第三十六話:痛いの痛いの飛んでいけ
裏路地で息も絶え絶えにもがき苦しむ男の前に、すっと黒い人影が姿を現す。
その姿を視界に認めると男は縋るように手を伸ばす。
「ルイン・イシル様……」
―― …ガウンっ
そして聞こえたのは一発の銃声。男の手は何も掴むことなく塵と消え風に巻かれてしまった。
「貴方たちがどう集団化しようと勝手です。ですが、私のものに手を出すような真似をするのならば消えた方が、マシ、ですよね?」
夜の闇に浮かぶ月のように冷え冷えとした抑揚の無い声でそう口にして、蔑み嫌悪する瞳で唯一、残った種を睨み付ける。
そして整って美しい顔の造形一つ変えることなく、種を踏み躙り男はすっと角へと視線を泳がせると、慌てて走り去る姿が消えていく。
やれやれ、と、溜息を零して傍に落ちていた刃物を足で弾き手に取ると、やや眺めたあと興味失せて、ぽいっと捨て去った。
***
図書館に戻ると、カナイの予想通りアルファが盛大に笑った。
「痛った、痛って、ちょ、もう、もう良いって」
「カナイ君は相変わらず堪え性がありませんねー、少し我慢しなさい」
大丈夫! と、主張するカナイをエミルに手伝ってもらって、医務室まで連れて来た。本当に打たれ弱いのか目じりに涙が浮かんでいる。
「ごめんね、カナイ。大丈夫?」
「え? ああ、お前居たのかよ。って、痛った……くない。痛くないから、お前はそこで馬鹿笑いしているアルファ連れて俺の着替えでも持って来いよ」
謝罪する私にカナイはしっし、と、手を振った。
カナイの言葉に「そうですねー」とベッドに腰掛けて笑っていたアルファは、ひょい! と下りると「行きましょう」と私の腕を引く。
ここに居ても私に出来ることはないし、素直にアルファに引かれるまま廊下へと出た。
「大丈夫ですよ。マシロちゃんが怪我するよりずーっとましです。マシロちゃんと二人で出掛けてるから浮かれてたんじゃないですか? 自業自得です」
けらけらと笑いながらそういってくれるのは、きっと私を慰めてくれているんだよね? 私は頷きつつも暗い気持ちが晴れない。
「全く自分が注意しろって一番にいっておきながら、本当、浮かれすぎ」
マシロちゃんも汚れてるからついでに着替えておいでよとにこにこ繋いでくれる。
***
「どこ行くの? カナイ!」
用事が済んだらさっさと退室していくカナイの袖を掴む。
カナイは面倒臭そうに首だけこちらに振り返ると「ちょっと出掛けるだけだ」と告げる。
「一緒に行くよ」
と、続ける私にあからさまに迷惑顔。
いつものカナイの反応ではあるけど、今はちょっと凹む。
掴んでいた手を離して「ごめん」と謝罪すると自然と俯いてしまった。カナイが困惑したのが空気で分かるけど、いつものように突っ掛かることも不貞腐れることも出来ない。そんな資格、今の私にはきっとない。
「連れて行ってあげれば良いじゃないですかー、カナイさんのケチ。どうせ大聖堂に行くんでしょ?」
そんな私を背後からぎゅっと抱き締めて抗議するアルファの腕に手を掛けて「良いって」と首を振るがアルファは聞いていないようだ。それはそうだがと渋るカナイに言葉を重ねる。
「大丈夫ですって、カナイさんは十分に格好悪いところ見られてますから、今更恥ずかしがらなくても」
「誰がだっ!」
「カナイさんが」
「ちょ、ちょっとアルファ」
何だか火に油を注いでいるようなアルファの暴言に私は慌てたが、本人は全く気に止めていないようでぽんぽん言葉を重ねていく。
口の上手くないカナイでは到底応戦出来るわけもなく、どんどんいい包められているのは目にも明らかだ。そして、最終的にはやっぱり。
「ほら、行きたいなら来いよ」
こうなる。
アルファは得意げに私に微笑んだけど、私はその分凹んだ気がする。でも、折角だしカナイの腕も気になるし、私はアルファにお礼をいってカナイのあとにぱたぱたと続いた。
アルファのいった通りカナイの外出先は大聖堂だったらしい。そこまでの道のり会話らしい会話もなく、とことこと後ろを追いかける。
この間より、ずっと遠くに感じた大聖堂を見上げていると早く来いと怒られた。前は連れて入ってもらえなかったから、今回も外で待機だと思っていたから吃驚だ。私は、早く! とカナイに急かされて、わたわたとあとに続いた。
中に入ったのは初めてだ。
図書館とはまた違った雰囲気でどことなく良い香りがする。
カナイの登場で微妙に館内が浮き足立って感じるのは、私の気のせいではないだろう。
時折「カナイ様だわ」「お怪我をされているみたいお可哀想」「お連れの方はどなたかしら?」などという声が小鳥の囀りのような声が聞こえる。
ここは図書館に比べて女生徒の率が高い。半分以上が女の子だとアルファに聞いた。良い香りもそのせいな気がする。
カナイは、いつものことなのかそんな声に耳を傾けることもなく、すたすたと足早に堂内を進んでいく。ステンドグラスが美しい礼拝堂をあとにすると、図書館と同じように管理人が居るのだろう。小さな小窓付きの部屋をノックする。
「悪いがまた演習室を解放して欲しいんだ。学生は入れないで欲しい」
そして、ちらり、と、私を見てから、あー……と唸り「クルニアも呼んでくれ」と付け加えた。
管理人の女性は「関係者以外を申請なく急に連れてこられても困ります」と眉をひそめたが、カナイに次はちゃんと申請するからすまない。と、謝られると、ほんわりと頬を染めたあと小さく咳払いしてご注意くださいね。と、鍵を渡してくれた。
カナイって侮れない。
「クルニアって誰?」
「ここの研究員だ。ほら、もう先に到着している」
いって廊下の先を指差すと、こちらに向かって手を振る人影があった。
歩み寄ると聖職者らしい修道着っぽい服の上から白衣を羽織った男性だ。そして、その格好で手にしているタバコと無精ひげがミスマッチだ。年の頃は……三十代前半くらいに見えるんだけど、違ったらいけないから口には出さない。きっとこの風体で実年齢より上に見えていそうだ。
「カナイが女の子連れとは珍しいなー。しかも部外者、図書館の生徒だね? 可愛い子だねぇー」
「障るな。汚れる」
「酷いなカナイ。人を汚れみたいにいうなよ。ったく……用事があって呼んだんだろ? こっちだって暇じゃないんだ、毎回お前の気まぐれな呼び出しに応じてやれるほど……お前腕どうしたんだ?」
口の端っこで支えていたタバコを、いじめるように噛み締めながらそういっていたクルニアさんは、ふとカナイの腕に目を止めた。
大仰な物はいらないと、断固! 腕を吊ることを拒否したが、無理矢理吊ったのだ。目に付かないはずがない。
でもカナイはクルニアさんの質問は華麗に無視して自分の用件を先に告げた。
「お前にはこいつの面倒を見てて欲しいんだ。連れまわすなよ。演習室に入るんだ、お前も」
がこんっと、他のところとは違い厳重に鍵の掛かった部屋の扉を開くと中はがらんっとしていた。だだっ広い石畳の部屋で、上を見上げるとドーム状の吹き抜け……天井はガラス張りで陽光が良く差し込んでくるようになっていた。
私とクルニアさんが部屋に入るとカナイは扉を閉めて鍵を掛けた。