表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/100

第六十話:種屋のお仕事(1)

「―― ……いっ、大丈夫かい? お嬢さん」


 目を開けるとお爺さんの皺の深い顔が、心配そうに覗き込んでいた。

 飛び跳ねるように目を覚ますと、お爺さんは胸を撫で下ろしているようだ。その傍でお爺さんの服の裾を掴んでいた女の子が泣きそうな顔で私を見ていた。

 前方からは「終点まで着いてるよ」と声を掛けられる。


「あ、その。大丈夫です。降ります」


 お爺さんにお礼をいって御者にも告げ腰を上げる。

 お姉さんはもう既に降りてしまっているようだ。

 二人が降りるのを待って私も馬車から降りると、女の子がちらりとだけ私を振り返ってお爺さんに小声で告げるのが聞こえる。


「あのおねーちゃん目が黒いね。マリルさまみたい」


 私は苦い笑いを零して聞かないふりをする。ここに住んでいる人でなければきっと向かう先は一緒だ。私が相変わらずメルヘンタッチな町並みを眺めながら歩いているとお爺さんに声を掛けられる。


「悪い夢を見ておったようじゃが、もしかして種屋に用向きかい?」


 顔に沢山の皺があって老齢を感じさせるが、その殆どは笑い皺のようで、とても優しそうな笑顔を向けられ私は曖昧な返事を返した。


 夢? 見ていたつもりはないけど確かに気持ちの良い眠りではなかった。


「種を買うならおよしなさい。分不相応なものを持っても救われるとは限らんよ?」

「……え、っと。はい。心配していただいて有難うございます。でも私は種を買うわけではなくて、その……店主に用があるだけですから」


 自分のことをどう説明して良いか分からなくて、私が遠巻きに説明をするとお爺さんは皺に隠れて余り見えなくなっていた目を見開いた。


「やめなさい! 何があったかは知らんが、そんな形で私怨を晴らすもんじゃない!」

「え! あ、ち、違います! 私は別に誰も恨んでませんし、そんな怖いことをお願いに行くんじゃなくて……その、ええっと」


 顔の前で両手をぶんぶん振って否定した私に、お爺さんはどこか寂しげな顔をしたあと「それなら良いんじゃ」と後生大事に抱えている小さな箱を見詰めた。

 そして感慨深げに細く長い息を吐く。


「闇猫は心を持ってはおらん。冷酷で残忍な男じゃ。お嬢さんのような娘さんはあれに囚われるのかも知れんがの……気をつけなされ」


 ぽつぽつと続けられたお爺さんの言葉が私を苦しくさせる。

 でも、それがブラックの世間一般の評価だ。


「……お、お爺さんは種屋に用事ですか?」

「ユイナはね、おばあちゃんを届けにいくの! それからユイナのそようもみてもらうの」


 お爺さんの服の裾を掴んで並んでいた小さな女の子がどこか楽しげに口を開いた。その楽しげな表情に私の心はぎゅっと苦しくなる。

 そんな私に気が付いたのかお爺さんは「良いんじゃよ」と優しい声で私に告げてから、穏やかな笑みを湛えてそっとユイナちゃんの頭を撫で「そうじゃな」と頷いた。


 門前からどちらが先に入るかで譲り合ったあと、少しでも長く手元に種を置きたいのだろうお爺さんの気持ちを汲んで私が扉を開いた。

 いつも通り重々しい音がしてゆっくりと扉が開かれ…る……。


「マシロっ!」


 私の視界は衝撃と共に真っ暗だ。


「遅かったですね? 馬車が到着してから何をしていたのですか? カナイから傀儡で連絡が来たときには驚きましたが、私に会いたくて仕方なくて遠路はるばる来てくださったのですね」

「……げ、元気、そうね?」


 べったりと、私にくっついてしまったブラックを引き離して呼吸を整えながら口にすると「ええ」と頷き満面の笑みを見せてくれる。

 ちょっとは驚かせようと思ったのに、先にカナイから連絡が入っていたのは残念だ。

 でも、すれ違う可能性のほうが高かったのだから、やはりカナイはそれなりに気が利くわけだ。


「薬も飲みましたし大丈夫ですよ。今夜はこちらで休みますよね? 今日の来客はあとお一人だと思いますので少しお待ちいただければ」

「そのお一人様と一緒して来たんだけど?」


 私ががっくりと肩を落として後ろが見えるように立ち位置を変えるとブラックは「おや?」と可愛らしく驚いて「いらっしゃいませ」と微笑んだ。

 二人に入るように促してちょっと面食らっていた二人が、ゆっくりと屋敷に踏み入ると扉はぱたんっと静かに閉まる。

 ユイナちゃんがほんの少し怯えたように扉を見たので、小声で「大丈夫だよ」と告げると無言でこくんと頷いた。お爺さんは手にしていた小さな箱の蓋を一撫でして、そっとブラックに差し出した。

 ブラックはそれを受け取ると箱の蓋を開け中身を確認し軽く頷いた。


「お疲れ様でした。確かに受けとりましたが代金のこともありますし、折角ですから白化もご覧になりますか?」


 私には、ブラックが何をいっているのかさっぱりだが、お爺さんには驚きだったようだ。肩を僅かに強張らせて恐る恐るといった風にブラックの顔を見詰めたあと仰々しく頷いた。


