(3)
シャワーも勧めたのだけど狭いからとあっさり却下され、ミアは種屋に戻った。私はエミルがいった通り少し疲れていて、欠伸をかみ殺しながらシャワーを浴びた。一息ついて、髪を拭きながら部屋に戻るとミアがぼんやりと机の椅子に腰掛けて僅かにしか覗いていない月を見上げていた。
私の気配に気が付いたのか、ふっと瞼を落としたあと私のほうへ顔を向けまじまじと見詰める。私は傍のベッドに腰掛けると「どうしたの?」と問い掛けた。ミアは少し迷ったようだけど穴が開きそうなほど私を見たあと口を開いた。
「マシロの瞳は僕と同じ色だ。凄く変わってる。獣族でもないし……」
凄く考えながらそう口にして、まるで、白い月の少女のようだと締め括った。結局何も覚えていなくても私の容姿からそういう結果に辿り着くのだなと思うと私は少し笑ってしまう。
「別に私は白い月の少女ではないけど、でも、そう呼ぶ人は少なくないよ」
ほんの少しだけ苦味を含んだ笑みを零してそういった私にミアは少し困惑している。そしてゆっくりと確認するように言葉を繋ぎ問い掛けてくる。
「何故、私に手を貸す? 私は、一人で出来る。現状さえ確認出来れば傀儡を操りながら時を戻す薬を精製するくらい大丈夫だ」
「一人でやるより早いかもしれないし、楽でしょ。それに楽しいし」
「ぼ……私は、一人で出来る。そうしなくてはいけないんだ。私は種屋を継ぐものなのだから」
まだ時々「僕」と出てしまうミアに私は「僕で統一したら?」と笑ったら物凄く赤くなって「私で良い!」と突っぱねた。なんだろう。物凄く、子どもらしい。ブラックも種を飲むまでは年相応の少年だったのかな。
「ブラック……んー、ミアはもう種屋だよ。貴方の中には種がある。もう種屋の素養は貴方のものなんだよ。でも彼も一人で何もかもやってたわけじゃないよ。確かに沢山のことを一人でこなしてはいたけれど、それでもブラックは人を使うことを厭わない……助けてもらってるなんてことは思ってないと思うけどね?」
ミアは私の言葉にそっと自分の胸に触れる。そして眉を寄せ溜息一つ。
「……僕は素養を見る目を持っているけれど、その目は自分のことだけは見せてくれない」
「ミアのことは私が見てるから大丈夫だよ」
「マシロは見る目を持っているのか?」
「ううん。ちっとも。それはミアが一番良く分かるんじゃない?」
ふふっと笑いを零すとミアは暫らく私を眺めたあと、困惑したように表情を曇らせ首を振った。私は少しだけ腰を上げて腕を伸ばすとそんなミアの頭を撫でた。ミアは一瞬ぎょっとしたような顔をしたものの、振り払ったりはせず「子どもじゃないからやめろ」と眉を寄せた。
「マシロは分かるとしても……大体どういう関係?」
「なんで私は分かるのかというのも気になるけど、ブラックと皆の関係は友達だよ」
にこりと答えたのにミアは噴出した。有り得ないとお腹を抱えて大笑い。笑っている内容はいただけないけれど、思っていたよりずっとミアは表情豊かな子だと思う。
「それで? マシロと彼らは」
「私も友達だよ。あと学友だったりもするし、カナイとは階位も一緒だよ」
「……カナイはあの背の高い奴だな。マシロと同じ階級で階位って……彼は図書館と関係ないはず。僕の目が狂っているのでなければ、魔術系の素養がずば抜けていて、類稀なといわれてもおかしくない。金髪に小さいのだって図書館とは関係ないはずで……関係あるのは」
「エミルとかシゼくらいだよね。あー、その辺話すと長くなるけど、まあ、色々あって皆図書館の学生なの」
私ははしょったがミアはふーんと頷き、質問の核心に触れるように真っ直ぐに私を見るとゆっくりと続ける。
「最後に……マシロは僕の何?」
「お互いに大切な人だよ」
私は一時もミアから目を逸らすことなく答えた。ミアは暫く私の真意を窺うようにじっと見詰めていたが、不意に顔を伏せると「有り得ない」と首を振った。
「種屋が家族や友人を持つなんてこともないだろうけれど、ましてや、恋人なんて有り得ない。絶対にない」
全否定だ。
私は、ミアの全力の否定に乾いた笑いが零れた。
「マシロも分かっているはずだ。種屋が世界でどんな目で見られていてどんな位置にあるか……それを恐ろしく思わない人間はここには居ない」
「ここに居るよ」
「は?」
「だから、ここに居る」
にこりとそう告げるとミアは目を丸くする。
「私は元々この世界の住民ではないというのもあるけど、ブラックを怖いと思わないよ。ブラックは私にとても良くしてくれるし、あ……あー、あ」
「あ?」
「愛してくれてると思う」
恥ずかしいっ! 自分で口火を切っておきながら、あまりの恥ずかしさにいい捨ててぼふっとベッドに突っ伏す。呆れているっぽいミアにこっち見るなと手でジェスチャーして、うーっと唸る。
その様子にやっぱり呆れていたのかミアははぁと嘆息して立ち上がると「帰る」と物置へ向かった。反射的にちょっと待って! と止めた私にミアは振り返り首を傾げる。ミアの顔も少し赤い気がする。
「わ、私が異界人ってとこには突っ込まないの?」
私の問い掛けに、ミアは眉を寄せ溜息一つ「……突っ込んで欲しい?」反射的に首を振った。
