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メルマガにて先行配信されていた番外編です。本編とは関係ありませんのでお時間あればどうぞ、お急ぎの場合スルーしていただいても問題ありません。
「今からなんて無理だよ」
「そう、無理ー」
「そこをなんとかしてくれるのがギルドでしょう? 困った人の味方じゃないの!」
依頼申し込みの用紙をカウンターに叩きつけて怒鳴る女性に、テラとテトは顔を見合わせて溜息を零す。しかし何度怒鳴られても二人の答えは変わらない。
もう日は沈みかけている。普通の家なら、夕食時だ。
そんな時間から依頼を受けに来るメンバーの中に彼女が望むような人材があるとは到底思えない。
「明日からなら探すよ」
「今夜からなんて無理」
―― ……カランカラン
対峙した女性に睨みつけられたまま、動くことなかったが扉に付いた
木製のウェルカムベルが発てた可愛らしい音に顔を向けた。
***
ただいまと事務所に戻った私にテラもテトもぴんっと耳を立てて喜色を示すと「お帰りっ」と声を揃えてくれる。それはいつも通りの光景だ。
「報告に戻ったんだけど、お客さんならあとに」
「気にしなくて良いよ、マシロ」
「もうお客じゃないから」
二人の若干失礼な物言いに、私は眉を寄せて首を傾げる。
しかし、店主の二人がそういうのだからそうなのだろう。私は、手に持っていた報告書をカウンターに数枚並べた。
どれもEランク。簡単なものだ。
用紙を受け取ったテラは、ぺったんぺったんと終了印を押し、テトは報酬を小さな袋に入れてくれた。ありがとう。と、それを受け取った私は先程から一身に浴びていた視線に限界を感じて、隣に立っていた女性に向き合った。
「あの、私に何か?」
「テラ、テト。この子、ギルドメンバーなんでしょ? この子で良いわ」
私に問い掛けられた女性は、私の問いを完全に無視して私を指差すと、テラとテトにそういって手を取った。全く意味の分からない話に私は困惑する。
「駄目だよ! マシロは駄目っ!」
「そう、駄目だよっ!」
「マシロは寮生なの!」
「もう、帰る時間!」
「働いてる学生だって多いわ。気にすることないわよ」
真っ赤に彩られた口元を引き上げてそう告げた女性は、今度こそ私を真っ直ぐに見つめる。そして、にっこりと艶やかで妖艶な笑みを浮かべた。
「貴方もたまには寮則くらい破るでしょう? 同じEランクでも、短時間で報償額が全然違うのよ。受けてくれるわよね?」
「え? あ、いえ。私はもう帰らないと、みんなが心配するから……」
「そうだよっ!」
「あとで怒られるのは僕らなんだよ!」
必死で引き止めている風なテラとテトを無視して、私の手を掴んだまま――どこにそんな力があるのだろう――凄い勢いで引きずるように事務所を出て行ってしまった。
そのまま、ぽつぽつと街灯が灯り始めた大通りを突っ切って裏通りに入っていく。
私は、嫌な予感を拭いきれずに恐る恐る手を引いている女性に声を掛けた。
「依頼ってなんですか?」
「大丈夫。そんなに怪しい店じゃないから。私の名前はルージュ。その店の店主よ。今日突然欠勤が出ちゃってどうしても働き手が足りないのよ。今夜だけで良いから」
怪しい店じゃないと自負するところが一番怪しいと、警戒を強めたが手を離してくれそうにもない。私は、がっくりと肩を落とした。
抵抗しなくなった私に気がついたのか、掴んでいた手が少しだけ緩む。そして、程なくして見えてきた店に裏口から引き込まれた。
座って座って、と鏡の前に座らされ、普段はあまり縁のない化粧まで施される。髪を綺麗に結い上げられた私の双肩に手を乗せて、背後から鏡を覗き込みルージュさんは満足そうに頷いた。
「うん。私の目に狂いはなかったわ。貴方とても化粧栄えするわよ。次はこれに着替えて」
本当に急いでいるのか、慌てた様子で着替えをソファの上にぽんぽんっと乗せていく。私がそれを渋々と手にとっていると、軽いノックの音が響いて店主の了承を得て入ってきた露出度の高い服を着た女性がそっと耳打ちしていく。
店主さんがそれに渋い表情をしたことよりも、もしかしてあれと同じのがこれなのかというショックのほうが大きい。
私は衣装を片手に唸った。
「悩んでないで早く着ちゃって。お願いだから。大丈夫よ、確かにお酒を扱ってるお店だけど色を扱ってる店じゃないの」
色といいますと、いや、まあ、違うといってるのだし、良いか……。
私は、はあと嘆息してパーティションで簡単に仕切られた奥へ入った。
べアトップだから肩口が心許ない。
服の丈は長いのに、際どい位置まで入ったスリットも落ち着かない。恥ずかしいなぁ……普段身体のラインがはっきり出るような服を着ないから、余計だ。
「ルージュさん。背中止めてください」
私の声に「失礼するわね」と入ってきたルージュさんは、私の背のホックを留めつつ、鏡を見て眉を寄せる。
何か着方が可笑しかっただろうか?
