(6)
「―― ……あー、物凄い長い夢を見ていたような気がします」
「だ、大丈夫?」
液体を飲み下したあと、苦しげに蹲ったミアから立ち上った白い煙はあっという間にその身体を包み込んでしまった。
煙が晴れればブラックは元通り。何事もなかったようにけろりと立ち上がって身体を伸ばし机の上の瓶を見て「……怠慢」と零した。
「平気、なの? というか覚えてない?」
「内緒です」
覚えてるのね。きっと……。でも、触れられたくないところもあったのだろう。というかこれから触れて欲しくないことがあるからきっとそういうことにして欲しいんだと思う。特に……エミルたちにね? 私は一人納得して苦笑した。
「マシロ」
良かったと胸を撫で下ろしていた私をブラックはいつものように引き寄せて抱き締める。今日は少しだけ強くてちょっと苦しいくらいだ。
「私はやはりこうして抱き締めるほうが好きです」
「私はミアも可愛かったよ? 時間って凄いね。あのミアがこんなに大きくなるなんて」
ブラックの腕の中でそう笑った私にブラックは不満そうな声を漏らす。
「マシロを護れないような私に価値はないです。そんなこというと自分に妬きます」
「意味ないよ」
「なくても良いんです」
うん。でもやっぱり私も今のブラックのほうが好きかも。いわないけどね。ぎゅっと抱き返したあと、問質す。
「それで、何をしていてあんな事態になったわけ?」
新聞にも載ってたんだよ! とぶぅ垂れると私をそっと離したブラックは「あー」と逡巡し「今夜も月が綺麗ですね」と馬鹿みたいな話題の逸らし方をする。私が無言で眉を寄せたのをちらりと見て、ブラックは諦めたように肩を落とし嘆息する。
「実はですね――」
「でも、まあ、無事に戻って良かったね」
「それでブラック何してるんですか?」
翌日の朝。私は皆で朝食を囲みながら経過報告をしていた。とても不機嫌顔で。
「アレは、数日で溜まった仕事の処理。終わったら顔を出すといってたからそのうち来ると思うけど」
私の不機嫌は皆にも伝わっているんだろう極力触れないようにしてくれているのが分かる。ごめんね、迷惑掛けてと思うもののどうしても腹が立つ。私たちがどれだけ心配してどれだかけ方々回ったか……まぁ私はお守りしてただけだけど。
「私との年齢差を埋める為にアンチエイジング効果を狙ってって、あれだけの騒ぎの原因がそれ? 有り得ないよね。うん。ない。ない、絶対ない」
「あははは……流石というかなんというか、発想が凄いよね? 確かに時間を戻せば若返るよ、うん」
私の怒りにどう対応して良いのか分からないのだろうエミルがなんとか取り繕ってくれる。その様子に私は心を落ち着けるように一度だけ深呼吸して「兎に角」と切り出した。
「ここ数日本当に迷惑掛けてごめんね。助けてくれてありがとう」
ごんっとテーブルに頭をぶつけるくらいの勢いで頭を下げた私に皆気にするなといってくれる。本当に私は人に恵まれていると思う。あとで、ラウ先生やシゼにもお礼をいいに行かなくちゃと考えていると、授業に遅れるよとエミルが席を立った。
エミルとアルファのあとを追って食堂を出ようとしたら、ぐぃっとカナイに腕を引かれた。何? と見上げるとカナイは少しだけ逡巡したあと、あのなと切り出す。
「さっきのブラックの話だけど……」
「本当、ごめんね。もう馬鹿な猫なんだよ」
重ねた私にカナイはそうじゃなくてと首を振る。同時に首を傾げた私の背を押しゆっくりと歩き出しながら少しだけ声を潜めて話を続けてくれた。
「俺、あのあと直ぐ一度種屋に行っただろ?」
その言葉に頷く。
「あのとき、爆発があったはずの半地下の様子を見たんだ。そこに少しだけ資料が残ってた。ざっと見ただけだったからあまりはっきりとは分からないし、俺がいうのは違う気がするけど確かに時に影響を与えるものには違いないけど、人一人にどうというものじゃなかった。その程度のものならあいつは失敗なんてしない……」
どういうこと? と首を捻った私にカナイは歩みを止めることなく、うーんと唸ったあと考えながらといった風に話を続ける。
「もっとずっと規模の大きなものだ。俺が思うに……ブラックは月齢を動かそうとしたんだと思う」
「は?」
「二つ月の時を戻そうとしたか、その手段を模索してたんだと思う」
カナイの本当に規模の大きな話に私は当然のように「なんでそんなこと」と眉を寄せる。元々何を考えているかつかみどころがないところはあったけど、そこまで意味不明なことを考えるなんて……。
そんな私にカナイは分かった風に話を続ける。
「マシロの為だよ」
「は?」
裏返る声にカナイは苦笑する。
「ブラックが仕事以外で何かを成そうとするときは大抵お前絡みだろ? 今回だってそうだ。月の時を戻すことが人為的に出来ればどうなるか分かるか?」
そんな小難しいこと私に判るわけがない。素直に首を振った私にカナイはふっと優しい笑みを浮かべた。
