第四十三話:涙が女の武器って古い?
辺境の町に着くともうお日様はその姿を消していて、名残のように空を赤く染めているだけだった。
そういえば、ここには初めて落ちてきたとき以来来ていなかった。
ブラックはどうしてこんな所に居を構えているんだろう? 店をするならやはり王都に開く方が、利用するものにも便利だと思うし手間がない。
ここだと往復するだけで一日仕事だ。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていたら、懐かしくも感じる種屋に到着した。
門の鍵は開いていたし、扉をノックしても返事はなかったが静かに開いた。
薄暗いホールに足を踏み入れると初めて来たときと同じように、ふっと明るくなる。
屋敷に拒絶されては居ないようで胸を撫で下ろす。
中央階段に足を掛ければ左右のランプも灯るし、屋敷の中が柔らかな明かりに包まれていく様子は緊張していた私の心も暖めてくれた。
ここで私は自分が泊まった客室と、ブラックの書斎しか知らない。だからまず扉を叩くのはここしかなかった。
―― …コンコン
ブラックの書斎……ゆっくりと深呼吸をしてからドアを叩いた。
返事はない。
でも勇気を出してノブに手を掛けると鍵は掛かっていなかった。ドアを開けると薄暗い室内はあの日と全く変わっていなかった。
さわさわと頬を撫でていく風に瞳を細めて、後ろ手にドアを閉めると、ふっと風は吹き抜けなくなる。
開けっ放しの窓辺に背中を預けて緩く腕を組み、ぼんやりと外を眺めていた姿はこちらを振り返ることもなく私の呼びかけに答える。
「こんな辺境までどうしたんです。忘れ物ですか?」
こつこつと私が傍まで歩み寄ってもこちらを見ようとしない態度に、心がきゅ……っと苦しくなる。
―― ……忘れ物……か、そうなのかな?
ブラックの隣に立って彼が見ていた空を見上げる。
ここからは月が良く見える。
ちらと隣を見ても視線が絡むことはない。
それがあまりにも苦しくて私は、ブラックに向き合うと腕を伸ばし無理矢理自分の方へと首を捻った。
「あいたた……ちょ、マシロ、そんな無理矢理」
「ブラックが勝手に黄昏て格好つけてるからでしょ!」
思わず逆ギレ。
ピコピコと動く愛らしい耳につい目を奪われ和みそうになる。それを何とか我慢して、私は、こほんっと咳払いして堪えた。
「ああ、忘れ物、でしたよね。着ていた物ならそのまま客室に保管してありますから」
「え? ああ、そうか……」
いわれた言葉に思わず納得して私は、ブラックから手を離すと自分の服を見下ろした。そういえば物凄く馴染んでしまっていて気にしていなかったけど、これは図書館の制服だ。
私の学校の制服じゃない。
「……て、そうじゃないの!」
「ええ、違うんですか?」
どうしてこう、私にはシリアス感が足りないのだろう。
馬車の中でいろんなことを山ほど考えていたというのに全部吹っ飛んだ。ブラックは困ったように眉を寄せて耳と尻尾を項垂れている。
―― ……きっと、これだ。これが私の緊張感を削ぐんだ。
思わず直ぐに手の届く尻尾を掴んだ私にブラックは心底困ったような顔をして「本当に何をしに来たんですか?」と零す。
ホントにねぇ……私何してんだろう?
