第三十七話:稀代の天才魔術師
「高等魔術の演習はここじゃないと周りに被害が出たらいけないから、図書館にはこういう部屋はないだろ?」
きょろきょろと物珍しそうに見ていた私の耳元でクルニアさんが囁き、慌てて避けるとカラカラと笑っていた。
確かに、図書館にはこういうのはない。
あるのは物凄く大きな貯蔵庫とか温室とかだ。温室は先が見えないほど広い。圧巻だ。
「クルニア、くだらないこと話していないで、お前はタイムキーパーもしていろ。これ、邪魔だから持っといて」
クルニアさんに時計を渡し、私には腕を吊っていた三角巾を持たせた。そして、さっさと中央へと歩み出て行くカナイについて行こうとして、クルニアさんに止められる。
え? と見上げると「俺たちはここ」と壁際に寄せられる。
「わざわざ俺を呼ぶってことは、あんたに被害が行かないように……結界でも張っとけってことだと思うしさ、あー、ところで名前は?」
「あ、ごめんなさい。マシロです」
私が名を告げるとクルニアさんは一瞬時間を止めたあと、堪えきれないというように、ぶふっ! と噴出した。きょとんっとする私に、いや、悪い。なんでもない。というけれど何でもない相手を前にそんなに笑うとは……ちょっと失礼だ。
「モリスン女史がカナイに凄い叱責を受けてた時に出てた、名前だなーと思って」
「え」
「いや、ここは女の子が多いからねー。なーんでカナイがモテるのか俺にはさっぱりだけどさ、色々騒ぎがあっても大抵我関せずなのにあの時だけは……」
「クルニアっ! ちゃんと図れよっ!」
中央まで出て行ったカナイが怒鳴る。多分聞こえていたのだろう、真っ赤だ。
そんなカナイに益々クルニアさんは笑い「わーってるって」と手を振ってちらと時計を確認した。
カナイは暫らく中央で考え事をしているようだったが、ふっと空を仰ぐと僅かな間目を閉じた。
ぴんっと辺りの空気が張り詰めて緊張が走る。
す……っと怪我をしている左手を動かすと、次の瞬間には杖が握られていた。先には大きな魔法石が付いている。
赤い球体は陽光を浴びて光を乱反射させて輝いている。
『我天を制すもの、右に宿りし青き月。左に宿りし白き月。天支える太陽……』
カナイの詠唱が始まると、部屋全体の空気の密度が一気に濃くなり息苦しく感じ、カナイを中心に濃密な空気の渦が壁のように競り上がってくる。
「やっぱり片手じゃ詠唱破棄は出来ないんだな」
「え?」
「ん? ああ、普段あいつ杖なんて持たないだろ? あれを左手の変わりにしてるんだ、んでもって傷に毒か……もしくは他の何かの影響で体内を循環している魔力が、あっち側に流れてないから、詠唱でサポートしてる。まあ、普通は高等術式を詠唱無しで使うなんて馬鹿なこと出来るのは、この国でも数えるほどしか居ないけど……俺でも高等術式じゃ破棄出来ないし。足りないとはいえ略式詠唱で凌げるってのがすげーよなぁ。天才は違うよ」
そっか、私のせいでカナイはいつも通りのことが出来ないんだ。毒もいろんな種類があるから、私では見ただけでその種類を特定することは出来ない。エルリオン先生はきっと気がついていたと思うのに、きっと、私に気を使って教えてはくれなかったのだろう。
「あ、あれ? もしかして、あいつの怪我マシロが絡んでる?」
意図せず俯いてしまった私に慌てたクルニアさんは、そういってわたわたと取り成すように話を続ける。
「あ、あー……ええっと、悪い。ごめん。本当、すんません。でも気にすることないってあいつはあれでも十分凄いし、それにあれだ、うん。あいつはああ見えてもAプランしか用意してない奴じゃない、B・Cプランくらいまでは確実に用意してことに挑む奴だから、あんまり気にするなよ?」
『……炎を礎とした匣を現出させよ』
クルニアさんと話し込んでしまっている間に、ごぅっと低く唸るような音が聞こえて巨大な風の渦が巻き上がった。凄い勢いで室内に広がってくる竜巻に、私は身構えたが、風は私の頬を撫でただけだ。