「では書斎のほうへ参りましょう。マシロは私の私室か自室で休んでいてください」


 足を進めたみんなのあとに自然と続いていたが、ブラックにそういわれて、はたと気が付いた。

 仕事に勝手についていくわけにはいかないよね。

 苦笑して、そうだね。と頷くと足を止めた私の手をユイナちゃんが掴んだ。


「おねーちゃんもいっしょにいこう」


 きゅっと小さな手に力が篭る。

 幼いときの郁斗がお姉ちゃんっ子でいつもこうやって小さな手で私を掴んで放さなかった。困った私にお爺さんが「同席しても構わんよ」と微笑んでくれそれに続く形で「ご本人たちが構わないなら私は歓迎します」とブラックからも了承を得、書斎に入った。


 アンティーク調の応接セットに座るように促され腰を下ろしたけど、こんなものいつからこの部屋にあったのだろう? 私が小さく首を傾げるとそれに気が付いたのかブラックが「最近置いたんですよ」と微笑む。


「さて、と……」


 みんなが座ったところで、ブラックは手にしていた箱の蓋を開けた。

 ふわふわの真綿に大切そうに埋もれていた種。

 その扱いだけでも、お婆さんがとても幸せなときを過ごしていたのだろうと想像出来た。

 ブラックはその種を丁寧に取り出すと、左手で受け右の人差し指で、コンコンと二度叩くとその指先で種から何かを取り出すように大きく弧を描いた。


「……ふわぁ……」


 思わず感嘆の声が漏れた。

 お爺さんも同じ反応で「おぉ……」と声を漏らす。


 種からは


 ―― ……パラパラパラパラ……


 という音と共に映画のフィルムのようなものが溢れ出る。

 ブラックはどんどん溢れてくるフィルムを器用に右手の上で纏めて巻き取っていく。種からフィルムが尽きるとブラックの手の上で丸まったものが、静かに柔らかな光を放っていた。


「はい、これでお仕舞いです。今夜一晩も持ちはしないと思いますが、翁にこれは必要ですか?」


 ブラックは、すっとお爺さんのほうへ腰を折って手の中のものを差し出した。

 お爺さんはまたも驚きに肩を強張らせたようだけど、両手でブラックからそれを受け取る。

 うっすらとお爺さんの目には涙が溜まっているようだ。


 その表情にブラックは困ったような顔をしたあと、続けてずしりと重たそうな布袋をお爺さんの前に置いた。お爺さんは、手の中のものをじっと見詰めていたがその音に顔を上げると「金はいらん」と首を振ったが、同じようにブラックも首を振った。


「これは種の代金です。私が種に対して代金を支払うのもルールです。そして翁は受け取るのがルール。これは以前にもお話しましたよね?」

「では、これで孫娘の素養を見てやってくれんか?」

「私がお孫さんの素養を……ですか?」


 その言葉にブラックは首を傾げつつも「構いませんよ」と頷いた。

 そっと床に膝を着いたブラックはユイナちゃんを、こちらへと手招きした。

 まだびくびくしていたユイナちゃんの背中を押してあげると、私まで引っ張り出される。「マシロはレディに触れないで下さいね?」と念を押されて私は頷くと傍に立った。


 やや沈黙が流れたあとブラックはふふっと笑いを零した。


「レディ、私を見てください。耳ではなくて」


 ユイナちゃんは、猫耳に釘付けだった。


 ―― ……分かる!


 分かるよ。ユイナちゃん。気になるよね。緊迫を削ぐよね? 

 私は噴出しそうなのを堪えて口元を押さえる。

 ユイナちゃんは顔を真っ赤にさせて、消えそうな声で謝罪すると、今度は真っ直ぐブラックを見詰めた。この小さな少女にはブラックの闇の色を模した瞳はどう映っているのだろう?


 そんなに長い時間ではないが私は呼吸を忘れてその様子を見守っていたようだ。

 ブラックがすっと立ち上がると、どこかほっと力が抜けた。ユイナちゃんは直ぐに私のところに寄ってきて袖を引く。


「癒し系の素養があるようですね」


 ブラックの言葉にお爺さんは「おお」と微笑み、その笑顔にブラックは少し考えるような素振りを見せたあと「そういえばお嬢さんもそうでしたね」と続けた。

 そのことが意外だったのか、お爺さんはまたも驚きに目を見開くと頷いた。それからやや思案したとお爺さんは決心を固めたように、きゅっと光を持つ手に力をこめて口を開いた。


「孫はどこかに所属させたほうが宜しいですかの?」

「そうですねぇ……もし、可能ならば大聖堂で学ぶことをお勧めしますよ」


 そのあとお爺さんとブラックは暫らく言葉を交わし、お爺さんはユイナちゃんを招き寄せると深々とブラックに頭を下げて書斎のドアを開いた。

 二人が廊下へ出るのに私が扉を抑えていると、お爺さんは私のほうを見て「すまんかったな」と頭を下げた。なんのことか分からずに首を傾げると、お爺さんは小さな声で私に告げる。


「ワシは見誤っておったようじゃ」


 その一言に私の心は、ほわり……と暖かくなって嬉しくなった。

 思わず顔を綻ばせてしまった私に、お爺さんはありがとう。と重ねて小さな手を引き廊下を歩いていく。玄関まで見送るといったのに遠慮されてしまったから、廊下で二人を見送っていると階段のところで姿が見えなくなった。

 ブラックに「戻りませんか?」と促され部屋へ戻ろうとすると、可愛らしい小さな足音が階段を駆け上がってくるようで顔を上げる。


 ユイナちゃんだ。


 忘れ物でもしたのかと思ったら


「おにーちゃん、おねーちゃん、ありがとう! ばいばーい」


 と、いう忘れ物だったようだ。

 離れたところでぶんぶんっと手を振ったユイナちゃんに私は手を振り返した。

 しかし、ブラックには複雑だったのか「……おにーちゃん?」とぶつぶつ繰り返して書斎に戻っていく。私はほんの少し誇らしい気持ちでその背を追い掛けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