するりと手の中から尻尾が抜けていくとちょっぴり名残惜しい。
「ブラックが勝手にさよならして、勝手に会いに来なくなるから、私から来たんでしょ」
「……あ、ああ。すみません。契約の証を取り除いて差し上げるのを忘れていましたね。そのうち消えるものですが、やはり目の前で消えた方が貴方も安心ですよね」
借金の返済への目処はたったといっても、まだ返済が完了したわけではない。私は無意識に左胸を押さえていた。え? と間の抜けた声を溢していた。
そんな私にブラックは緩く笑みを溢すと「構いませんよ」と口にする。
「証があれば私は貴方を感じていられたので、そうしていただけです。世界が変わればそれもなくなるでしょう」
……私を感じていたって……やっぱり変質者……。
そう思わなくもない。思わなくもないけれど……きっと私もどこかで同じことを思っていた部分があるのかもしれない。ブラックを攻める気にはならない。それよりも、
「どうして、構わないのにそんなに悲しそうな顔をするの?」
私の質問にブラックは刹那不思議そうな瞳をしたが、直ぐにそれは翳って自嘲的な笑みに変わった。そして私がこの部屋を訪れたときと同じように、煌々と照り始めた月を見上げる。
「きっとマシロがそう思うのなら、私はそういう顔をしているんでしょうね」
「―― ……」
「それは……―― それは、きっと何もないからですよ。この世界で全てを持つといわれる私は、実は愛した女性一人留めておくことも出来ない無能です。全てを持つということは何も持っていないに等しく、何も持たずにこの世界に落ちてきた貴女の方が多くを手にしている。酔狂な話ですがそれが事実です」
私は凄く優柔不断なんだろうなと思う。
帰ると宣言しておきながら、こうして月を焦がれるように見詰めているブラックを見ると、その決意すら揺らいでしまう。
でも私は捨てられない。
これからよりもこれまでが捨てられない。
―― ……だから私はここに残れない……。
「ブラック……」
私はもう一度、同じように彼の首に手を掛けると今度は抵抗することなくブラックは私を見た。
美しい瞳の色が月光に揺らいでキラキラとしている。とても秀麗だと、そう思う。
私はそのまま彼を引き寄せつま先で立つと、そっと唇を重ねた。
「好きだよ。私も貴方が好きだと思う」
囁いてもう一度重ねる。
無理な体勢でよろけそうになる私の身体を支えてくれたブラックは、少し震えていた。先ほどまで私を捕らえて離さなかった瞳は不安げに揺れている。
ごくりとブラックの喉が上下して熱い吐息とともに言葉を吐き出す。
「ズルイです。貴方はズルイ……そうやって私を捕らえて離さないくせに、貴方は帰るのでしょう? 決してここに残るとはいってくれない」
本当にズルイ人です。と、重ねたブラックの言葉は私の腸を抉るように苦しめる。
心が痛くて身体中が軋むようで……苦しい。
ぽちっと手の上に雫が落ちて、私は泣いてしまっているのかと慌てて顔を拭ったけど、それは私じゃなくて……。
「あ……」
私から片手を離して不思議そうに顔を拭っているブラックだ。彼がぱちぱちと瞬きをする度に、はらはらと瞳から雫が溢れて落ちる。
「すみません。えっと、大丈夫ですよ」
ごしごしっと顔を拭う姿は猫っぽい。思わず、ふふっと笑みが零れてしまった。
「わ、笑わないで下さい。っく、おかしいな、止まらない」
「ブラック」
酷い奴だと思ったし、意地悪で、変質者で、絶対に私から歩み寄ることはないと思っていた。
でも、不思議と……今は、子どもっぽいところのある人だと思う。
可愛げのある人だと思う。
人一倍寂しがり屋で、人恋しいと思っていて、でも臆病で……。
今ならはっきりと分かる、私はこの人が好きだ。
「大好き」
涙に戸惑っているブラックをぐいっと引き寄せて口付ける。
彼の首に腕を回して角度を変えて何度も……上手く出来ているか分からないけど、他に伝える手段が思いつかなくて……だから、何度も……。
「…っ、マシ、ロ……」
驚きにも似た声で私を呼ぶと、ブラックは私の腰を強く引き……拙い私の口付けに応えるように唇を重ね舌が口内に割り入ってくる。
最初に感じたざらりとした感触が、拒む気持ちがないとより強く官能的に身体に響く。
