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第五十一話:ただいま!(3)

 ぼんやりと物思いに耽っていると、ドアを締め切っていなかったのだろう。

 そこから、ひょっこりと顔を覗かせた郁斗がこちらの様子を窺うように「真白?」と声を掛けてくる。


「まだ寝てないんなら、電気くらい点けろよ」

「んー……。点けなくて良いよ。どうせ何もしてないから」

「何もしてないなら、寝ろよ」

「分かってるー。郁斗は本当に小姑みたいだよねぇ。うるさーい」


 ほっとけ! と、怒りつつドアを閉めようとする郁斗に「ありがとね」と付け足すと、やや沈黙したあと「おう」と返事して今度こそドアを閉めた。

 その何だか微笑ましくも可愛らしい姿に、私はふふっと笑いを零してまた机に突っ伏す。


 図書館の寮と同じように机の奥にある窓から月の明かりだけが、柔らかく差し込んでくる。


 ―― ……この時間が好きだ。


 私はこうやって平穏に毎日を繰り返す。

 ブラックにいったように知らない誰かと恋をする日も来るかもしれない。でも、ずっとずっと、遥か先のことだと思う。私は確実に行き遅れる気満載だ。

 大体ブラックがインパク値が高すぎるから、他なんて考えられるはずもない。


 ぐったりと、机に突っ伏すとじわりと机上が濡れた。


 私、また泣いてたんだ……。

 自分で選んだのに、本当に情けない。

 みんな、私の幸せを願ってくれたのに。


 私はここで幸せにならないといけないと思うのに、心はここになくてやっぱり、有り得ない世界のみんなのことを思う。

 今だって目を閉じれば、図書館での生活が鮮明に思い起こされる。


 アルファとカナイは喧嘩していないかな? きっとしているだろうな……日常茶飯事だもんね。とか、カナイも相手にしなきゃ良いのに、一々真に受けるから揉めるんだよね。

 それが分からないほど馬鹿じゃないのに、あれが二人の丁度良い距離なのかな? エミルは、また変な薬を作ってカナイを困らせているかも知れないな。


 そういえば結局、エミルの部屋を見ることが出来なかったな。


 あのエミル大好きっ子のカナイがあれだけ引くし、最終的には魔窟といったんだから、一見の価値はあったと思う。残念だったな。


「ブラックは……」


 ぽつりと名を口にしてじわりと目頭が熱くなる。

 ぎゅっと胸が押しつぶされそうに苦しくなる。熟れたトマトや豆腐なら再生不能だ。乾いた笑いが零れるのに溢れ出てきそうな涙は止められない。


 ブラックはまた独りなのかな?

 また、木の上で昼寝なんてしてないよね。

 もしかして泣いちゃったりとかしてない、かな? 

 してないよね、私じゃないんだし。


 ごめんね、あんなにこちらの世界に戻ることを願ったのは私自身なのに、ここに戻って初めて私の幸せはここにはないかも知れない……なんて、思っちゃったよ。


『ねぇ、マシロ? もしもこの世界の月も貴方の世界のようにたったひとつであったなら、少年も少女も居なくて、私もたったひとりで満たされていたのでしょうか? どうして、この世界に月が二つもあるんでしょうね。まるで常に己の半身を探しているように欠けていて満たされることがない』