「マシロの世界との行き来が可能になるだろ? 次にいつ重なるか分からない現象を待ち望むよりは余ほど堅実的かもしれないけど、普通に考えたら現実的ではないよな?」
笑うカナイに私は頷いたけど、もし、もしもブラックがそんなことをこっそりと考えていたのなら、私はとても悪いことをしてしまった。
「まあ、本人が隠したがったことだし、失敗もしたことだ。お前に変に期待させたら悪いと思って話さなかったんだろうから、聞かなかったことにしてやれよ」
ぽすぽすとカナイは足を止めてしまった私の頭を叩いて先を歩く。
「カナイ。私、今日の授業遅れるから先生とエミルに伝えて」
「はいはい」
そういい捨てた私にカナイはひらひらと「いってらっしゃーい」とばかりに手を振る。私はその姿をあっさり追い越して部屋まで走った。
まだ物置が繋がっていて良かった。
勢い余って開けたら、来客中だったので、すごすごと閉じた。私、何やってるんだろう? ノブを握ったまま反省中。ややして「どうかしましたか?」と扉が開いた。
「もう、誰も居ない?」
「ええ、居ませんよ。居ても別に構いませんよ。マシロが気にしなくてはいけない来客なんて存在しませんから」
にこりとそういってドアを開ききって私を書斎へと招き入れる。
「こんな朝早くからお客さんなんて在るんだ?」
「そうですねぇ。余裕のある方は早朝や夜間を避けますが、そうとばかりはいえませんからね。ここに私が居ればいつでも開店しているようなものですよ」
私に説明してくれつつ展開したままになっていた本棚を元に戻した。買いに来た人だったんだなと受け取って私はそのことに納得し、それはそれとしてブラックを背後から抱き締めた。ブラックはそんなに驚いた様子もなく、そっと私の腕に手を掛けて解くと「どうかしましたか?」と振り返って私の頬を撫で顔を覗き込む。
「ごめん」
ぽつんっと謝罪してまたブラックの視線から逃げるように抱き付いた私にブラックは少し困ったようだ。「どうかしましたか?」と優しく重ねられる。でも、私はこの気持ちをどう言葉にしていいのか分からなくてやっぱり首を振った。
「ただ、なんとなく、ごめんね」
「―― ……」
謝罪を重ねた私にブラックはそれ以上問質しはしなかった。ただ優しく長い指で髪を梳き、頭にそっと唇を寄せる。
ブラックの吐く嘘は優しい。言葉の表面しか感じ取れない私はまだまだ子どもでブラックの優しさに気がつけないことが多い。私自身、もっと大人にもっと沢山のことを感じられるくらい、もっと沢山大切な人のことが判ってあげられるくらいに早く年を重ねたい。
「んー……カナイ、ですね? マシロに口添えしたのは……」
「え?」
「いいえ、こちらの話です」
見上げて見詰めた私に穏やかで優しい笑みを向けてくれるがその腹の底が今は分かる。
「怒っちゃ駄目だよ」
「分かっていますよ。子どもの私は詰が甘い。悟られるようなものをそのままにしていたほうが悪いです。それに……これでも少しは感謝しています」
笑い合ったあと、どちらからともなくそっと唇を重ねる。数回軽い口付けを交わして、勝手に満足し私は授業が在るんだったと図書館に戻った。
図書館側へ戻り際、ブラックがその扉を閉じることを告げた。来客中に無遠慮に開けたことは悪いと思うけど結構便利だったのになと思う。それを察してかブラックは少しだけ笑って扉に手を掛ける。
「こんなもの不要です。私はいつでもマシロの傍に居ますから……それに、エミル辺りはこれを良しとしなかったでしょう?」
問われて私は頷いた。今だけだとエミルは念を押していた。
「エミルはアレでいてとても用心深いですからね。こういう不安要素は取り除いておくに限ると考えると思います。子どもというのは怖いもの知らずです。こんな扉一枚で空間を捻じ曲げ繋いでしまっては、この先に私の宝物があるといっているようなものです」
ですから、私の我がままのようなものですが私を信じて、そして許してください。といって頬を寄せちゅっと口付ける。
―― ……あんな顔されたら、納得しないわけにはいかないじゃない。
やれやれと零した溜息を先生に拾われてレポートの枚数が増えた。因みにカナイも連帯責任。
「俺、関係ねーじゃん」
今日も貧乏くじ担当のカナイの溜息が哀しく落ちる。
そのあと暫くアルファとブラックがどこかの猫とネズミのようにいがみ合ったのはいうまでもない……。
お付き合いありがとうございました。楽しんでいただけたでしょうか?
というか思った以上にシリアス路線になってしまいましたが、ちょこっとでもくすりっと思ってもらえるところがあれば、私的にはグッジョブ! です。
感想など寄せていただけると、誰も想像できないくらいテンション上がりますので良かったら声掛けてやってくださいませ。
次は、第二弾。白蒼月銀狼譚でお会いしましょうっ!