第四話:天然素材の王子様(2)
何だか彼の雰囲気に気後れして答え損ねると、何か誤解があったのか、エミリオさんは短く謝罪してきた。
「何か気を悪くしたかな? ごめんよ。その、君くらい身なりもちゃんとしてて綺麗な子なら、その、何ていうか、きっと親御さんが、ちゃんと適正素養の学園へ通わせていたと思ったんだ。あ、いや、そう、だよね。種を飲むような事情があったのだから、僕が踏み込むべきじゃないんだよね。本当、ごめんね。よく思慮が足りないってカナイに怒られるんだよね、本当、ごめん」
思い切り凹んだようだ。私はまだ何もいっていないし傷付いてもいない。
何というか、この王子様一人で突っ走っている。
それに私を綺麗だと形容してしまう辺り、社交辞令としても美意識回路も故障中みたいだ。でも、見た目に反して、とても人好きのする性格っぽい。
「そんなに謝らなくて良いですよ。エミリオさん。私、その、ブラックがいうには、この世界とは違うところから落ちてきたみたいで……」
口にしたあとで自分こそ思慮が足りないと、はっとした。
いきなり私は異世界人です。なんて口にする奇人。早々居ないだろう。
「エミルで良いよ。みんな、そう呼ぶから。それはそうと、違う世界から落ちてきたというのは本当? さっきから名前の挙がっているブラックって、もしかしなくても闇猫のことだよね?」
確か彼はそう名乗っていたはずだ。と、ほんの少し悩むように眉を寄せたエミルは、うーんっと唸ったあと「まあ、いいか」と顔を上げた。洒落にならないくらい物事に動じない人らしい。
「あっれー? エミル、駄目じゃん。寮に彼女なんて引っ張り込んできちゃ」
不意に上から降ってきた声に顔を上げると、二階辺りからこちらに手を振っている男の人が居る。からかうように笑っている彼に、エミルはこともあろうか
「内緒にしといて。僕だって寮則くらい破ることもあるよ」
とにこやかに答えて手を振ると「詳しい話はあとにして、行こう」と、そっと囁き私の手を再び引いた。
うわぁ、マジでー! と、上から聞こえた声に、私は否定も肯定も出来ない。そんな暇ない。軽く頭を下げてエミルに引っ張られその場を立ち去る。
反対側の扉を開くとまた同じような書庫が広がり広い廊下を進みながらエミルは歩みを緩めてまたも詫びた。
「ごめんね。図書館に入ってくる女の子って、本当に少ないんだよ。だから、まだ何も決まっていないうちに、奇異の目で見られるのは良くないかと思ったんだけど、その……もうちょっといい方があったよね。従兄弟とか妹とか……」
「気にしなくて良いです。ありがとうございます。気を遣ってくれて……でも、女の子が少ないって本当ですか?」
ブラックはそんなこと一言もいっていなかった。
確かに渋ってはいたが。
私の言葉にエミルは、ほっと胸を撫で下ろしたように微笑んだあと「あ、そうか」と一人納得した。
「君は違う世界から来たから、知らないんだよね? 図書館に通う生徒は、基本的に女の子は少ないんだけど、その中でも薬師の素養を見出される女の子は本当に少ないんだ。僕が知っているのは中級階位に一人、初級階位に一人居たかな? 君が入れば二人になるね?」
そんなに少ないのか。
それが十人中の一人なのか、百人中の一人なのかは、分からないが、男子校の中へ放り込まれたようなものだ、ということはよく分かった。
いや、私の突っ込みどころはそこじゃなくて
「あの、違う世界から来たっていう部分は信じてくれるんですか?」
「え? 冗談なの?」
「いや、本当ですけど、その、そういう人もしかして多かったりするんですか?」
エミルが特別なのかどうなのか分からないが、直ぐに納得し過ぎな気がする。
疑われてもどうしようもないけど。エミルは、私の質問に首を傾けて、うーんっと唸ったあと
「どうかな? 僕は初めて会うけど。でも、そういうことがあるって話は聞いたことあるよ」
会えるなんて、凄い幸運だよね? と、重ねてにっこり微笑まれると、顔が熱くなってしまう。
「もう直ぐ、寮監のところへ着くけど、笑っちゃ駄目だよ? 軍艦みたいな髭をした人でね。初見で噴出さない人は滅多に居ないから」
口元に人差し指を当てて秘め事を話すようにそう囁いて、綺麗に微笑む。
本当に、王子様という形容がぴったりくるような綺麗な人だ。中身は微妙に天然が入っているようだけど。
***
「はい、ここが君の部屋。角部屋だから色々遠いけど、お向かいは僕の友人の部屋だし、隣りは僕の部屋……って、まだ笑ってるの?」
「だ、って、エミルが悪いんだよ。会う前に、あんなこというから」
私は目尻に浮かんだ涙を拭いつつ、痛む横腹を押さえた。寮監さん。
確実に、あだ名は軍艦だろう。みたいな髭じゃなくてほぼそのものだった。
あんなもの口元にぶら下げて重たくないのだろうか?
