―中編―
―― ……ぼっ
「……あ、ありがとう」
「別に良いけどな? お前、平気で解剖とかするのにこの辺の何が駄目なわけ? 俺、歩きづらいことこの上ないんだけど」
私の足首を絡め取った蔦を容赦なく燃やして撤退させてくれたことには感謝するが、いちいち五月蝿い。
「解剖だって好きでやってるわけじゃないよ……それに、予想外。心構えが出来てない。大体、普通植物歩いたり攻撃してきたり動いてるもの食べたりしないでしょ」
こんなところだって分かってたからブラックも大丈夫か聞いたんだ。
「……? そんなのもなくてお前の居たところでは植物園で何を見るんだ?」
「植物ですっ!」
「なら同じだろ? 植物の生態」
……聞いた私が悪かった。
でもちょっと納得。こんな場所だからお化け屋敷感覚でカップルが目に付いたんだ。
「エミル大丈夫かな?」
「大丈夫だろう? エミルは紳士だから、ルイに迷惑掛けられても嫌な顔見せたりしないだろうしな。それに、バレてそうなものだけどお前の友達ってことになってるんだ。嫌な態度は取らない」
きっぱりそういわれて何だか不思議な気持ちになった。私はその名前のない感情に首を傾げつつ、止まった足を踏み出した。残り半分くらいらしい。
「あまりこういうことにマシロを巻き込まないで欲しいです」
「……え?」
順路を辿り奥へと消えていく後姿を見送ったあとぽつりと零したエミリオの言葉にナムルイシュヴァは肩を跳ね上げた。
エミリオは穏やかな調子のまま言葉を繋ぐ。
「キリア辺りが仕組んだのでしょう? 私はまだ王宮に戻るつもりはありません。それに貴方も私のような末の王子がお相手では分が合わないお家柄のはずです、キリアに何を吹き込まれたのか分かりませんが私では行く末は明るくはありませんよ?」
にっこりとそう告げられナムルイシュヴァは萎縮したが園員のどうぞという言葉に背を押され園内に足を踏み入れた。
「手をどうぞ?」
さっきまでの様子では突き放されてしまっていたのに自分に差し出されているエミリオの手に驚き逡巡した。
「貴方のような方が楽しまれる場所ではないと思いますが、抜けなくてはいけません。もう暫く私に付き合ってください」
とにっこりと微笑まれ、ナムルイシュヴァはおずおずとその手に重ねた。想像よりもずっと大きな手に包まれて胸が跳ねるのと同時にいい知れない寂しさに包まれる。
「……それは、マシロの為、ですか?」
ぽつりと零したナムルイシュヴァの言葉にエミリオはその姿を振り返ることなく「すみません」とだけ告げて足を進めた。
「ルイっ! 大丈夫だった?!」
園を抜けたところでベンチを陣取ってぐったりしていたものの、ルイとエミルが出てくるのを見つけて駆け寄った。お嬢様にはさぞかし辛い道のりだっただろう。
「ごめんね、私、植物園がこんなに危険なところだと知らなくて……」
「大丈夫ですよ。エミル様がご一緒でしたし……マシロの悲鳴が後ろまで聞こえました」
「え? 嘘っ!」
「冗談です」
ふふっと悪戯な笑みを浮かべるルイに私はそりゃないよと肩を落とす。
「あー、お疲れさん?」
「カナイも付き合いが良いよね。最初から加担してたならお仕置きが必要かな?」
私はカナイがそんな呪いを掛けられているとも知らずに、ひとしきりルイの安否を確かめたあとエミルの傍にも寄った。エミルはにこりと微笑んでお疲れ様といつもと変わりなく頭を撫でた。
「これから甘いものでも食べに行かない? 本当は間食用にと思って作ってきてたんだけど途中で取られちゃったから」
居た堪れなくてエミルの手をそっと降ろしてそういった私にエミルは相変わらずの笑顔で良いよと頷いてくれる。
作ったのはサンドイッチとマフィンだったのに。奪われるままにしておいたカナイに意図的なものを感じて怒りたいのは山々だったけど今回はカナイに救われたので一応我慢した。
それから皆で夕時まで時間を潰し、私はカフェの前でルイを送るからと二人と別れた。アルファへのお土産に意図的に冷たいものを選び、早く届けてあげて欲しいと押し付けて帰したのだけど大丈夫だったかな?
