第五十七話:良薬と毒薬紙一重
「……苦い、です」
なんとか私が頑張って作った薬湯は飲んでくれた。
「本当に大丈夫なのか? 何で苦いんだ? 確か、解熱作用のあるものは柑橘系の味が……」
「うーん。ずーっと傍に居て、ちゃんと見てたから間違ってはないんだけど、どうして味が変わるのかなぁ? マシロマジックだよね」
背後でカナイとエミルが小声で話しているのが気に障るが気にしない。
ブラックにだって絶対聞こえているはずなのに、気にすることなく頑張って全部飲み干してくれた。うん。病人は素直で良い子にしていないといけない。
ちゃんと薬を飲んだブラックの頭を良い子良い子と撫で――熱の影響だろうけど、くたっとなってる耳が可愛すぎるとか気にしてはいけない――その流れで額に手を当てるとまだまだ熱い。
エミルがベッドの傍に机の椅子を運んできてくれる。私がそれに腰を下ろすと、三人は、また何かあったら呼んでと部屋を出て行った。
ブラックは落ち着いたのか直ぐに寝息を立て始めた。
仕事忙しかったのかな? でもブラックの仕事が忙しいって嬉しくないことだよねぇ。
私は一人曖昧な笑みを浮かべる。
それでも体調が悪いのにも直ぐに気が付いて上げられなくて、私って駄目だな。正直、自己嫌悪だ。
それに何も知らないくせにブラックが薬が飲めないといったことに腹を立ててしまった。ごめんね、という気持ちも込めてそっと手を握ると、夢の中のはずなのに軽く握り返してくれる。
他の人にどうだか分からないが、やっぱりブラックは私にとても甘い。
エミルが部屋まで夕食を運んでくれたときもブラックは眠っていた。エミルはそれを見てくすりと笑いを零す。
「マシロの傍は、余程心地が良いんだろうね? あの種屋さんが、あーんなに無防備な顔で寝てるんだから」
「熱があるからだよ」
「違うと思うけど、悔しいからそういうことにしておくよ」
エミルはふんわりといつものように微笑んで私の頭を撫でてくれる。
そして、私に無理をしないように念を押して、部屋を出て行った。
日付が変わる頃、小さなノック音と共にカナイが顔を出した。
うとうととしていた私の肩を叩き「変わってやるから、俺のベッドを使え」と声を掛けてくれた。私はごしごしと目を擦りつつ、窓の外を見ると今夜は特に月が明るいのか真夜中という感じはしない。
「どうせ、気になって眠れないから良いよ」
「横になるだけでも違うぞ? 入れ替わりにお前が倒れたらどうするんだ」
カナイのいうことも良く分かる。
良く分かるけど、私にはもう一つ離れられない理由があった。真剣に心配してくれているカナイに、私は曖昧に微笑んでしっかり掴れてしまっている手を僅かに持ち上げた。
それを見たカナイは呆れたように肩を竦め「なるほど」と苦笑した。
「これが本当に世界が恐れる闇猫なのかねぇ」
「誰だって病気のときは弱気になるし、寂しくなるよ」
どうしようもないなという雰囲気でカナイは苦笑する。そして着ていた上着を脱ぐと私の肩に羽織らせてくれた。
「夜は冷える、無理はするなよ」
と、ぶっきらぼうに添えて私の肩をぽんぽんっと叩くと部屋を出て行った。
去り際にありがとうと声を掛けるとひらひらと片手を振った。
私が最初にこの世界に落ちてきた頃は、暑くもなく寒くもなくという季節だった。年中この世界はこんな感じなのかと思っていたら日本と同じように四季があるらしく、最近は日中は暖かいことが増えたが夜はカナイの言葉どおり冷える。
規則正しい寝息を聞いているといつの間にか私もうとうとと夢に落ちていった。
***
カーテンを閉め忘れ入ってきた朝日に私は目を覚ます。
座ったまま同じ姿勢で眠っていたので身体が少し軋んだ。んーっ! と、背伸びをするとそれに驚いて窓際で羽を休めていた小さな鳥が逃げていく。
ブラックは、まだ寝ているみたいだけどそっと額に触れると昨日よりは下がっている。私の手がくすぐったかったのかブラックの耳がぴるぴると動き、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「おはようブラック。調子はどう?」