 ブラックの呟きが思い起こされ、自嘲的な笑みが漏れる。


 本当に私は馬鹿だ。

 失くしたものの大きさに気がつかない。

 気がつけなかった。


 それはきっと、私がこれまでそんなに大きなものを失くしたことがなかったからだと思う。


 みんなに、会いたいな……

 会いたい、会いたい、会いたい……


 ここにだって家族が居るし友達が居る

 でも

 凄く……凄く寂しいよ……


 心が穴だらけだ、風通しが凄く良い。


 私はこんな気持ち味わったことがないから、どうやって乗り越えれば良いのか皆目見当もつかない。

 格好悪くぐずって腕に額を擦り付ける。 いつもこうだ。もうどのくらいこんな感じで、このまま泣き疲れて眠ってしまう。なんてことを繰り返しただろう。


「マシロ」


 耳に心地よい声。

 そう、夢の中ですら、滅多に聞くことの叶わない声。


「マシロ?」


 私がこの世界を選んだのは仕方のないことだと、今でもちゃんとそう思うし間違ってるとは思わない。 でも、やっぱり


「マシロ」


 私を呼ぶ声が忘れられない。


「ねぇ、マシロ?」


 忘れ、られ……ない、けど、幻聴にしても、やけにダイレクトに聞こえる気がする。

 がばりっと机から顔を上げて慌てて振り返る。きょろきょろと音がした先を探しもう一度「マシロ」と聞こえたところで、視線は釘付けになった。

 やっと月の明かりが届く距離で足先しか見えない。


 でも見間違えるはずはない。


「どう、して?」


 声が、震える。


 とくん、とくん……とくん。


 心臓の鼓動が高鳴っていく。

 凍えそうだった心と身体がじわじわと熱を帯びていく。


 ここで、この場所で、この世界で、対峙することの有り得ない、人物が、こつ……とゆっくりこちらに足を進める。

 ゆらゆらと揺れる尻尾が見える。

 尻尾なんて笑ってしまうくらい有り得ない。


「愚問ですね」


 飄々とした態度。


「私はやはり貴方無しでは生きられない」


 嘘みたいな台詞を簡単に口にして、余裕のある笑みを見せる。頭の上にある猫耳なんて、夢で見るにしても限度があるし、私の正気を疑ってしまうくらい有り得ない。


 でも、夢なら覚めないで。

 幻覚ならもう少しだけ消えないで。

 ぎゅっと苦しくなる胸に視界が揺らぐ。


「……答えになってない」

「そうですか? 十分な理由だと思いますけど」


 月の明かりに浮かび上がった姿は彼が使わないといった名に相応しい。


 本当は嬉しくて仕方ないのに、口から出た憎まれ口。

 そんな私は可愛くないと思う。思うけど、対峙した彼は柔らかく瞳を細めてゆらりゆらりと尻尾を揺らし口元を緩める。その笑みに誘われるように、がたりと椅子から立ち上がると少し膝が笑っていた。


「マシロ」


 数え切れないほど何度も呼ばれた名前を、ゆっくりと確認するように口にして、すっと手を差し伸べる。この手を取ると、きっと私は引き返せなくなるような気がする。

 私があのとき選び取ったこの選択を、全て白紙に返し、周りにはより深い傷跡を残すことになるかも知れない。


 そう思うと私は息苦しくなり、キシキシと身体が締め付けられるような痛みに襲われる。


 駄目だと警告する自分も居る。私はここに居なくてはいけないのだと警笛を鳴らす。

 でも、それは私の理性的な部分で、本能的な部分では、その手を受けたくてたまらない。

 今、直ぐにでも駆け寄って、抱きついて「もう離れたくない」と叫びたい。


 身体から自分の意思で手を伸ばすことに、激しい痛みを伴っている。


 どうしよう……私は、どう、したら……良いんだろう。

 頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられない。まともな思考が分からない。どうすれば、良いのか、分からない、分から、な、い、


 ―― ……僕らは……みんな何かを間違えてしまっている。


「……ぁ」


 臣兄の言葉が脳裏に蘇った。

 僅かな間、私は瞑目し、深呼吸する。


 そして、私は決断する。

 もう、私は迷わない。


 はっきりとした意思を持ってすれば、私の腕は素直に従ってくれた。まだ、僅かに緊張に震えてはいるけれど、もう、痛くはない。


 ―― ……ごめんなさい。


 微かに指先が触れ合う瞬間、私の脳裏に浮かんだ言葉。

 誰に向けられたものか自分でも分からない。


 でも……きゅっと指を絡め取られ


 ―― ……ぐぃっ!


 と一息に腕を取られて身体を引き寄せられ、あっという間に目の前が真っ暗になった。

 懐かしい香りと暖かさに包まれると、浮かんできた罪悪感はあっさりと消え失せ私の思考は真っ白になる。

 私の鼓動と同じか、それ以上の音だけが心地良く耳に届く。

 苦しいくらい強く抱きしめられ、頬を寄せられ緊張に掠れる声で名を呼ばれる。

 その声に返事を返しただけで彼の声が色を帯びるのが分かる。


「私は間違っていました。非常にらしくない」

「……?」

「貴方を愛しています。私には貴方が必要です」


 言葉が紡がれる度に耳元に柔らかな唇が触れ、この世界にとって有り得ない塊が私を魅了する。誘惑する。そして「あまり時間がありません」と前置いて懇願する。


「どうか私に攫われてください」


 ぎゅっと抱き締める腕は微塵も緩むことない。緩むことなく……

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