第五十五話:我慢できないんだもん
「まあ、カナイの休学は僕が手配したけど、カナイを図書館にほぼ軟禁状態にしていたのは、ブラックだよね?」
「……まぁ、そうだな。ギルド依頼を遂行した直ぐあと捕まったしな」
カナイはエミルには甘い。
物凄く甘い。
甘いから盲目になっていてエミルの黒さを見ないようにしている節すらある。
「んで、方向性は割りと直ぐに決定したんだけどな、準備が難航して一年近く掛かったんだ。仕事が忙しいとかで発起人は殆ど手を貸さねーし、たまに来たかと思ったら『マシロに会いたくてどうにかなりそうです』って暴走しそうになるから」
「一応、僕がストレス発散には付き合ってあげましたよ。僕は毎回殺す気でしたけど」
なんでこんな人が馬鹿みたいに強いんでしょうねっ! と頬を膨らませるアルファに私は乾いた笑いを零すしかなかった。
「最終的に、聖域で魔法石に二つ月の力を込め月を作ったんだ。そのときに、月から欠片が降ったように見えたんだろうな? そして、擬似的にこの間と同じ状況を作った。俺の見た通りその現象は起きてくれて無事にお前は戻った……連れ込まれた? 攫われた? ……だろう?」
微妙に困惑しているカナイに「戻ったで良いよ」と笑うと「そうか」と口角を引き上げ強く頷く。
実験に成功した達成感だろう。カナイは満足気だ。
でもその理屈でいえば、何度でも行き来可能なのではないだろうか? ふと浮かんだ私の疑問を感じ取ったのかカナイは短く嘆息して付け加える。
「二度は無理だ」
「なんで?」
「そうしてやりたいのは山々だけど、無理だな」
帰れないのは分かってる。
それも別に問題ないと思っている。
覚悟くらいしたんだから平気なはずだけど、もしなんとかなるなら……僅かな希望に縋るような私の言葉にカナイは本当に申し訳なさそうな顔をした。
そんな顔させたいわけじゃないのに、私は馬鹿だな。
「今、魔法石がないんだ。世界的に不足している。価格も高騰している。もちろん原因はブラックが買い占めたからだ。人工的に作るものには大きさに限界があるし、自然に出来上がるものにはそれなりの時間が掛かる。もう一度行うには資材が足りなさ過ぎるんだ」
「買い占めたって……」
流通単価が高騰してしまうほど買い尽くしたって、この計画……もしかしなくても莫大な費用を投資しているんじゃないだろうか? ブラックを見ると、ブラックは苦笑して頷いた。
「私の望みを叶える代金。大した額ではありませんよ」
ゆるりと私の頬を撫でそういったブラックに、私は心の中だけで溜息を吐く。本当に私にそれだけの価値があれば良いけどね。
「マシロが気にするようなことじゃないよ。大体、あれはないよね。ブラックの浅はかさの代金だよ」
珍しく呆れたように口にしたエミルは、ブラックを見て溜息を吐く。
ブラックは、その内容は私に聞かれたくないのか「その話はやめましょう?」と珍しくストップを掛けた。そんなことしたら、この三人が口を塞ぐはずないのはブラックだって分かっているはずなのに、もしかして天パってる?
その様子に三人はにやりと顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「十秒くらいは我慢したんじゃないか?」
「いや、五秒くらいですよ」
「一呼吸だよ」
みんな、なんの話をしているんだろう? 私が首を傾げるとくつくつと笑いながらカナイが話を続ける。
「お前を迎えに行こう! っていい出すまでの思考時間だよ。水竜に薬を飲ませて水に帰したところくらいまではもったよな? ぼんやりしてるから、一応声掛けたら……
『―― …ません』
『は?』
『我慢出来ません! マシロが居ない生活なんて耐えられません。カナイ、頭を貸してください』
……ってそのまま図書館まで俺連行された」
「秒殺だったよねぇ」
エミルがしみじみと頷いた。
「あんなに大騒ぎするなら、最初から帰さない方向で強行すれば良いんですよねぇ。下手に格好つけようとするから面倒になるんです」