半歩前に出ていたクルニアさんを、ちらと見上げれば、相変わらず口の端の煙草を揺らしながら、にやりと笑った。彼のお陰、なのだろう。
その風と共に、カナイが、こつっと杖を地面へと下ろした瞬間、それは出現した。巨大な赤い柵の檻だと思う。
「おい、どのくらい掛かった?」
「三周り半だ」
クルニアさんの返答にカナイは舌打ちし、もう一度こつっと地面を叩くと檻はぱっと塵と化した。
―― ……魔術って、凄い。綺麗だ。
私は思わずその美しさに見惚れて、感嘆の息を漏らした。
薬師の地味さを思うとこちらが女の子に絶大な人気を誇るのも、分かるような気がする。
カナイは僅かな間だけそこに立っていたが、ふぅっと息を吐ききると、まあ良いか。と呟いて「帰るぞ」とこちらに歩いてきた。
もう帰るのか? というクルニアさんの言葉にカナイは怖い顔をして「お前のお喋りに付き合うのは酷だろ?」と釘を刺す。
バツが悪そうなクルニアさんに「気にすることないよ」と微笑んだつもりだけど、自分自身でどんな顔をしているか良く分からなかった。
カナイは、そんな私の腕の中から三角巾を抜き取るとよいしょと首に引っ掛けて結ぼうとしたが
「不器用なあんたに出来るわけないでしょ」
あまりにもたついているので突っ込まずにはいられなかった。
私の毒舌にカナイは、うっと息を呑み「そう思うんならさっさとやれよ」と腰を折った。
***
「あの上にある『高等魔術の術式解説と応用術』を取れ。んで、そのあと『古代聖獣の生態』も探しといて」
「……うん」
カナイは大聖堂から戻ると、そのまま人が殆ど出入りしない古臭い本が並んでいる一角を陣取った。
私は申し訳なくてカナイにくっついて小間使いをしている。
そしてそんな私の気持ちを知ってか知らずか、遠慮なくこき使ってくる。
こんな上の段の本が私に取れるわけない。
きょろきょろと見回すと一番遠いところに梯子が掛かっている。私は肩を落としてそれを取りに行ってからカナイご指名の本を抜き取り、既に山になっている本の上に重ねた。
「他には?」
「別に無い」
図書館に戻るまでは腕を吊っていたのに、カナイはあっさりそれを邪魔だと外してしまった。
私は、机の上に放りっぱなしになっている三角巾を手元に手繰り寄せ丁寧に畳む。
「殊勝な態度も取れるんだな? いつもそうだと静かなのに」
カナイの嫌味に突っかかる気力も無いしそういわれても仕方ない。
すっかり気落ちして無口な私を、カナイは暫らく無視して本のページを捲っていたが、耐えかねたのか「気にするなっていってるだろ」と逆ギレした。
でも……と眉を寄せると、いつものように嘆息して困ったように微笑んでいる。
「俺はこのくらい平気。クルニアもいってただろ? 俺はA案しか考えていないような奴じゃないの。一応C案くらいまではある。それに、大体お前に怪我させてた方が大問題だし、もし盛大に転んで頭の魔法石が傷ついてみろ、騒ぎが大きくなるぞ」
「……は?」
「その魔法石は傷が入ったら爆発するからな」
何だと! そんな危険物を私に後生大事に身につけさせていたのかっ!
今更のカナイの言葉に思わず眉を寄せた私にカナイは、いってなかったっけ? と首を傾げる。
聞いてないよ全然。
「まあ、小規模な爆発だし、持ち主に傷を負わせるようなものじゃないから心配は要らない、け、ど……お、怒るなよ? いや、一応保険だよ。目の届かないところで何かあったら直ぐ気が付けるように……な? 俺の力も内包させておいたから、壊れたら俺には場所特定も出来るし、べん、り、で……痛い、痛い、痛いから押さえるな!」
「平気なんじゃ・な・かった・ん・です・か!」
ワザとらしく傷口を押さえる。
鬼の所業なのは分かってるけど、今更な話に気分が悪い。私がもし落としたり、着替えるときとかお風呂とかで外したときに傷でも入れてしまったらどうするつもりだったんだ。
「へい、き。平気だ、こ、こんなもん、平気に決まってるだろ? はは……」
「脂汗浮かんでますけど?」
「これは部屋が暑いんだろ。うん」
誰の目にも明らかなやせ我慢に切なくなる。