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第六十一話:種屋のお仕事(2)

 ブラックは部屋に戻ると、私が初めてこの世界で目にしたときと同じように、隠し棚を出し瓶をひとつ取り上げた。

 きゅっと蓋を取り除いて、さっき受け取った種を、ころんっと中へ容れ再びきゅっと蓋をする。


 私は窓から屋敷をあとにする二人を見送ったあと、ブラックを振り返った。

 ブラックはまだ、まじまじと瓶に大人しく納まっている種を見詰めていたが、私が呼ぶと直ぐにいつも通りの笑顔で振り返ってくれた。

 そして本棚を元に戻すと私の傍に歩み寄り、開けた窓からの風に乱れた髪を整えてくれる。


「ねぇ、ブラック。白化って何?」


 私の素朴疑問にブラックは穏やかな調子で私の髪を梳きながら話してくれる。


「白化というのは種屋の仕事の一つなのです。種から記憶を抜き出すことを指します。種は最初命を持っていたときの記憶を抱えているんです。でもそのままだと売り物にはなりませんから、記憶を抜き素養そのものにするんです。その作業が『白化』といわれます」


 ブラックの説明に、ふーんっと曖昧に頷けば、ブラックはくすりと笑みを零し、私の髪にキスをして、もう少しだけ待っていてくださいね。と続けて机に戻った。そして、ばさりと束になった紙を取り出して仕事を再開するようだ。

 インク瓶の蓋を片手で器用に開けペン先を浸し話しの続きをしてくれる。


「抜き出された記憶は、大抵の場合直ぐに消えてしまいます。だから、そんなものに価値などないと思っていたので、この部屋はいつもあの光で溢れていました」

「え? でもさっきは」

「ええ、最近は望むなら記憶は持ち帰っていただくことにしています。相変わらず、価値があるとは思えませんが、どうせ放っておいても消えてしまうものですから。でも正直いうとそのせいで時間と手間が以前の倍くらい掛かってマシロに心配を掛けてしまうことになってしまいました」


 アルファが人が死なない日はない。といっていたのを思い出して私は納得した。

 「もしかしてこういうのを本末転倒というのでしょうか?」ふと手を休めて呟いたブラックに、私はそんなことないよと答えた。

 そのきっぱりとした私の返答に「貴方がそういうならそうなのでしょう」と微笑み、止まってしまっていた作業を再開した。


 ブラックの使う羽ペンの羽が揺れているのをぼんやりと見ながら私はそっとその隣に立つ。


「そういえばあのお爺さん、娘さんも亡くしているの?」

「ええ、七年近く前の話ですよ」


 じゃあ、ユイナちゃんが出来ると直ぐに亡くなってしまったんだな。

 そう思うとなんだか切なくなった。

 私はその気持ちを払拭するために勤めて明るく話を続ける。


「ブラックは記憶力も良いんだね? 七年も前の話私なら覚えてないよ」


 にこりとそう告げたところで、ブラックは手を止めて紙の束をとんとんと重ねる。終わったのかな? と、思いお茶でも淹れるよと部屋に置いてあったティーセットの載ったワゴンまで歩み寄り手を掛ける。


「私は……いえ、種屋は、忘却を許されないのです」

「え?」


 カップにお湯を注ぎ暖めていると、ブラックの愁いを帯びた声が耳に届いて私は慌てて顔を上げた。

 ブラックは、椅子に深く腰を掛けてもう闇が支配し始めた空を見ている。


「種屋の種は白化されずに受け継がれます。この素養が全ての世界で、種屋だけはその素養がないんです。強いていうなら全ての素養を持ち全ての素養が均等であることが種屋の素養かもしれませんけどね? だから、実質種屋が代替わりするときには前店主の種を飲むんです」


 私が始めて手を掛けたのは、先代の種屋店主です。そう続けたブラックに、私は手を止めて傍に寄った。

 そっと手を伸ばすと空を仰いでいた瞳は私に向けられる。

 苦悶に満ちたその表情は私の知っているブラックのどれでもない。初めて見る顔かも知れない。


「あのときのことは、鮮明に覚えています。彼は年老いて種の売買以外の仕事が出来なくなっていた。だから代替わりを余儀なくされていたのを、本人も悟っていたのでしょう。何の抵抗もされなかったのでとても簡単でした。たった一突き。一瞬でした。それで彼は消えた。種屋の種はずっと白化されることがないからか、血のように赤かった。私はその場でその種を飲み下した」


 苦しそうに言葉を繋ぐブラックに絶えかねて、私は彼の首に両腕を回しぎゅっと抱き付いた。ブラックはそんな私の身体をそっと柔らかく抱き留めて、自分の膝へと腰を下ろさせてくれる。

