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第三十三話:好きとか嫌いとか近くて遠い

 私こそ、毎回当初の目的を忘れている気がする。

 エミルに説明が下手だといえた義理じゃない。気に掛けてくれて、護ってくれていて、ありがとう。と、いうつもりだったのだ。だから私は、みんなを探していたというのに、すっかりエミルと話し込んで最終的には自分が護ると豪語してしまった。


「何やってんだろ、私」


 カナイのところから持ってきた本を、ぱらりと捲りつつぼやく。


 それに『美しいとき』ってなんだろう?

 確か二つ月の童話で、出てきたんだよね。白い月に満たされた時間それが美しいときだ。

 手元にある本にも、そんな話の一端が記載されている。


 私はもともと中の上程度の学習能力しかないから、知識を理解するのにも時間が掛かる。だから、読んで分かることも僅かだ。でも、この世界には大筋はこの二つ月の童話だけれど、それをいろんな方面から見たり語ったりした話が多い。


 白い月の少女を世界の落し物だと語っているものもあって、多分、カナイが私に最初に話したのはこのことだろう。世界の落し物はその世界の不純物で、世界から弾かれ堕ちて来る。それを拾うのは変化の兆しだそうだ。変化ってなんだ? そして……


「あんたは何を見てるの?」


 ぱふっと本を閉じた私は、ベッドに腰掛けて、こちらをじー……っと見ていたブラックに声を掛ける。声を掛けられたブラックは、やっと終わったのかと、にこにこと私に歩み寄ってくる。


「マシロを見ていたんです」

「意味ないでしょ」

「そんなこと無いですよ。何かに集中しているマシロはとても綺麗です」


 恥ずかしげも無くそんなことをいって、にっこり微笑まれるとこっちが言葉に詰まる。そんな私を楽しそうに見詰めて、ブラックはそれにと話を続ける。


「私も考え事をしていました」

「……一応聞くけど、何?」

「マシロをどうやってこの世界に留めておこうかと、その方法を思案していたんです」


 そんなことだと思った。百パーくだらないことだと。

 私は予想の範疇のブラックの答えに、呆れたように溜息を零す。


「方法はいくらでもあるんですよ? 例えば、協力者を消すとか、マシロの記憶を改ざんしてしまうとか、一番手っ取り早いのはマシロを監禁してしまえば機を逃すと思いますし……」


 うきうきと話をするブラックを、ほぅ? と睨み付けると、ブラックはほんの少し慌てたように手を振って「まだ何もやってないじゃないですか」と弁解する。でも、どこまでも“まだ”やっていないだけでやろうと思っているということに変わりはないだろう。


「最近、マシロは良く本を読んでいますね?」


 拙いと思ったのか話を体よく逸らしたブラックに私も頷いた。


「良い傾向だと思います。マシロがこの世界に興味を持って、この世界に執着してこの世界を捨てられなくなれば、きっと帰るなんていいませんよね?」


 そのブラックの理屈で行けば、私はもう十分に元の世界には帰れない状態だと思う。

 でも、私はやはり帰る道を探している。帰る場所があるのだから、そう考えるのは間違っていないと思う。思うけれど……。少しだけ、その自信を失くしそうだ。

 はあ、と嘆息した私の腕を、ブラックはぐいっと引いて立ち上がらせる。不満そうな顔をする私とは対照的に、ブラックはにっこりと笑みを深め、がたんっと窓を開け放った。


 頬を撫でていく風が心地良い。


 私が夜風に瞳を細めるのを、ブラックは暫らく眺めていたが、そっと私の頬に手を伸ばし、つっと触れると振り仰いだ私の瞳を見つめて問い掛ける。


「マシロは、どうして戻りたいんですか? 戻った先に何があるんです? 元の生活とここでの生活。どう違うんですか?」

「違うよ、違う……きっと、違う」


 私はブラックの瞳から逃げるように、視線を逸らしてそう呟く。

 元の世界には、今までの私の軌跡がある。これまでがある。だから当然これからだってそこで過ごすはずだった。


「家族や知人にそれほど執着がありますか? この世界は美しい、特に寄り添う二つ月はとても優麗なものだと思います」


 そう思いませんか? と聞かれれば素直に頷くしかない。本当に美しい。でも、それと同時にあの月を見上げると、私は帰郷を急かされているような気になる。


 帰らなければ、戻らなければ……早く、早く……そう思えて仕方ないのに、どうして帰ってきて欲しいと思ってくれている人の姿は直ぐに思い描けなくて、ここで帰らないで欲しいといってくれる人の姿ばかりが脳裏に蘇るのだろう。


 元の世界に、元の世界のこれからに、私をこんなに必要としてくれる人が居るのだろうか?


