第五十話:ただいま!(2)
はぁ、と一つ溜息を重ね「そういえば……」とこの間の臣兄の言葉を思い出した。
あの日の臣兄は少し違っていた、私と同じようにどこか思い詰めたような顔をして……。
***
どういうわけか、シル・メシアから戻った私はモテる。
異世界から戻った私がどう変わったのか私には分からないし、正直……遊ばれているようにしか思えない。
興味本位で近づいてこられても、傷心中の私にとって邪魔なだけだ。
あの日も勇気ある告白を貰ったけれど、もちろん却下だ。
「なんか大変そうだね」
「きっと物珍しいんだよ……」
行方不明になる前と同じように、ユキとサチは接してくれるからその日も一緒に帰路についていた。きっと、そういう距離感が丁度良いのだろうと思うことにした。
「でも、真白綺麗になった感じがする。い、いや、ごめんね? 大変だったんだと思うんだけど、なんというか……」
やっぱりごめん。と、重ねたユキに苦笑する。
私は居なかった間のことは覚えていない。ということに徹した。
話したところで信じてもらえるとも思えないし、奇人変人ランキングなんかに上がりたくはない。地味に目立たないように平凡に……時間さえ過ぎてくれれば良い。
「一生に一度の恋に出会った、とか?」
サチの台詞に、どきんっと心臓が跳ねた。
―― ……一生に一度の恋。
そんなもの泡と消えた。
自分で消した。
私にはもう何も残っていない。
私は、ここに戻って本当に何がやりたかったんだろう……?
どこに居ても優柔不断な私は、ないものを強請る子どものように我侭だ。リアルに戻ればシル・メシアが恋しくなりシル・メシアに居ればリアルを求める。
そして最終的に行き着いた結果に、落ち込んでいる。
どうしようもない。
「恋なんてしない」
「真白のそれは口癖みたいだよね?」
「う……確かにそうだけど、今度は違うよ。本当に出来そうにない」
私の身体はここにある。
でも私の心はシル・メシアに置いてきてしまった。
だから、心が必要な恋はもう出来ない。
はぁ、と溜息を吐いても隣を歩いていた二人はもう全く別の話題になっていた。切り替えが早い。特にユキはそうだ。私も見習いたい。とぼとぼと帰り道を歩いていると途中でお兄ちゃんの車に拾ってもらった。
一緒に送ろうか? といった臣兄の誘いを、寄り道するからと断った二人に別れを告げて、私は車に乗り込む。
もう取材の人とか野次馬とか少なくなったから一人で大丈夫だけど、臣兄は心配してくれて時間さえあれば送り迎えをしてくれる。
「少し遠回りして帰ろうか?」
そういった臣兄に「良いよ」と頷いて流れていく街並みを見つめた。
「真白、前にさ、いったよね?」
「何を?」
「二つ月がある世界の話」
突然口にした臣兄に驚いて私はその横顔を見た。
その動きに気がついたのか、ちらとだけ、私のほうを見た臣兄は口角を軽く引き上げて「どう?」と重ねる。
私はおずおずと頷き「いったね」と同意した。
「その世界はどんな世界なの?」
臣兄の質問の意図は分からない、分からないけど臣兄は私の話を冷やかしたり馬鹿にしたりするようなタイプじゃない。
だから、私は久しぶりにシル・メシアのことを思い出しながら、まるでファンタジー小説の話をするように語った。
臣兄は時々相槌を打ったり、興味を持ったところは質問してくれたりと真面目に聞いてくれる。凄く懐かしくて、楽しくて、幸せで、慌しい時間が濃密に詰まった場所だ。今だって目を閉じれば、鮮明に思い出すことが出来る。
ああ、懐かしいシル・メシア。望郷の念を強く感じて切なくなる。
「真白はその世界が好きなの?」
一頻り話し終え、そう思ったのと同時にそう問い掛けてきた臣兄に、私の心臓はどきりとはなったけれど、私は結局、分からないと首を振った。
「変な世界なんだよ。素養が全てでそれを持っていないと駄目なの。命だってとても軽くて、自分が持ってない素養を手に入れるためなら簡単に殺しちゃうし……普通に暗殺業とか成り立っちゃうし、そんなの駄目だっていったら、どうして駄目なのか誰も分からないんだよ? どうして分からないのかが私には分からないよ」
ほう……と息を吐いた私に、臣兄は静かに「そうだね」と同意してくれる。
「でも、でもね……常識なんてその世界に住んでいる人が勝手に決めてしまうものだから、それとは違うものが入ってくればそれは非常識で……きっと理解するのにとても時間が掛かっちゃうよね?」
やんわりとそういった臣兄に私はこくんっと頷く。
「……でも、だからって命は大切だと思う……。簡単に奪って良いものじゃないと思うの。だから、それを分かって欲しい人が居たのに……。絶対に無理なのは分かってるし百パーセントの理解なんて得られないと思うんだけど、でも、分かって欲しかった。その人も分かろうとしてくれてたのに、結局私は何も残せなかった」
「―― ……大切だったんだね?」
お兄ちゃんが一体どこまで信じて私の話なんて聞いてくれているのか分からない。
でも、私はお兄ちゃんの言葉に素直に頷いた。
大切だった……ううん。
きっと過去形ではなくて今現在も私は彼を大切に思っている。
離れているしもう二度と会うことも叶わないだろうけれど、それでも大切に思っている。
「真白」
「うん?」
「家族ってさ、もどかしいね? 真白のことをこんなに大切に思っているのに、結局僕らは真白を縛ってしまっていたのかもしれない、真白は常に自由であるべきだったのに、僕らはとてもとても真白が大切で、どうしても離れられなかった。諦められなかった……本当は、真白が笑顔で過ごせる場所に居させてあげなくちゃいけなかったのかもしれない。今の真白を見ていれば、みんな、そう、思ってるよ。父さんも、母さんも……郁斗も……もちろん、僕も。僕らは……みんな何かを間違ってしまってる」
ぽつ、ぽつ……と臣兄はそう綴って、最後に、ごめんねと締め括って、きゅっと下唇を噛み締めた。
泣くのを我慢しているようなその表情に、私のほうが泣きそうになって、私はそっと臣兄の腕に触れて「大丈夫だよ」と繰り返していた。
***
少なくとも私は家族に愛されている。
私はその家族の傍にいて、彼らを愛していかないといけないと思う……でも、それはいつまで? いつまで、私はそうしていられるんだろう。
きっと私の存在が、立ち止まったままの私が、今度はみんなの足を引っ張ることになるかもしれない。
私は……真っ暗な部屋の中でぽつりと思う。
「間違えてしまったのかもしれない」
自分の気持ちがこれほどまでに止まってしまうとは思わなかった。そして、そのことがまた家族を縛る。
大抵のことはやり直せる。
もう一度……も可能かもしれない、でも、私の場合取り返しはつかない。あのとき私は、ここに私の幸せはあると選択した。
「真白に、本当の笑顔が戻るように願ってる。寂しくてもそう願うべきなんだよね」
ぽつぽつと繰り返した臣兄の言葉に答えた「私はもう元気だよ」という台詞がとても、とても、頼りなくて、どうしようもなくて、自分でも笑ってしまった。
―― ……人は間違える生き物だというのなら、
神様お願い……もう一度だけ私に選択する機会を与えてください ――
そう、願うことを、みんな許してくれるのだろうか……。