第四十話:盲目的に一途な思い(2)
―― ……この人オカシイ。
キリアさんの狂気に触れた気がして、私は数歩下がった。浮かんでくる恐怖に胸が苦しくなり鼓動が早くなる。種、種を飲めば良いって……。
「ば、馬鹿なことをいわないで、種って、種を飲むということは命を飲むのよ? それに王の種となると、エミルに血の繋がった人の種を命を飲めというの? ブラックに王家の人を手に掛けろというの?」
そのどちらも私は嫌だ。
本人が望んだのならまだしも、彼らはそれを望んでいない。
恐怖に震える私とは対照的に、キリアさんは私がどうしてそんなことをいうのか不思議だ、とでもいう風に瞬きする。
「先天的に存在しない素養ならば、種により得れば良い。というのは極当たり前のことです。それが国のために必要だというのなら尚のこと? マシロ様は何を仰っていらっしゃるのですか?」
その様子に、私は恐怖が怒りに変わった。
エミルやブラックの気持ちを蔑ろにした発言を続けるキリアさんに、私は思わず手を振り上げた。
「酷いことをいわないで!」
と、振り下ろしたのにその手は簡単に止められて、今度は反対に手首を捻られる。鈍い痛みと悔しさに涙が浮かびそうで、私は、きゅっと口を引き結んだ。
「貴方にご理解いただけなくても構いません。詰まらぬ話には仕舞いをつけまして、私の頼み聞いてくださいませんか?」
「……っい、やよ!」
歯噛みしながら口にした私に、キリアさんは冷たく瞳を細める。
もともとが美人だから凄みがある。
もう直ぐ私はこの世界を去る身だけど、だからってこんな頼み聞きたくない。
反抗的にキリアさんを睨み付けた丁度そのとき、私の傍の植木ががさりっと音を立て揺れると、その間からアルファが「やっと見つけたー」と顔を覗かせた。
私は、ほぅっと胸を撫で下ろし膝が下がる。
アルファは、一切不穏な空気などなかったことにするように、するりと私とキリアさんの間に入り私の肩を支えて「大丈夫?」と顔を覗き込んでくる。
大丈夫だと、微笑んだつもりだけど本当に掴れていた腕は痛むし、顔色だって多分良くないだろう。
「どこの使用人がマシロちゃんに用があるのかと思ったら、ターリ様付きじゃないですか? その顔はどこかで見たことあるな?」
私に自分の腕を掴ませて、ゆっくりとキリアさんと対峙したアルファの言葉に、キリアさんは明らかに焦りを見せている。
「いえ、私はお嬢様がお迷いだったようですので」
白々しい嘘だ。
アルファはそんなキリアさんの台詞に「ふーん」と相槌を打ったあと、別にどうでも良いけどと口にして空いた手を腰に掛ける。
「消えて? 消えてくれないなら僕が消してあげるけど?」
キリアさんの喉がごくりとなったような気がする。
私には分からないが、キリアさんには、どちらが圧倒的に不利なのか分かるのだろう。キリアさんは失礼致しました。と、腰を折ってその場をあとにしてくれた。
全身から力が抜けてぐっとアルファの腕を掴んだ。
アルファは苦笑して私を支えてくれる。
そんな私をアルファは少し座りましょう。と、人気のあるところまで連れて出てくれた。
そして、庭園内にあるポーチの隅を陣取った。
はあ、とひと心地ついた気分だ。
それと同時にアルファはごめんなさい。と、謝罪した。
何に謝っているのか分からなくて首を傾げる私に、アルファは無事で良かった。と、微笑む。
「最初遠くて良く見えなくて、僕結構目は良いんですけど……。使用人の制服なのは分かったから、お茶にでも誘われたのかと思って許したんですけど、あの人ケレブ様付きですね」
いってアルファは眉をひそめる。
「あの人ケレブ様のことしか頭にないから、酷いことされちゃいましたよね?」
アルファの目から庇うように手首を隠していたのに、お見通しのようだ。
「戻ったらエル先生のところへ行きましょう? 僕はマシロちゃんに怪我をさせてばかりだ……僕に護れるものなんてないのかな?」
誰にいうでもなく、ポツリと続けたアルファの言葉は聞き取りづらく、私は問い返したけどアルファは重ねてはくれなかった。
アルファが思案気味に、ころころと指先で弄んでいた赤い石には見覚えがある。
「僕は今の生活に不満はないので、そう思うことは少ないですけど、今日みたいなことがあると種が欲しくなります」
「え?」
「僕には術師の素養も、薬師の素養もありませんからね。今日マシロちゃんを探すのに手間取ってしまったのは、ご丁寧にこの結界石が君たちの傍にあったから……だから気配が探れなかった……しらみつぶしに探して回るしかなくて」
悔しいです。と、少し赤黒くなってしまっている私の手首を擦ってくれるアルファにも切なくなる。
何かフォローをと思ったのに、大した言葉は浮かんでこなくて、次の言葉を捜している私にアルファはにこにこっと笑みを取り戻して立ち上がる。
「ま、僕は闇猫に頼みに行くくらいなら剣一本で十分ですけどね」
差し出してくれるアルファの手を掴んで私も立ち上がると、それにねと話を続けてくれる。
「僕に出来るかどうかは分からないけど……何も持たないマシロちゃんでも、エミルさんの気持ちは護ってあげられた。素養が全てのこの世界で、マシロちゃんはそれだけじゃないと声高にいってるみたいです」
にこにこにこと笑顔を崩さないアルファに今度は私が眉を寄せる。褒められているのか、貶されているのか微妙すぎる台詞にも突っ込みたいが、何よりも。
「どこから聞いてたの?」
「んー、少しです。種を飲めば良いといった辺りから」
それならもっと早くに出てきてくれれば良いのに! と、素直に不満を漏らした私にアルファは今度は声を上げて笑った。
「そうですよねぇ、訓練を積んでいるターリ様付き相手に手を上げるんですから。あはは、当たるわけない」
僕、吃驚しちゃいましたー。と、目じりに浮かぶ涙を拭いながら笑い続けるアルファを小突いた。こつんっと脇腹に当たる。
もう一度小突く……ちゃんと当たる。
「くす、くすぐったいですから、やめてください」
じっと手を見る。
拳を作ってみる。
振り下ろしてみる。
がつんっ!
「いった! 痛いですよっ!」
「当たった。あ、ごめん。でも、アルファだって凄い剣士なのにどうして?」
「はい? どうしたんですか?」
あいたた……と、ワザとらしく小突いた頭を抑えたアルファは不思議そうに首を傾げる。前に同じようなことがあったとき、私の拳は当たらなかった。
「え? ううん、なんでもない。帰ろうか」
私はもう一度だけ自分の手を見て、ふふっと笑いを零した。
なんの理由もなく手を上げてしまったのは悪かったから、もう一度だけ謝ったけど、心はほんわりと暖かい。
アルファに私はちゃんと歩み寄れている。
こんな小さなことが嬉しいのに……私はこの世界をあとにする。