アルファの攻撃にブラックが沈んだ。
ブラック? と振り返るとブラックは赤い顔をして私から目を逸らすと、少しバツが悪そうに零した。
「仕方ないじゃないですか。魔法薬の効果がなくなったら、本当にマシロの気配がぷっつり感じられなくなるし……我慢出来ると思ったんですよ、思ったんですけど……」
ブラックって可愛い。
特に……このしょげている耳が。
抱き締めたい衝動を堪えて、わしわしわしっと限度無く撫でてしまう。
そしてラウ先生に復学の手続きをしてもらうため、私とエミルは私にとって懐かしい図書館の廊下を仲良く歩いていた。
―― ……本当に仲良く。
「エミル? 私いくら暫らくここを離れていたからって、迷子になったりしないよ?」
きゅっと握られている手がなんだか少し恥ずかしくて、そういった私に、エミルはにっこりと微笑んで首を傾げた。
「分かってるよ? もちろん。どうしたの?」
いや、どうしたの? じゃなくてね。
私はエミルの天然さに困った笑いが零れる。
仕方がないので「あの、手、なんだけど」と恐る恐る切り出してみれば、エミルは「あ」と声あげ今気が付いたという感じだ。きっと一種のクセのようなものなのだろう。私がそう納得すると
「こうのほうが良いよね」
と、指を絡めて繋ぎなおしてしまった。
私はあまり経験がないから分からないけど、確かサチが恋人繋ぎだといってた。
勝手に納得して歩みを止めることのないエミルをちらりと見上げる。鼻歌でも出そうなほど機嫌の良さが窺える雰囲気に、私は苦言を呈することは出来なかった。
仕方がないな……。
恥ずかしいけど、まぁ、良いか。と、私が諦めたことに気がついたのか、エミルは握っている手にきゅっと力を込めた。
大きくて綺麗な手だ。
長い指が私の手首辺りまで緩く届く気がする。
節の張り方とか私のそれとは全く違う。
男の人の手だ。
そんなことを考えるといつもと変わらないエミルの優しさにほっとすると同時に、ほんの少し気恥ずかしい気がしてくる。
エミルはこういうの自然だし、きっとなんでもないんだよね。
うん。と私が勝手に納得している間に職員室に程近い、人気の少ない踊り場でエミルは私に振り返り手をそっと手を離す。急に外気に晒される手のひらをほんの少し寂しく思う私は駄目だなと思った。エミルは変わらず穏やかな調子で、ラウ先生を呼んでくるから待っていて、と、私をベンチに座らせてその場を立ち去っていった。
窓から差し込んでくる陽光が優しい。
この角度からでも見える裏庭の木々も青々としていて生を満喫している。
その心地良さに瞼を落とし深呼吸。
私は帰ってきた。
帰る……そう思った自分自身に少し笑みが零れる。いつの間にかシル・メシアは私の帰る場所になっていた。
「マシロ、さん……」
私は掛かった声に目を開け振り返った。
その視線の先には懐かしい姿がある。ブラックは元より、エミルもアルファもカナイもそんなに目立った変化はなかったけれど、今目の前に信じられない……という色を隠すことも出来ないシゼは随分と変わっていた。
「……え、なんで?」
「帰ってきたよ」
にこりと笑って立ち上がっても、もうシゼを見下ろすことは出来なさそうだ。
怪訝な表情で首を傾げると肩口で切り揃えられていた、すみれ色の綺麗な髪がさらさらと零れ落ちてくる。それを邪魔臭そうに開いた手で耳に掛ける。
「帰って、って……本当に、マシロさん? 月に変化は……え、でも……ああ、そういえば今朝方からラウ博士とエミル様が王宮に引っ張り出されていたのはこのせい?」
ぶつぶつとシゼの独り言とも取れる台詞に「多分」と、苦笑した私をシゼはまじまじと頭の先から足の先まで観察するように眺める。
「えっと、何?」
なんだか凄くむずがゆくて聞き返すとシゼは気難しそうに眉を寄せた。
「マシロさんに見えますけど」
「だから、本人だってば」
「そうかも知れないですけど、偽者かも」
私の偽者に一体どれだけの価値があるというんだろう? シゼってちょっと疑り深過ぎると思うのは私だけだろうか?
