第八話:ある意味これはモツダイエット?!(2)
私は、きゅっと繋いだ手に力を込めて、毒なくそういいきったエミルに苦笑して「別に良いよ」というしかなく「恥ずかしいけど」と、付け加えたのはスルーされた。
「そんなことより、マシロ。君の世界ではどうだったか分からないけれど、こちらではあまり氏は名乗らない方が良い。サインもそうだよ」
「ああ、ごめん。気が付かなくて……でも、どうして? 同じ名前の人が居たら面倒じゃない?」
きょとんと問い返した私に、エミルは軽く首を振った。
「同名で嫌なら、どちらかが名乗りを変えれば良いだけだよ。下手に呪術とか掛けられるよりずっと良いからね」
剣と魔法が実在する世界は私が思っているよりも恐ろしいところらしい。
***
このあと私は、どうして薬師に女の子が極端に少ないのか身を持って知ることとなる。
「マシロちゃんお昼食べないの?」
「……アルファ……あんなことやったあとに、よく食欲があるよねぇ。私は、駄目」
食事は学食があるから基本的にそこで取るのだと、昨日聞いたものの……。
私はお行儀悪くテーブルに突っ伏していた。
一部始終見ていたエミルとアルファは楽しそうに人のくたびれっぷりを眺め、カナイは予想の範疇だったのか特にノーコメントだった。
「見慣れるまで僕が変わってあげるっていったのに、マシロは頑張り屋さんだよね」
「ただの意地っ張りだろう?」
失礼なっ! 優しいエミルの言葉をあっさり切り捨てたカナイに、毒づきたかったがその元気もない。
あんな臓物だらけの授業なんてあって堪るか。
でも、今日が特別なのかと思ったら大抵こんなものだと、にこやかにアルファに答えてもらった。
挫折しそうだ。
かなり凄い速さで挫けそうだ。
だって、三時間ほどカエルの内臓を弄っていた。心臓・肝臓。腎臓に腸。睾丸に至るまで分けた。
そのあと、漬ける物は漬けて……それ以外は、乾燥させたあと粉末にする作業まであるらしい。今日はカエルだったけど、日によってモノは違うらしいが……やってることは基本そんなものだと告げられ泣きそうだった。
そうして作られたものは、市場に出回ることもあるらしいが、基本的に上の階位の生徒の調剤に使われるとか。
「何も食べないのは身体に良くないよ? 僕、チョコレート持ってるけどあげようか?」
女の子って甘いもの好きだよね? 僕も好きだけど。
と、付け加えたエミルにげんなりと私が顔を上げると、向いに座っていたアルファが「初めて土気色って顔色を見たよ」と笑いやがった。
「それ、ちゃんと外で買ったんだろうな?」
「えー、やだなぁ、僕がマシロに何か盛るわけないじゃないか。正真正銘、ちゃんと表通りのクリムラで買ったよー」
可愛らしい包みに包まれたお菓子を手渡され受け取ると、カナイが念を押すように確認した。
私じゃなかったら何か盛るのだろうか。
いや、明らかに盛ると明言しているような気がする。
「あとで食べるよ」
本当に食欲がない。ある意味モツダイエットだ。
そして、ここのカリキュラムは基本的に授業らしい授業は午前中だけらしい。
午後はフィールドワークという名の自由時間。
図書館というだけあって資料は山ほどあるから自己学習が殆どらしい。
質問や、疑問があれば、職員もしくは、担当している上級階位の生徒に訪ね、解決し理解を深めていく。というのだけど、単に投げ出されているだけのような気がするのは私だけで、これがここでは普通なのかな?
「今日の午後は、特に何もしないんだよね」
「そうだねぇ、特に課題もないし僕は少し出かけるつもりです」
「僕はこの間のレポートを纏めるつもりだけど、マシロに何か質問があれば付き合うよ? 別に急ぐことないから」
相変わらずな感じでそういってくれたエミルに、私はお礼をいって、首を振った。
「出来れば夕方、字を教えて欲しいけど……それまでは何かないかギルドに行ってみるよ」
力なく微笑んでそういった私に、エミルは心配そうな顔をしてくれたけど「マシロがそう決めたのなら」と頷いてくれた。
「それはそうと、私、あんな生臭いことやってたから変な臭いしないかな? 自分じゃ分からないよ」
生ものっぽい臭いが染み付いているような気がする。
決して血の臭いじゃない。
そういって腕の辺りで鼻を鳴らした私に、エミルはすっと近寄ると耳元ですんっと鼻を利かせた。
「大丈夫だよ。良い香りがする。女の子って甘くて柔らかい香りがするんだね」
のんびり口にしたエミルに、他意はないと思うけど、思うけどっ!
「近いからっ! 恥ずかしいっ」
ぐぐっと押し戻して、私は「行って来ます」と半ば逃げるようにその場を立ち去った。
「マシロは恥ずかしがり屋さんだよね?」
「いや、フツーだろ」
わたわたと食堂をあとにすると、廊下でぐいっと腕を引かれ物陰に引き込まれた。
―― ……誘拐っ! 強姦っ? 何?
と、慌てた私の耳に聞こえたのは鈴の鳴るような可愛らしい声。
「こんにちは」
数回瞬きしてその姿を確かめると女の子だ。
豊かな赤毛を二つに縛って、フリフリのリボンが付いている。フランス人形みたいな顔立ちの美少女だった。
「貴方ね、初級階位に入った女の子って」
にっこり優雅な笑みだ。
彼女が微笑んだだけで辺り一面お花畑に早変わり。私には出来ない芸当だ。
でも、引っ張り込んだ力はかなり凄いものだったのに、この子じゃなかったのかな? 周りには人影は無いけど……。
「あたしはアリシア。中級階位に居るのだけれど……」
呆けていた私をキラキラの瞳が見詰めている。名乗るのも忘れて見惚れていた。
「えっと、私はマシロです。初めまして、宜しく、お願いします」
「敬語は結構よ。ここではたった二人きりの女の子ですもの仲良くしてね」
にこにこお花畑に襲われつつ、私はアリシアと握手を交わした。
それでは、失礼しようかと思ったらまだ引き止められて、まじまじと見詰められる。どうにも居心地が悪くて「どうしたの?」と尋ねると、きっぱりいい放たれた。
「地味ね、貴方」
すみません。本当にすみません。花も何も背負ってなくて。
「もうっ! 女の子はそんなことでは駄目よ。もっと可愛らしく、綺麗に。所作は愛らしく。そうすれば、あたしのように生ものの解剖なんてやらなくても、中級階位に上がれるのに」
アリシアの話の内容がいまいち分からず「え?」と問い返すとアリシアは女の私が見ても愛らしい所作で「だからね」と話を続けてくれる。
「あのようなこと、ここには男性が星の数ほどいらっしゃるのですからやらせておけば良いのよ。皆さんにやっていただいて、一番出来の宜しいものをいただけば大丈夫」
「え、でも」
「貴方だってあのような作業が趣味の方というわけではないのでしょう?」
「ええ、まあ」
「だったら、やってもらいなさい。貴方でも女の子なのですから、困っているように見せれば誰かが助けてくれるわ。エミル様も付いていらっしゃるのでしょ? にっこり微笑んで“お願い”すれば大丈夫よ」
そして、にーっこり聖女の笑みで「それでも使えない男はクズよ」といい放った。
―― ……こ、この聖女様は黒い。
私は軽く眩暈を覚えながらも「善処します」とアリシアに解放してもらった。
カナイが染まるなといっていた意味がほんの少し分かった。大丈夫、染まりたくても染まれないから。
私に花を出す特技は無いわ。