 丁度、耳元に胸がくると、とくん・とくんっと、彼の規則正しい心音が聞こえ、顔を上げるとやんわりと微笑まれた。


 そして眉を寄せるとブラックは謝罪する。


「優しい貴方には酷な話をしてしまいましたね? すみません。折角マシロが傍に居てくれるのにこんな話はやめましょう」


 前に流れた私の髪をそっと後ろへ流し、優しく頬に口付けてそういってくれたブラックに……私は首を振った。


「続けて良いよ。ちゃんと聞くから、ブラックのことがもっと知りたいから」


 お願い話を続けて。と口にした私にブラックは少し戸惑ったようだけど、ふぅと長い息を吐ききって再び軽く吸い込むと話を続けてくれた。


「服用した瞬間膨大な量の記憶が、どっと流れ込んできました。気が振れそうなほど暗く陰湿で、孤独……悪意と欲に満ちたものばかりでした。種屋は世界の混沌とした闇の部分には必ずといって良いほど関与しています。私はこの世界の黒歴史の生き字引ですね」


 自虐的な笑みを零したブラックに、ぎゅっと胸が締め付けられ私は堪らず抱き付いた。そんな私を柔らかく抱きとめてくれるブラックの抱える闇は私には想像も付かない。


「先代の種を服用してから私は何も感じなくなりました。人を殺めることも、裏切ることも騙すことも私の心は動かない。私には最初から心なんてなかったのかも知れない。マシロが月から落ちてくるまでは退屈で無意味な時間が多く流れました」


 そういって私に顔を寄せるとこめかみや瞼に軽く唇を寄せる。そして顎を少し上げた私と唇を重ねようとして、ふと思い出したように問い掛けてきた。


「そういえば私に話があったのではなかったですか?」

「な、ないよ?」


 これだけの黒歴史を聞いて、その上に「誰かに毒を盛られて飲んだことがありますか?」なんて聞けるはずない。

 咄嗟に首を振った私にブラックは不思議そうな顔をする。


「私のことですか? それともマシロのことですか? はっ! もしかして浮気ですか! 本気だったりしないですよね」


 だからなんでそんな流れになるんだ。昨日、過労で倒れた人とは思えない元気さだ。

 私が呆れて次の言葉を出せないでいると、ブラックは短く息を吐いて「冗談ですよ」と繋いだ。ブラックの冗談は本当に分かり辛い。


「それはないとしても、マシロはとても辛そうでしたよ? 私では荷が重いということでしょうか?」


 ブラックは聞きだし上手だ。そんな風にいわれたら私は口を開くしかない。

 それに咄嗟に嘘話が出来るほど私が口が上手くないことも分かっていて、だからやはりブラックには敵わない。渋々、口を開いた私にブラックは瞳を細めた。


「薬のことなんだけど……」

「あ……弾いてしまってすみませんでした。大人気なかったと思います」


 私の手に指を絡めて、本当に申し訳なさそうに眉を寄せ謝罪するブラックに、それは良いんだけど。と続ける。確かに心が痛んだけど、裏事情があるのなら仕方のないことだとも思うし。


「もしかしたら毒を飲んだ経験があるんじゃないかな……って」


 ごにょごにょと続ける私にブラックは、どうしてそんなに聞き辛そうに口にするのか分からないというふうに、はあと曖昧に頷き「ありますよ」と簡単に肯定する。

 あるの?! と、驚いた私にブラックは「ええ」と頷く。


「私がまだ幼い頃です。確か蒼月教徒の本部で生活し始めて暫らく経った頃ですね。実母に盛られました。いわれてみれば、飲めなくなったのはそのあとからかも知れませんね」


 やっぱり……と、眉をひそめ落ち込んでいる間にも、話を続けてくれたブラックには聞き捨てならない台詞が数箇所あった。

 はたっと顔を上げてブラックの瞳を覗き込む。

 特に動揺した様子も悲しんでいる様子もない。でもブラックは凄いことをさらっと口にした。


「実母に盛られたって」


 私なんて口にするだけで少し声が上ずった。ブラックはそんな私にくすくすと笑いながら「私にも親くらいは居ますよ? 木になっていたわけではないですからね?」と、的外れなことをいう。


「いや、そこじゃなくて。どうして、お母さんがそんなこと」

「知りません。種屋に選ばれてしまった息子に幻滅したのかも知れないですし、自己保身のためだったのかも知れない。他に何か深い理由が彼女にあったのかも知れない。ですが、それを今マシロのために言及したいと思いましても、もう尋ねることも出来ません。彼女は、その件で蒼月教徒に消されましたから」


 消さ、れた……ということはつまり殺されてしまったということだ。

 口の中でブラックの言葉を反復させる。

 顔色が優れませんね? 大丈夫ですか? と私の顔を覗き込んでくるブラックの表情からは動揺は見て取れない。

 そんな事件よりも私の顔色の方が気に掛かっている感じだ。


「どうして……? どうしてブラックはそんなこと平気で口にするの?」

「はい? 別に大したことでは……あ、えっと、す、すみません。その……あー……大したことなんですよね。ええ、ええ。そうですね。吃驚です」


 私の反応に慌てて取り成すが、百パーどこが吃驚なのか自分でも分かっていないのだろう。

 目が泳いでいる。

 はー……と思い切り私が嘆息すると、肩を落としたブラックがすみません。と、詫びてくる。別にみんながみんな同じ感情を共有出来るとは思わない。思わないけど普通なら凄い事件だと思う。


 ブラックに心がないなんて思わない、でもまだまだきっと欠けているのだろうなと感じてしまう。

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