私は仕方ないな。と、シゼとの間合いを詰めて手を伸ばすとシゼの頬に触れた。
「ほら、幽霊とかじゃないでしょ? 私だよ。私はちゃんとここに居るでしょ?」
「―― ……っ!」
にこりと笑った私にシゼは肩を強張らせて二歩は下がった。顔が真っ赤で、でかくなったけど相変わらずシゼの反応は可愛い。
「べ、別に幽霊とか思ってないです! ……ただ、カナイさんとかエミル様の悪戯か何かかと……」
悪戯……シゼは一体どんな目にあっていたのだろう? 私は想像出来るような出来ないようなその図に眉を寄せた。
「僕はそんな意地悪しないよ」
見計らったようにエミルがラウ先生を連れて戻ってきた。
ラウ先生も殆ど変わらない。やっぱり見た目に時の経過を感じるのはシゼくらいのものだ。
シゼはラウ先生を発見して「探しました」と告げる。
「嫌だな、それじゃ私が隠れてるみたいじゃないか。隠れても逃げてもいませんよ。ちょっと始末書を書いていたんです」
以前と全く変わらない、穏やかな雰囲気で棘を噴出する侮れない人は、やはり変わらないようだ。私は反射的に「ごめんなさい」と口にした。
「本当だったんですね? 王宮でお説教貰ってるときは、まさか本当にやるとは思いませんでしたが……若いって良いですねー。行動的で」
にっこりと微笑んでそう告げられても素直に喜べないのは何故だろう? ラウ先生は、先にシゼに用事をいい付けて「お願いしますね」と先を急がせた。
立ち去り際に「またね」と声を掛けると、シゼは肩越しに仕方がないなというような笑みを浮かべて「そうですね」といって軽く腰を折った。
シゼ……やっぱり男前になったね……苦労が滲み出てるよ。いろんな意味で……。
「偽りではないので、ラウ博士……お願いしますね?」
「そうですね。本当にやってしまうとは思いませんでしたが、どうやら、種屋の肩入れも半端じゃないようですね」
くすくすと笑いを零すラウ先生に私はなんと答えいて良いか分からない。
「マシロは……マシロは前回と同じ処遇で構わないのですね?」
ゆるりとした動きで私に手を伸ばし、そっと髪を梳きながらそう問い掛けたラウ先生に、私は頬の熱を隠すように顔を逸らして「お願いします」と頷いた。
それから少しだけ雑談をして、ラウ先生は、仕事と手続きがあるからと職員室のほうへ戻っていった。先生の後姿が見えなくなるまで見送って私はぽつりと零した。
「相変わらずだね」
「ラウ博士? あの人は変わらないよ。最初から何も……」
エミルの答えになんだか妙な違和感を感じて問い返そうとしたら「庭にでも出てみる?」と誘われた。
最初にここへ来たときにも思った。この世界はとても色鮮やかだ。
今、どの季節なのか分からないけれど心地良い風が吹きぬけている。湖面のようにさざめく木々は青々としているし日の光を反射して煌く。
多分、私の居たところもある程度にたようなものだと思うけれど、でもこんな風に見上げて実感するようなことは少なかったと思う。
「マシロ」
―― ……え?
ぽやんっと空とか見上げていたら突然視界が暗くなった。
直ぐにエミルの腕の中だと気が付くが暴れて拒絶する気になれなかったのは、エミルが少しだけ震えていたからだ。
私が、大丈夫? と、口にするより早くエミルが息が漏れるように微かに「良かった」と漏らしまわした腕に力を込める。
「エミル?」
正直泣いているのかと思った。
私は、驚きに鼓動が早まるがエミルのそれはもっと早くて、切羽詰った感じがして、いつも穏やかなエミルからはあまり想像出来ない気がした。
「本当は、凄く怖かったんだ。自分たちが準備を整えたものが間違えているとは思わなかった。でも確証もなかった。僕はカナイを信じていたけれど、それでもやっぱり一発勝負は怖かった」
マシロ、だよね……と重ねて肩口に頬を摺り寄せられる。
「ブラックは何があっても生きて戻りそうだけど、マシロはそうじゃないから、もし、何かの手違いで何かを犠牲にしなくてはいけなかったり、五体満足ではなかったりしたらどうしようかと、本気で思った」
本当に、大丈夫だよね……? と、重ねてエミルはそっと私から距離を置くと、頬を撫で、大きな手で包み込んで顔を覗き込む。
赤くなる顔を見られるのも恥ずかしくて……ドキドキして……真っ直ぐ見つめるのはとても抵抗があったけれど、本気で心配してくれている人から逃げるのは駄目だと、私はエミルの瞳に映る自分を見た。
「平気だよ。どこも痛くないし、足りないところもない」
笑ったつもりだけど、笑えたかどうかちょっぴり自信がない。良かったと重ねエミルは綺麗に微笑んだ。その笑顔が私にはどうしても苦しくて、見ていられなくて、きゅっと目を閉じた。
エミルはそんな私の頬をもう一度そっと撫で、すっと腰を折ると唇に触れるギリギリの端に唇を寄せ、唇を親指でそっと辿る。
直接キスをされてしまうよりも、驚いて、思わず身体を強張らせてしまった私をエミルは抱き寄せ、ごめんと短く詫びる。
謝るところがどこなのか分からなくて黙った私に、もう一度だけ謝罪を重ねて離れると、今度は軽く額にちゅっと口付けてにこりと笑顔を見せてくれた。
私はなんだかそれにほっと胸を撫で下ろす。
「戻ってくれてありがとう」
急な礼に私はきょとんとしてしまう。それが可笑しかったのかエミルはくすくすと笑って「もう一度いわせて」と続けた。
「お帰り。マシロ」
優しく迎え入れられるその言葉に私は自然と微笑み頷いていた。
「―― ……うん。ただいま」