噛み付くような強い口付けに私の頭は真っ白になり何も考えられなくなる。
「ぁ…っう……」
膝に力が入らなくなって自分の力で立っているというよりは、ブラックに縋り付いているような感じだ。
ぐっと押されてしまうとバランスを崩し倒れてしまいそうになる。
それを何とか我慢していたのに、ブラックは刹那私と視線を絡め、ふっと笑みを零すと私を抱き締めたまま私の足を弾いた。
くっと襲ってくるだろう床との直撃を覚悟して目を閉じると、身体はふわりと柔らかいものに包まれる。
「え?」
ここはどこだろうと目を瞬かせる。
窓はさっきと同じ位置にあるし、月の明かりが部屋の中を照らしている。
でも、見える月の位置が……私が倒れたせいか少しずれてしまっている気がする。
「私は次に月に妬かなくていけませんか? ねぇ、マシロ、今一時だけは私を、私だけを見てくれませんか?」
そっと頬に掛かっていた私の髪を綺麗な指先で梳いて、覗いた項に舌を這わせる。
んっと声を殺した私にブラックは誰も聞き咎めませんよ? と苦笑して尚も口付けを繰り返す。
「……ん、ねぇ、ここ……」
「ここは私の寝室です。私以外の人が入るのは初めてですよ」
ちゅっと可愛らしく口付けて微笑むと、帰ってきた答えにドキドキする。
寝室ということは、ここはベッドの上で、ということはやっぱり……急に襲ってきた現実に私はちょっぴりパニックになる。
―― ……怖くない怖くない怖くない
ドキドキを抑えるためのおまじないのように頭の中で繰り返す。
「怖い、ですか?」
「ふへっ? そ、そんなこと、ない、よ?」
声が裏返った。
完全に肯定している。
私は恥ずかしさと、情けなさに、これ以上赤くなれないだろうというほど真っ赤になった。ブラックはそんな私に柔らかく瞳を細めて、私の上に覆い被さったまま頬を撫でる。
「大丈夫、なんていったら嘘になるので、私はいいませんけど」
いって、お願いだから。
大丈夫だとか痛くないとか怖くないとかいって。
私の心の突っ込みはスルーなのか、ブラックはにこにことして私の頬にキスをしたり頬を摺り寄せたりする。
その所作はとても愛らしい感じだけど、今対峙しているのは明らかに獣だ。
でも、私が好きになった獣で、その彼が望むならと思わなくもないけど
「優しくすることもきっと出来ないと思います」
そんなことをいわれると逃げ出したくなる。
じたばたと暴れた私にブラックは耳元でふふっと笑いを零すと、耳殻をつぅっと舐め上げそのまま熱い吐息とともに耳の中へ舌を差し入れる。
「ひっ」
ぞくぞくっと身体が震え逃げ出そうとする私の身体を、ブラックは絶対に離さない! というようにぎゅっと抱き締めて執拗に口付ける。
「や、やめ……っ、あ……」
心臓がバクバクと五月蝿く鳴って身体の奥がじんっと熱を持つ。
「駄目、です。やめてあげません。だって、貴方は私に既に浮気宣言をしているんですよ? 元の世界に戻ったら、私の知らない誰かと恋をするんですよね? 私はそれを拒むすべもやめさせるすべもないんです。だとしたら、今を絶対に忘れられないように貴方に刻むしかないでしょう? 人は良い思い出よりも嫌な思い出の方が記憶により強く残るんですよ」
しゅるり……と胸のリボンが解かれて、ぷちぷちと慣れた手つきでボタンが外される。
するり、と、開けた肌に触れた手が私の体温より冷たくてひやりと身体が緊張する。
「好きです。愛してます。貴方に傷を付けたら私を嫌いますか?」
こめかみ辺りに擦り寄ってきてそんなことを、そんな不安そうに囁かれたらノーとはいえない。
嫌わない、嫌えない。
きっと彼以上に私を必要としてくれる人なんてこの先居ないと思うから……。
私の答えを待つように覗き込んでくる瞳に映る私は自然と微笑んでいた。
「好きだよ。大好き……」
きっとこの世界のどこを探しても、この人がこんなに可愛らしくて優しい表情が出来ると知るのは私だけだろう。
私の全てが彼のものであるように……彼の全てが私のものだ。
「忘れられない夜にして差し上げます」
重なる口付けに身を委ね、私はとても満たされていた。
※この続きは裏(R指定)になります。
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