「ええっと、少しは仲良くなれた、かな?」
正直見ず知らずに近いルイと二人きりになると言葉に詰まるのだけど、四人で居たときに比べれば肩の荷が下りた気分だ。ルイはお上品に微笑むと「そう、ですね」と頷いてくれた。
「ルイはエミルと面識があったの?」
「はい。パレードのあとに行われる夜会でお目に掛かったことがあります。エミル様は覚えていらっしゃらなかったようで、良かったのか悪かったのか……でも、改めてお会いできて良かったです」
そういって夕焼け色に頬を染めて極上の笑みを零すルイに、胸を撫で下ろす。夜会ね。私には永遠に縁がない感じだけどそういうのが彼らの世界なのだろう。
エミルに隠し事は悪かったと思うけど、ルイがこんなに喜んでくれたなら良かった。
「エミル様はとてもお優しい方ですね」
「え? ああ、うん。そうだね。エミルは優しいよ。図書館に入ったばかりで右も左も分からなかった私のことも助けてくれたし、皆に慕われているし……シゼなんて、ああ、シゼっていうのは十四歳くらいの図書館生の男の子なんだけど、エミル教徒って勢いで大好きなんだよ。私はもちろんだけど、アルファやカナイまで目の敵にしちゃってエミルを独り占めしたいーっ! てのが見えてね? 逆に凄い可愛いの」
あははっと笑ってしまって自分ばかりが喋っていることに、はたと気が付く。慌てて謝罪するがルイが特に気分を害した風でもなくてよかった。
「マシロも皆さんに慕われているんですね? エミル様には特別に……」
ふ……っと瞳を伏せてそういったルイに私は焦る。
「そ! そんなことないよっ! エミルは皆に優しいんだよ!」
「ですが、エミル様は貴方をお慕いしていると」
「そういう話がなかったわけじゃないけど、わ、私には恋人も居るし」
女友達ってなると私はこういう口論をするのが定番なのだろうか。誰に非があるのか混乱して私はきゅっと唇を噛み締めた。そんな私に気が付くでもなく、ルイは私の言葉を口内で復唱し問い返してくる。
「恋人? 今日ご一緒してくださいました、カナイ様ですか?」
「え、ああ、いや、違うよ。カナイは友達。カナイと恋人だなんて有り得ない。ずーっと喧嘩してないといけない気がする」
ちょっと黙して考えてみるが、私とカナイが恋人同士なんてどうやったら見えるんだろう?
「えと、私の恋人は……多分、近くに来てるんじゃないかな? 大抵こういうときは仕事さえケリが付いてたら傍に居るんだけど……」
居なくて当然なのだけど一縷の望みを掛けてきょろきょろと見回してみる。特に足元。その様子にルイは「小さな方なんですか?」と可愛らしい問いを掛けてくれる。
「いや、小さいっていうか……私の為にあんまり表立って出てこないというか……あ、居た」
まさか、本当に居ると思わなかったよ。私は苦笑しつつもとことこと歩み寄ってきた黒猫を抱きかかえる。そして顔を上げるとルイが怪訝な顔で見ていた。
「ルイをからかうのはやめてください。確かに綺麗な猫ですが、恋人というには冗談が過ぎます」
そういってルイが私の腕の中へ手を伸ばす。女の子に爪を立てるなんてしないと思うけど……冷や冷やと見守っていると、ルイの指先がブラックの額に届く寸前。ひゃっとルイの可愛らしい悲鳴が聞こえ、私の腕の中かが軽くなった。
「触らないで下さい。私はマシロ以外に触れられるのは不愉快です」
ルイに大丈夫かと尋ね抗議の目で振り仰げば、当然ブラックだ。ルイは驚いていたようだけど、手の甲も僅かに赤くなってる程度で直ぐに治りそうだ。ほっと胸を撫で下ろす。それにしてもこういう時に元の姿に戻るのは珍しい。さっきまでの話題の所為でルイのことへの怒りよりも、姿を戻してくれたことへの喜びのほうが大きい。私は身勝手だ。
「ブラック……良いの?」
私は余ほど情けない顔をしていたのだろう。ブラックは困ったように微笑んで私の頬を撫で目じりを拭う。別に泣いては居ないと思うけど。
「貴方、は……」
「種屋のブラックです。闇猫とも呼ばれますね。名前くらいはご存知でしょう? 世の上層部とは割りと懇意ですから」
にっこりと営業スマイルのブラックは薄ら寒い。ルイは視線を彷徨わせどう応えて良いのか分からない様子で一歩引いた。
「貴方が王子を射止めてくださればと思ったのですけどね? 私にとってはとても邪魔なのですが、マシロがお友達を消すと怒るので」
ブラックのいつもの冗談で、ルイが息を呑んだのが分かった。ブラックの冗談も分かり難い。……冗談、だよね?
私は乾いた笑みを零した。
「と、兎に角。ブラックの冗談は良いんだよ。うん」
「え? あ、はい。冗談ですよね」
冗談ではないといいそうだったブラックを小突いて黙らせルイととりあえず笑いあう。そして、迎えの馬車を発見してルイとは別れた。別れ際、何だかルイがまた私と会いたいといってくれたのが凄く嬉しかった。正直散々な気がしたけどルイ本人は多分そんなに悪い子じゃない。