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第五十九話:踏み込めない距離

 午前中の授業が終わってからも、私は片付けの順番で寮に戻るのが遅くなった。

 カナイが替わってくれるといってくれたけど、それでは申し訳ないし、でも時間も掛かりそうだったから間を取って手伝わせた。

 カナイはらしいなと笑っていたが、何がらしいんだか私にはさっぱりだ。


 今から戻っても、きっと部屋にブラックは居ない。そう自ら予告していたのだから、それを違うことはないだろうなと思うとちょっと切ない。

 夜になったら多分ひょっこり戻ってくるとは思うんだけど。


 ドアノブを握って私は重たく溜息を吐いた。まあ、考えても仕方ないことに頭を悩ませるタイプではない私は「ま、いっか」と自分にいい聞かせ自室の扉を開けた。


「あれ?」


 ―― ……予想外だ。


 私の予想外にブラックは私の机で転寝していた。


 刹那その予想外に驚いて時間を止めてしまったが、我に返った私は胸を撫で下ろして傍にあったストールをブラックの肩に掛けた。


 無用心に開いた窓から吹き込んでくる風がブラックの前髪を揺らしている。

 風は暖かいけど身体を冷やすには十分だろう。


 私はカタンと窓を閉めてから、ぼんやりとブラックの顔を見下ろした。


 ―― ……綺麗な顔。


 人形のように整って美しい目鼻立ち。だから余計にその中の感情が読み取り難い。


『毒を盛られたことがあるのかも』


 仕事柄彼を恨む人は多い。

 だから、それも分からなくもない。


 でも、ブラックだってそのくらいの想定は出来るはずだから、それでも口にしたということはそれだけ近しい人に裏切られたんだと思う。


 きっと辛い記憶だよね。


「泣きそうな顔をしていますよ?」

「え……?」


 私の顔に何かついていますか? と、重ねられて私は慌ててブラックから顔を逸らした。

 ぱぁぁっと耳まで熱くなるのが分かる。

 物思いに耽り過ぎて、相手が目を覚ましていることにも気が付かなかった。ブラックは肩に掛かっていたストールを手繰り寄せ畳むと椅子の背に掛け話を続ける。


「何か辛いことがありましたか? 私で良ければ話を聞きますよ?」

「嫌よ。ブラックに相談したら直ぐに元を断とうとするでしょ?」

「一番手っ取り早く確実だと思いますけど」


 私の嫌味にくすくすと笑いながらブラックは答える。

 でも本気じゃないのは分かる。


 だから今日は許す。


「それにブラックが居るなら辛いことなんてないよ」


 そういって笑った私にブラックは、刹那、きょとんとしたあと物凄く珍しく頬を赤くした。そしてその理由に気がついた私も顔が熱くなった。

 考えていたことが考えていたことだけに、生きているって素晴らしい! とか、変な方向に考えが飛んでいたから、ついぽろっと出た。


 私は、なんて恥ずかしいことを口走っているんだ。


 そんな私の様子にブラックのほうが先に平静を取り戻し、椅子から立ち上がる。いつもの余裕のある態度で頬を撫で慌てる私の顔を楽しそうに見ている。

 だから益々私の頭に血が上って天パってくる。


「いや、その、だからね! 本調子じゃないのに、出てって誰かに襲われたりしたら、とか、その、あの……色々と」

「心配してくれたのですね?」


 間違っていないので、否定出来なくて……私は苦し紛れに咳払いをして話題を変えた。


「と、取り合えず、居るなら休んだらどう? こんなところで転寝してるくらいならベッドに横になったほうが良いって」

「え、ちょっとマシロ、危ない」


 ブラックの両腕に手を掛けて無理矢理ベッドに座らせようとすると、バランスを崩して私がブラックをベッドに押し倒す形になってしまった。

 きゅっと反射的に瞑った目を開けると間近にあるブラックの瞳が心配そうに揺れている。


 その瞳に映る私は真っ赤だ。


 慌てて離れようと暴れると上手くいかなくて、落ち着いてください。と、抱き込まれてしまった。


「今起こして差し上げますから、じっとしていてくださいね?」


 やんわりと告げられて私は、顔を真っ赤にしたままコクンと頷いた。雰囲気からブラックが優しく微笑んだのが分かる。