「……おはよう、ございます。あの……えーと? 記憶が曖昧で、確か昨日はマシロをクリムラまで迎えにいって、そのあと……」
ぼんやりする頭をフル回転させているのか、眉間に深く皺を刻んで記憶を辿っている。そして行き着くともう一度だけ、ああと唸った。
「すみませんでした」
「良いよ。それから、こういうときはすみませんでした。じゃなくて、ありがとう。が嬉しいよ?」
それから、もう手離して良いかな? と付け足すとブラックはいつもの余裕のある態度とは対照的に慌てて私から手を離した。
「まだちゃんと熱が下がってないみたいだし、もう少し休んでいて? 私、何か朝食と薬用意してくるから」
「マシロ。大丈夫です。もう一人で起きられますし、屋敷に戻ります」
「……病人が何をいってるの? 戻らせるわけないでしょ? せめてちゃんと熱が下がるまではそこで寝てるの!」
良い? 勝手に部屋を抜け出したら口利かないからね! と、叱咤して私は部屋を出た。
朝食の調達はアルファに頼んで、私は医務室へと向かう。朝が早いからまだエルリオン先生は来ていないかも知れないけど居てくれると良いなと思いながら扉を開く。
その先にのんびりとハーブティーを傾けているエルリオン先生の姿を見つけて胸を撫で下ろした。私に気が付いた先生は「どうかしましたか?」と朝からとても爽やかな笑顔で問い掛けてくれる。
「またお薬を作らせて貰おうと思うんですけど、熱も下がってきたみたいだし同じじゃない方が良いですよね?」
「そう、回復してきたんですね。それは、うん、良かった。可愛い看護師さんのお陰ですね」
ふふっとお上品に微笑まれるとなんだか気恥ずかしい気持ちになる。
「そんなことないんですけど、あの、次はどうすれば良いですか?」
「んー、彼なら熱さえ下がれば大丈夫だと思いますけど、マシロさんは何かして差し上げたいんですよね?」
先生に指摘されて私の心臓がどきんっと跳ねる。
確かにこんな事態早々起きないだろうと思っていたのは本当だし否定出来ない。私がブラックのために何か出来るということが少なからず嬉しくもあった。先生は顔を赤くした私にくすくすと微笑むと昨日と同じように薬湯を作る準備をしてくれた。
「……そういえば、先生はブラックのことどう思っているんですか?」
「嫌いですよ。ええ、嫌いです。」
分かるよ、分かってます。
ブラックはとっても嫌われものですよね?
でもいつも温厚で柔らかい物腰の先生にそうはっきりといい切られると心臓に悪いです。
あはは……と、乾いた笑いを浮かべた私に先生も緩やかに微笑んで、そっと口元に指を添えると秘め事を囁くように話を続けた。
「ですが、彼を嫌っていては貴方の笑顔が曇るので理解出来るよう善処しますよ」
その先生の毒のない笑顔に、私は胸を撫で下ろして「ありがとうございます」と微笑んだ。
―― …どんっ
私は短い悲鳴を上げた。
出来上がった薬湯が冷めてしまわないように、急いで廊下を歩いていたせいであまり前が見えていなかったから誰かとぶつかってしまった。怪我も痛みもないものの残念ながら薬湯は全滅だ。
「マシロ、ごめん」
呆然と床に転がったマグカップを見下ろしていた私に掛かった声は聞き慣れたものだった。顔を上げると申し訳なさそうに眉を寄せて、怪我はないかと顔を覗き込んでくれるエミルの姿があった。
私が大丈夫だと笑うと、エミルは眉を寄せたまま口元を緩めて本当にごめんねと謝罪する。
「エミルこそ急いでたみたいだけど大丈夫?」
私は落ちてしまったカップを拾い上げ、廊下の隅に立てかけてあった掃除道具で、濡れた床を簡単に拭き取った。
「マシロを探してたんだよ。先に食堂かと思ったらアルファから医務室に一人で向かったって聞いたから、先生が来てなかったら困ってるだろうと思って」
「そっか、有難う。先生も居たから一応作ってはみたんだけど」
手の中のマグカップを二人揃って覗き込む。
もう何度目かの謝罪を申し訳なさそうにしてきたエミルに、私は首を振った。
今回の薬湯は昨日ほど重要なものじゃなかったから気にしてもらうほどのものじゃない。作り直すなら付き合うよといってくれたエミルに私は気にしないでと答えて部屋に戻ることにした。