第五話:動物耳は基本装備?(1)
「マシロさんは、本当に異世界の方なんですね」
さんは良いよ。と、アルファに付け加えると簡単にマシロちゃんといいなおしてくれた。
ここの世界では、こういうことが頻繁ではないとはいえ、絶対無いということではないようだ。みんな受け入れるのが早すぎる。
疑っていないし、私の頭がオカシイのではないかと思っている素振りもない。
いくら私の夢とはいえご都合主義も良いところだ。
「それで、マシロは帰りたいのか?」
静かにそう訪ねてきたカナイに、私は首を傾げながらも「もちろん」と頷いた。
「夢なら早く覚めて欲しいし、違うなら早く帰りたい」
「世界に弾かれたのに、か?」
何でもないことのようにさらりと口にしたカナイを「ちょっと、カナイっ!」と、エミルが慌てた様子で制し、アルファは肩を跳ねさせた。
私が、世界に弾かれたってどういうことだろう? ブラックは私のことを落し物だといった。
あんまり考えなかったけどなんだかそれって……
「別にこれは夢で、私は、要らない子なんかじゃない」
声が震えてしまっていた。
あの場所に私は要らない。
私なんて居なくても世界は変わらなくて、みんな何の問題もなく廻っていく。
でも、私が住んでいたのはあの場所で、あそこには家族が居て…友達が居て……友達……。
『良い子ぶってさー、結局真白の腹は真っ黒だったってことでしょー?』
大好きだったユキとサチの笑い声が頭の中で反響する。
私のせいじゃないと割り切って、あの男が馬鹿だったんだと、だからユキにちゃんと説明しようと思ったのに、私は嫌われてしまった。
「……シロ、マシロ。泣かないで、大丈夫だから。マシロはちゃんと戻れるよ」
気遣わしげなエミルの声が聞こえる。
泣く……私は泣いてなんかないと思ったのに、頬に触れた指先は濡れてしまった。
ハンカチを差し出してくれていたエミルの手から、それを抜き取って慌てて顔を拭う。あまりよく知りもしない相手に弱いところを見せてしまうなんて不覚だ。
私は、そんなに可愛らしい女じゃない。
そうだ、二人がいうように私は腹黒くて嫌な奴だ。
「ごめん。夢の中で泣いちゃうなんてどうかしてる。人前で泣くなんてどうかしてるよね。驚かせてごめん。えっと、本当、私、明日に備えなきゃ!」
がたりっと派手な音をたてて立ち上がると、私はアルファが淹れてくれていた紅茶を一息に呷った。
「必要なものとか揃えなきゃね。えっと、さっき貰った資料にあるかな? 三人ともありがとね。私買い物に行かなくちゃ」
「マシロ、落ち着いて」
「大丈夫っ! 落ち着いてるよ。私は落ち着いてる」
「大丈夫だから」
落ち着いて。と、繰り返すエミルに苛立たしく答えると、エミルは、短く溜息を溢し立ち上がって私の腕を引いた。
強く引かれたから、そのまま彼の胸にぶつかると空いた手でそっと頭を撫でられる。大きな手がゆっくりと「大丈夫だから」と、いいながら何度も私の頭を撫で付けていく。
「いきなり知らないところに来たんだ。言葉すら通じないところで、不安を感じないわけない。恐怖を感じないわけないよ。でも、大丈夫。一人では無理かも知れないけど、僕らが手を貸すから、君の望むようになるように手を貸すよ」
大きくて、優しい手が、心地良くてじんわりと暖かくなり荒立った心が凪ぎいていく。
耳に届いてくる規則正しいエミルの心音に気持ちが落ち着いてくると嫌な子の私には一つの疑問が浮かぶ。
「どうして、優しくしてくれるの? 私は何も持っていない。何もお礼できない。私に手を貸したって貴方たちの得にはならないでしょう?」
私は最もな質問を投げたと思うのに、エミルの心音は微塵も乱れることなく穏やかなままで言葉を紡ぐ。
「そうかな? マシロはちゃんと『ありがとう』っていえるじゃない。それで充分だと思うよ? それに、女の子が困っているのに放っておくのは男のすることじゃないよ」
ね? と傍の二人に問い掛けたのだろう。カナイの盛大な溜息が聞こえた。
「エミルがそういうなら、それに従わないわけにいかないだろ?」
「やっぱり、王子はそういう役回りが似合いますよね」
そうかなぁ……と、緊張感の欠片もない声でアルファに答えたエミルを、スルーすべきか一瞬迷ったがやはり聞き逃せない!