 ブラックはそのままお腹に力を入れて、私を抱き締めたまま簡単に起き上がってしまった。

 と……っと、床に足が着くと胸を撫で下ろす。


 するりと背中から滑り降りたブラックの両手がそっと私の手を取り、私をじっと見上げてくる。私の心うちを覗くように見上げてくる漆黒の瞳が綺麗だ。

 そこに映る私は今度はとても不安そうな顔をしている。


「私に話があるのですか? 貴方のお話ならちゃんとお聞きしますよ。それがどんなものであってもちゃんと受け止めます」


 ちゃんと、と呪文のように繰り返し双眸を伏せると、掴んだ私の両手を引き寄せて唇を寄せる。

 ほんの少し不安そうなその態度に私は、聞くことを戸惑うけど、このまま「何もない」といってしまうと余計に不安にさせてしまうよね。


 私は一度深呼吸し意を決して尋ねようと口を開いたら、私が音を発するより先に「あ」とブラックが声を漏らした。

 その様子に「何?」と目で問うとブラックは「すみません」と口早に詫びて腰を上げた。


「来客です。屋敷に戻らないと……」

「え? 今日くらい休みにしたら?」

「そうしたいのも、無視したいのも、山々ですが溜めると面倒で……こういうとき独占企業は辛いですね。替えがない」



 *** 



 そしてブラックは私が止めるのも聞かず、というか耳に入っていないようで、とっとと消えてしまった。だから私は苛々しながら遅めの昼食を取っていた。


「もう、食べながら本読むのやめてよ!」

「お前も人に当たるのやめろよ」


 開いた本から顔を上げることもなくカナイにそう軽く突っ込まれ、私はぐっと息を呑んだ。エミルは昼食を済ませて用事があるとかで外出してしまっていた。アルファはカナイの隣で大量のおやつを頬張っている。

 時々これが美味しいからと、私のトレイにもおすそ分けが流れてきて、そろそろトレイからはみ出しそうだ。アルファと同じ感覚でおやつを取っていたら、確実に、転がったほうが移動が早くなるだろう。


「まあ、人が死なない日ってないだろうから忙しいですよねぇ。でも大抵、種は持ち込みのほうが多いと思うけど」


 それがルールですから。と口をもごもごとさせながら繋ぐアルファの話に、私は肩を落とす。そんな私をちらと見たあとカナイがページを捲る手を休めて提案した。


「気になるなら辺境の町まで飛ばしてやろうか?」

「へ?」

「だから、目の前でそんな顔されるくらいなら居ないほうがマシ。俺が飛ばしてやるよ。種屋の中はちょっと記憶に薄いから無理だけど、まぁ、辺境の町くらいまでなら大丈夫だ。馬車で行くよりは早いだろ」


 カナイのにこにこ顔と、隣りのアルファが拙そうな顔をしているのを見比べて私は眉を寄せた。


「やったことあるの?」

「ない」



 ***



  ―― ……ガタゴトガタゴト……


 私は王都の外で掴まえた辻馬車に乗った。

 自分で移動するのはよくあっても他人を単身で移動させたことない、というカナイの初めての術実験に付き合うのは嫌だ。


 何か怖い。


 そしてじっとしておくことも出来ない性分だ。ということを思い出し自力で何とかすることにしたのだ。術に頼れば一瞬でこの距離を移動出来るというのに、片道数時間。

 でも術素養を持たない一般人は基本この手段しかないわけだから、これが普通なんだよね。

 乗り合わせたのは膝の上に小さな箱を大事そうに抱えているお爺さんと、その肩にもたれ掛かって眠る女の子。

 あとは夜のお仕事をされているっぽい雰囲気のお姉さんだ。


 私は流れていくのどかな景色を眺めながら、ほぅっと一息吐く。

 暖かな風に混じって甘い香りがする。

 花の季節なのかな?


 街道沿いに咲いている花は疎らだけど他の季節よりも薫り高い花が多いのかもしれない。


「あふぅ」


 出てきたあくびを噛み殺し目じりの涙を拭うと、向かい合わせになっていた女の子が、偶然瞼を持ち上げてふわりと微笑んだ。

 私はなんだか気恥ずかしくて照れ隠しに曖昧な笑みを零す。

 あくびは途中で止めたけど、昨夜は寝不足だしこの暖かさに馬車の揺れ。

 どうぞ眠ってくださいと誘われているようなものだ。私は、じわじわと重たくなってくる瞼を持ち上げる力を失った。

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