな味わいが口内に広がる。
「美味しい」
素直に口にした私にエミルもにこりと微笑んだ。
なんでこんなことになってしまったのか。
「マシロちゃんと対決っ! チキチキ飲み比べレースっ!」
わーい、ぱふぱふ……。
いまいちのりの悪い私の合いの手にアルファは不満そうな顔をしたものの、ま、いいや。で機嫌を直し、ギリギリまで注がれたグラスをはいっと渡してくる。
私はそれを睨みつけつつ。うーっと唸ったが引き返せない。どう考えても酒豪と誉れ高い、いや、誉ではないと思うけどアルファを相手に飲み比べなんて尋常な沙汰じゃない。
どうしてそれにカナイもエミルものっかったのか……どういうわけか、勝てば私が何か一つお願いを聞いてあげるということになってしまったのだ。
もう、ベタ過ぎてどうしようもない。でも私も素直に商品になる気もないので参戦する。
ここにもしブラックが居たら、彼は下戸だから不満を零しただろう。居て欲しかった。もういっそぶち壊す勢いで止めて欲しかった。はぁと嘆息したのも束の間、カナイが審判代わりに作り出した、可愛い駒鳥さんの傀儡がスタート合図を出す。
ま、私は今日酔わないからね。勝つ自信があった。
「だ、大丈夫? エミル。顔色が赤から青になってるけど」
カナイは早々に離脱。面倒になったらしい。そんなところだよね。
「大丈夫じゃ、ない」
頑張っていたのだと思うけど樽で飲めるといわれるアルファには足元にも及ばない。エミルは、すっくと立ち上がって、一言だけ詫びてその場から消えてしまった。
―― ……王子様離脱。
「マシロちゃん。なんだか今夜やけに飲みますね?」
「うん。美味しいよね」
一騎打ち。まぁ、アルファが勝ったとしても無茶振りはしないと思うけど、勝負は負けるよりは勝ったほうが良いだろう。
月見のはずが誰一人月を仰がない。気の毒な限りだ。
私は、もう一杯注ぎ足してもらって、それに口をつけると夜空を仰いだ。頬に触れる風が気持ちよい。
「あ、あれぇ?」
そして上がったアルファの声に視線を戻すと、アルファは樽についたコックを捻りつつ「なくなっちゃいました」と肩を竦めた。ということは、終わり、で、良いんだよね。
「引き分けかな?」
「ですよねぇ。でも、僕マシロちゃんがこんなペースで飲めるなんて知らなかったな」
にこにことそう口にしつつ、アルファはころりんっとその場に転がって丸くなる。こんなところで寝ると風邪を引くといいたかったのに、一足遅かった。