―― ……ぐぃっ!
「ぃっ!」
どきどきと緊張している私とは関係なく、ルージュさんは、おもむろに左胸辺りをギリギリまでずり下げた。止める暇もない。
露わになった刻印に困ったように溜息を吐く。
「それ、種屋の徽章ね。貴方、闇猫と何かしら契約を交わしているの?」
えっと、その……と、答えを濁した私にルージュさんは深く追求することなく「今日に限ってついてないわ」と、零しながら自分が肩から羽織っていたショールを私の肩にふわりと羽織らせた。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「二階へは上がらないように気をつけなさいね」
それだけ念を押すと店へと案内してくれた。
きっと多分、普通の酒場だと思う。カウンターの傍にあるオルガンが、軽快な音楽を奏で思っていたよりは明るい雰囲気だ。
そして、ルージュさんのいうとおり、確かに急がしそうだ。みんな紹介された私への挨拶もそこそこに動き回っている。
それじゃ、お願いね、頑張って! と、肩を叩かれてからその戦場へと放り込まれた。
料理とか、お酒とか、いわれた席に運んで……少しお酌をして離れるので特に問題は無いようで、慣れない格好に戸惑いつつも、私はなんとか仕事をこなせていると思う。
うん。上出来。
大分仕事が慣れてきて周りを見る余裕も出てきた。
ルージュさんは、二階には上がらないように。といっていたけど、と思い出して部屋の隅にある階段の上を見上げる。中二階辺りにも席がいくつかあるようだ。
「―― ……っ!」
かしゃん。
思わず驚きに手元のグラスを鳴らしてしまった。私は、わたわたと二階から見えない位置まで引っ込んでくると、深呼吸。
……なんでこんなところにブラックが居るんだ。どうか見付かっていませんように。
なんだか無駄なお願いのような気がしたけど、一応どこかの何かの神様に祈った。
時計に目を走らせると、結構遅くなってしまっている。
テラとテトが、エミルたちに連絡してくれてたら良いけどきっと心配しているだろうな。
ふぅと嘆息したところで「これ、お願いね」と、またお酒とグラスを持たされる。色々考えたって仕方ない。始めてしまったわけだから、今日だけとはいえちゃんとやらないとルージュさんに申し訳ない。
注文のあったテーブルに、瓶とグラスを置くと「初めて見る顔だねぇ」とか「ちょっとお酌してよ」という有体の言葉に掴って、私は席に着かざるを得なくなった。
結構、酔ってそうな雰囲気だったから、あまり長居はしたくないのにそれは許されないらしい。
「飲みなよ」
飲めないと何度断っただろう。
誰かお酒に強い人でも代わってくれれば良いのに、と思うのに誰も来てくれそうになくて、渋々グラスに口を付けた。
苦い。
飲み下した液体が通ったところがはっきり分かるように、かっと熱くなる。
「良い酒なんだぜ? もっと美味そうに飲みなよ」
ほらほらと折角減ったグラスがまた満たされる。
仕方なく、ぐっと飲み干して「ご馳走様です」と笑ったつもりだ。これできっと解放されると思ったら視界が、ぐらり、と揺れ椅子からバランスを崩した。
―― ……落ちるっ?!
私は痛みに構えて身体を硬くした。