「そういえば君、荷物がないよね。学用品は館内でも買えるけど、あ、でも、君、借金があるんだよね。当面の生活費もそこから工面するのかな? だとしたらあまり使わない方が良いよね……」
うーんっと部屋の扉を開けたまま考え込んでしまったエミルに、何だか私は申し訳なくなってきた。
「良いよ。ありがとう、あとは自分で何とかするから」
ついエミルの気安さに、敬語も忘れてしまっていて「…します」と、いい直した私にエミルは人の良さそうな笑みを浮かべて「良いよ、そのままで」と口にしたあと、尚も唸った。
自分で何とかする、と、いった私の言葉はスルーしてしまったようだ。
「エミルが彼女を連れ込んでる。って、いうから見に戻ったら……もしかして、入学者?」
首を捻ったままのエミルの肩越しに顔を覗かせてきたのは、まだ見忘れるには早い無愛想男だ。
あちらも私に見覚えがあったのか、あ、というような顔をして眉を寄せた。
そんな私たちの不穏な空気を全く読むことなく、エミルは、にこりと無愛想男を振り返って「そうなんだよ」と、頷いた上に丁度良かったと重ねた。
「この子、異界から来たんだって、闇猫のところに落ちたらしくて、それで日用品とか何にも身の回りのものがなくて、でも種を飲んじゃったらしくて借金もあって、そういえば制服もないよね……」
「ん、分かったから、順番に話してくれ」
エミルは、説明が今一苦手らしい。
聞いていた私でも途中でストップを掛けたかった。ちっとも纏まっていない。
開いたままになっていたのは私の部屋だが、当然、私の部屋には何もない。必要最小限のベッドとか机とかはあるみたいだけど、それ以外何もない。
仕方ないので隣室だ、といっていたエミルが自分の部屋で話すことを提案したが……無愛想男があっさり拒否して自室を開いた。
「僕なら一人部屋だし気にしないのに」
「俺が気にする。お前の部屋は異様だ」
「失礼だな。薬師の部屋なんてあんなもんだよ」
エミルの部屋に物凄く興味が湧いた。
でもエミルが一人部屋を強調するということは、この男は一人部屋ではなく相部屋者が居るのだろう。
「大体、この先お前がこの女の面倒を見るつもりなら、アルファとも顔を会わせておいた方が良いだろ」
ほら、入れよ。と、促されると中では、一人の金髪美少年が読書中だった。
窓から差し込む陽光が、キラキラと髪に反射してとても綺麗だ。
「んー? お帰りなさーい。カナイさん、と、エミルさんも一緒かー。あれ、何で女の子が一緒なんですか?」
斜めに傾けていた椅子のバランスが驚きに揺れたが、見事な動きで元の体勢に戻る。そして、身軽にひょいと立ち上がった。
私の傍に立っている男性陣が巨人なのか、彼が小柄なのか、傍寄ると私より少し高い位置に頭があるだけだったので小柄なのだと判明。
仔犬のような無邪気な笑みを浮かべて、私の顔を覗き込んでくる。
私に興味津々らしい。
ブラックのように尻尾があれば物凄く振ってそうだ。
「まあ、とりあえず、みんな入って。カナイさんはお帰りなさい。お茶でも淹れますねー」
「あ、僕はカモミールが良いな」
「はいはい、エミルさんはカモミール。カナイさんは、ご自分でブレンドした紅茶にブランデーですか?」
「ストレートで良い」
続けて貴方は? と問い掛けられ、その近さに赤くなる顔を隠しつつ「何でも」と答えた。そのあと、どうしたものかと逡巡していた私に、エミルが二人を紹介してくれた。
「彼は、カナイで中級階位の生徒。お茶を淹れてくれてるのがアルファルファ、みんな、アルファって呼んでるからそれで良いと思うよ。君と同じ初級階位だね」
「カナイさんは、地味で無愛想ですけどモテますから、手を出されないように気をつけてくださいね」
にこにこと小さなキッチンセットで、ぱたぱたやっていたアルファの頭に、机に開きっぱなしになっていた本がふわりと飛んで来て落ちた。
角からだ。
あれは痛い。あうぅっと僅かに腰を折って頭を抱えたアルファが気の毒だ。
「そして、彼女はマシロ。明日から、初級階位に参加すると思う。異世界人なんだって、凄いよね」
「それはそうと闇猫がどうとかいってなかったか?」
カナイ、今、私が異世界人だって部分簡単にスルーしたよね。
その気持ちは分かるけど。くそー、ブラックには食い付くくせに。失礼な奴だ。私はとりあえず、アルファが傍に来たところで話を始めた。
私の分かっていることなんてちょっとだけど、多分エミルが話をするよりは的を得ているだろう。