「王子って?」
エミルの腕の中から抜け出して、顔を上げた私にエミルはさっきと全く代わらない穏やかな笑みのまま「そうなんだよね」と頷いた。
王子って王さまの子どもって意味だよね。
ここには確か王宮もあったはずだから、そこのお子様ってことになるのかな? 私の第一印象も捨てたもんじゃない。
「でも、王子っていっても僕は王位継承権からかなり遠くて十六番目」
「十三番目だ」
「ああ、そうそう、十三番目。だからあまり関係ないんだよ? ほらこうやって好きなことやってるしね。付き合わせているカナイやアルファには申し訳ないなと思っているけど、普通だよ?」
驚きに呆けていた私に、ことりとカップをテーブルに戻したカナイは「それはそうと」と立ち上がった。
「本人もいっていたように、買出しに行くなら早くしないと市が閉まるぞ? それから、借金ってどのくらいあるんだ?」
「あ、僕も気になります。種ってどのくらいの金額するんですか?」
いわれて私は、手元にある借用書の控えを出すと、カナイに手渡した。
カナイは「あんまホイホイ他人に見せるなよ」といいつつしっかり受け取って開くと、両脇からエミルとアルファが覗き込んだ。
「で、お前は払う気なのか? どうせ元の世界に帰るなら、踏み倒すのも手だと俺は思うけど」
アルファが借用書の内容を読み上げているのを聞きながら、カナイはあっさりと鬼のようなことを口走っていた。私は「払うに決まってるじゃない」と胸を張ったものの、踏み倒すという選択は思いつきもしなかった。
―― ……ちーん……。
三人とも固まった。
アルファがその額を読み上げることもなく全員固まった。最初に口を開いたのはカナイだ。
「よし。踏み倒せ。お前は元の世界に帰った方が良い」
いい切った。ええーっと眉を寄せた私にエミルが重々しく口を開く。
「僕も踏み倒すようなことは駄目だと思うし、僕は、あまり正常な金銭感覚を持ってないけど……その、何というか」
「普通の職業じゃ、一生働いても返せる額じゃないよ。マシロちゃん。無理無駄無意味」
アルファがあっさり纏めた。がつがつと毒舌を上乗せする。天使の容貌をお持ちなだけに、ダイレクトに心に響く。
「そ、そんなに高額なの?」
私の一言に、カナイは私が御者に金貨を払おうとしていたことを思い出したのか、はあ、とワザとらしい溜息を吐き首を振った。
「借金は踏み倒すとしても、闇猫との契約だからな、それが元の世界に戻ったからって破棄されるかってことだよな」
踏み倒すのは決定事項なのだろうか?
「この文面から察するに、お前身体のどこかに紋章とか印のようなものを刻まれなかったか?」
問われて私は、反射的に左胸の上辺りをぎゅっと握り締めていた。
私が、書類にサインをした瞬間。彼の手元に戻った羊皮紙は、緑の炎に捲かれ塵となった。それと同時に、この左胸の上に、微かな痛みを覚えるとエンドレスのマークを十字に重ねたような蔦の印が刻まれていた。
全額返済なるか、自分のものになればすぐに消えるから、といわれたから特に気にしなかったのだけれど……借金もちゃんと返すつもりだったし。
「あるんだな?」
こくんっと頷いた私に、カナイは溜息を重ね、何事か考えているようだ。アルファがそっと私の隣に来て耳打ちしてくれる。
「カナイさんはそういうの専門だから安心して良いですよ」
にこにこと人懐っこい笑顔を添えられてほっとしたのも束の間。
「面倒臭ぇ。よし、面倒だから後回しだ。買出しに行こう」
あっさり切り上げた。
それはもう本当にあっさりばっさり切り上げた。私は、思い切り脱力したのに二人は何事もなかったように同意した。
「じゃあ、エミルとアルファはエリスさんとこへ行って、こいつのこと相談して服とか譲ってもらって来いよ。あ、異世界ってことは伏せてな。それから、学用品の類だけど、天秤とかはエミルが前に使っていたのがあるだろうから、それを発掘して手入れすれば使えるだろうし、制服はあとで頼めば良いから……残るは日用品だな」
―― ……発掘って何ですか?
私はテキパキと分担を決めているカナイを他所に、さっきからエミルの部屋が気になって仕方なかった。また後で、と手を振った二人に手を振り返して、残った私はどうするつもりか訪ねたら
「まずは日用雑貨を買って、そのあと、ギルドに登録に行くぞ」
「ギルド?」
完結に答えられてさっさと歩き始めたカナイを追い掛けつつ問い返す。
「何でも屋みたいなもんだ。民間から依頼を集めて登録者に請け負わせ謝礼を支払う。あんまり借金返済の足しにはならないと思うが、生活費の足しくらいにはなるだろ?」
バイト斡旋みたいなものかな?
一応働いて返す意気込みを見せたら、エミルとアルファは感心していたがカナイは呆れていた。でも現実的な状況において、協力的で役立つのはカナイなのかもしれない。
図書館を出て暫らく歩くと、馬車の通りのない道に出た。両脇にびっちりと色々な商品を並べる露天が軒を連ね多くの人でごった返している。
一度だけ「迷子になるなよ」と念を押され頷くととっとと人の波に混じってしまった。その後姿を追い掛けるので精一杯だ。
カナイは買い物慣れしているのかかなり手際が良かった。
ひょいひょいと、露天のおじさんやおばさんにまとめて商品を出させて、ガツンとまけさせる。何というかまだ物価の感覚は分からないが、かなりまけさせているように思う。