「家族とはいずれ離れなくてはいけないものです、その時期が少しくらい早くなろうと問題ないでしょう? 知人なんて、こちらで幾らでも増やすことが出来る。誰も貴方を傷つけたりはしない」


 私はその言葉にぎゅっと胸元を掴む。

 貴方に何が分かるのかとブラックを睨み付けると、ほんの少し寂しそうに微笑んで「何も分かりません」と呟き、頬に触れていた指先が、つっと滑り降りると、そっと私の手に手を重ねる。


「貴方の気持ちを分かろうと、いくらこいねがっても私には到底計り知れないものです」

「分かろうとしてくれてるんだ?」


 今思えば私が傷ついたことなんて、ここでのことを思えば大したことじゃない。ただそれだけの関係しか築けていなかった自分に非があることだ。そんな思いに苦さを感じブラックの言葉に苦笑する。


 ブラックは時折子どものようだと思う。

 子どものように無垢で純粋。そして残酷。彼は気持ちも力も持て余してしまっている。


「ここはきっと夢の世界だから、ちょっぴり私に甘く出来てるんだと思う。私自身がその甘さが心地良くて、だから覚めないために、みんなが帰らないでと引き止めてくれる。でも、やっぱり夢は覚めなきゃ。帰る方法があれば帰らなきゃいけない。私の世界はここじゃなくて、きっと別で」

「ですが、貴方を求めているのはこの世界です。私は貴方を帰したりしない。落し物が自分から持ち主のところに帰りたいなんて馬鹿げてます。嫌です、絶対に帰しません」


 貴方は私のものでしょう? ブラックの黒曜石のような瞳が不安に揺れる。ずっとそういい続けてきていたのにここに来て初めて私に問い掛ける。


「私は……」


 答える前に、遮るように、影は降ってきた。

 少し迷ったように軽く唇が触れ合い、突き放せなかった私に安堵したような吐息とともに、再び重ねられる。

 そして、睫毛の本数まで数えられるような距離で、瞳を彷徨わせ、でも、結局私の中に戻ってきて告げる。


「私はきっと貴方しか愛せません」


 きっと、とか、多分、とかそんな言葉を添えてしか、愛がどうのといえないブラックは、本当に誰かを好きになったことがないのだろう。


 自分以外誰も寄せ付けず孤独で……私は時折そんなこいつのことが……。


「んぅ……っ! 調子に乗りすぎ!」


 重ねられる口付けの海で、頭の中が真っ白になりかけて、はたと我に返る。背に回っていたブラックの腕がするすると下へと滑り降りてきた感触に慌てて突き放す。

 いつも余裕で飄々としているのに、その奥に不安の色をちらつかせる。


 今もそうだ。


 残念です。と笑いつつも、ほんの少しのショックを隠しきれないでいるから、私の中に小さな罪悪感が芽生える。間違っていないし、女の子がそうやすやすと身体を許さないのは当然だとも思う。思うけど、私の中にあるこの感情は何だろう? 私は自分の胸に手を当てて首を傾げる。ブラックが傍に居ると、いつもどこか、そわそわとして落ち着かない。私まで、不安定になってしまったような気がする。

 エミルと居るときはもっと安定していて落ち着いていられる。どきどきするけど、胸の痛むようなものじゃない。もっと優しくて柔らかなものだ。

 カナイといるのはもっと気が楽で、なんでも簡単に口に出来る。あまり深く考えなくても良い。アルファといると、一番いろんな意味でどきどきするけど、友達とちょっとだけ悪い遊びをするときのような高揚感で、嫌なものじゃないし、不安じゃない……。


 でも、ブラックと居ると、不安だ。……本当に、良く分からないな。


 もうとっても遅いです。泊まって良いですか? と、思考の海に沈んでいた私に確信犯的な発言をするブラックに、猫の姿なら良い。と、承諾し、うーんっと唸る。

 どうしたんですか? と不思議そうに聞いてくるブラックに、私は顔を上げると問い掛けていた。


「ブラックは、私が帰ったら泣く?」


 刹那沈黙が落ちたあと、今度はブラックが唸って首を振った。


「分かりません。泣いた記憶はないので、どうなれば涙なんて出るんでしょう?」


 ……聞いた私が馬鹿でした。


 きょとっと答えるブラックに脱力し、もう良いから寝ようと私は部屋の明かりを消して窓を閉めるとベッドに入った。

 するすると黒い塊がベッドの中にもぐりこんできて、私の前で丸くなる。そっと手を伸ばして撫でると気持ち良さそうに目を閉じた。

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