「僕はまだ会ったことないけど、別にそれだけで完全否定出来る要素とは思えない。だから、マシロを否定するのも……違う気がする。それにそんなことは重要じゃない。今は僕の何らかの実験で今現在この世界に種屋の知識を持ちえるものが不在ということだ。兎に角早く事態の収拾をしないと」
もう用事はないとばかりにドアを開けたミアをもう一度呼び止める。まだ何かあるのか? というように眉を寄せたミアに私は微笑んだ。
「一人で頑張らなくて良いからね」
そしておやすみと手を振った。ミアは何も答えなかったけれど「おやすみ」とだけぽつりと返してくれた。
翌日からエミルとアルファは材料調達に王都の外に出てくれている。カナイと私は市場で手に入りそうなものと他に必要なものをラウ先生に教えてもらってその買出し班だ。
「薬草関係はラウ先生が温室担当責任の先生に直接掛け合ってくれるっていってたから、生もの系の入手だよね。これって簡単なの?」
「簡単じゃねーよ。市にあるかどうか分からない。でもまぁ、裏で取引されてないか聞いて……って、なんで、ミアがここに居るんだ?」
「問題ないだろ」
「いや、問題はないが、人手は足りてる。お前、傀儡に任せ切りで大丈夫なのか? 問題が生じたときに傍にいたほうが……」
「私の傀儡はそんなに柔じゃない。直ぐに崩れたりしないし、王都から種屋までそれほど距離もない。平気だ」
自分も行くといいだしたミアは引かず結局一緒に出掛けることにした。ミアのいい分に距離はあるだろとカナイは呆れ気味だがそれ以上駄目だともいわなかった。簡単に手に入るものは揃ってから連絡を貰うようにした。入手困難な品に関してはカナイが交渉してくるからと一人で出掛け、私とミアは広場のベンチで一休み。
ラウ先生の話では材料さえ揃えばそれほど難しい薬じゃないといってくれた。先生曰く、裏技的な薬だから、今のミアには思いつかないだろうと笑っていた。あんにブラックなら直ぐに用意してしまうようなものだといってるようだった。
どうせ自分たちの用意したものでは飲めないだろうから準備とレシピのみ整えておくからと微笑まれた。
「いー天気だねぇ」
ひょいと広場に出ている露天で買ってきたジュースを差し出すとミアは少し驚いていた。そしてそれを受け取るとすんなり口をつける。
「毒見しなくて良いの?」
隣に腰掛けつつそう訪ねるとミアは緩く笑った。う、美少年だ。
「一般的に出回る毒性のものは特有の香りがするから直ぐに分かる。それに店先で中毒者が出ては、あの店は今後商売が出来なくなる。そんなリスクわざわざ犯さない。図書館はそういったものが多いから、あそこでは無味無臭の毒も生成可能だし躊躇してしまったけど……」
少年が考えるような思考回路じゃない。でも、蒼月教徒で教わるのはまず死なない方法だといっていた、こういう思考が習慣的になっているのだろう。私はそっかと頷いて自分の分を飲む。絞りたてのオレンジは濃厚でとても甘い。
「マシロは人徳があるんだな」
「え? ああ、皆が助けてくれるから?」
ミアの言葉に苦笑しながらそう聞き返すと、こくんっと頷いた。
「んー。どうなんだろう? 私のというよりは皆が優しいからじゃない? 私はこの通りお守りくらいしか出来ないし」
「僕は別に面倒を見て欲しいなんて!」
がたんっ! と勢い良く立ち上がったミアに笑った。可愛いぞ。
「ミアはさ……種屋をどう思ってるの?」
なりたい職業ランキングに上がるとはとても思えない。ミアは私の質問にいきり立って立ち上がった腰をもう一度ベンチに戻して不思議そうに「どう?」と繰り返す。
「うん。将来何になりたいとか色々あるじゃない? 将来の夢。その中に種屋なんて入ってるのかなって?」
「そんなこと考える必要ない。僕は獣族の中で一番全ての素養が秀でていた。だから、蒼月教徒の手に預けられ、受け入れる限りの知識と教養を身につけた。まあ、確かに”もしも”に備えて候補生という形で最初は数人居たけどな。夢? そんなもの持っている人間がこの世界に居るとは思えない。マシロは変だ。僕は生まれたその瞬間から種屋になるだろうことが決まっていた。種屋を引き継ぎ、独りで世界のルールを護る。種は世界の秩序だ」
僕にしか出来ないことだ。ぽつりと零して締め括りミアはジュースを喉の奥へ流し込んだ。私はそんな様子をただ見ていた。もう、ブラックは既に長い間種屋をやっている。だから今更それを覆すことは無理だと思う。カナイの話では種らしきものは転がっていなかったというし、種屋の種はミアの中だ。だから、ミアは種屋に戻らないといけない。残念ながら私も其れを願う。まだブラックを失いたくはないから。
でも、もしも私が種屋になる前のブラックに出会っていたら……きっと私はブラックを迷わせて苦しめるだろう。
「マシロ?」
思わず呆けているとミアは私の膝に手を乗せ顔を覗き込んでいた。予想以上の近さに私は思わずびくりと肩を跳ね上げジュースを引っくり返す。しまった! と思ったけど冷たい感触に襲われることなく其れは宙に止まった。手の中にカップが戻ると同時にミアにありがとうと告げると「僕じゃない」と首を振られた。
「お前がお守りされてるみたいだな」
カナイのお帰りだった。