第三十話:籠の中の鳥は籠が必要だとは気付かない
帰りの道のりは行きほどのスピードはなく、私ものんびりとカナイの隣を歩くことが出来た。
行きはどうやら約束の時間があったらしく、カナイ的には自分のペースを貫きたかったのだろう。それでも出来る限り私にも合わせてくれたわけだから、感謝しなくてはいけないとは思うのだけど、どうにもこいつには感謝し難い。
「何変な顔してるんだ? あ、ああ。そうか、クリムラにでも寄るか?」
変な顔とは失礼だ。
本人を目の前にして、口にして良いことじゃないと思う。
益々眉間に皺が寄るのを感じつつも、カナイの提案に首を傾げる。そういえば行きにそんなことをいっていた。カナイは律儀だ。
「いらないよ。みんなが私に餌付けするから、こっちだって体系維持が大変なんだから」
これは本当。
エミルやアルファが出掛ける度に、何か買って帰るから、なんか丸くなってくる気がする。
夢の中で食べ過ぎて太るのってどういうこと?
「お前でもそんなこと気にするんだな? いっつもバクバク食べてるから、気にしていないと……悪かった。悪かったから殴るな。俺は打たれ強くない」
カナイの暴言に拳を握り締めた。それに気がついて慌てるカナイが面白い。
「取り合えず、さっきの礼もしたかったんだが……」
「礼?」
カナイに迷惑は掛けたが、感謝されるようなことをした覚えはない。 意味が分からなくて首を傾げた私に、カナイは困ったような笑いを浮かべて小さく肩を竦める。
「モリスンを消させなかっただろ」
「……あんた見てたなら出てきなさいよ。私のガラスの心は崩壊寸前だったのよ」
「ガ、ガラスって……加工困難なレアメタル辺りの間違いだろ……それに、ほら俺が出て行くと何かややこしくなりそうだったから、な?」
な? って、可愛らしく問い返されても、あんたは可愛くないからね。ぶすっとむくれた私の頭をぽんぽんっと叩いたカナイに私は潰されそうだ。
「それにお前は自分が気に入らないくらいで、消したりしないだろ」
「当たり前でしょ。そんな後味悪い。私は他人の命を背負えるほど強くはないし」
飲んだけど……他人の命を二つも飲んだけど。
このところ私はそれでよくうなされる。
こつんっと足先に触れた小石を弾く。
仕方がなかった。
確かにそうなんだと思うから、口にはしないようにしているけど、でも、やっぱりちょっと重い。種なんて飲まなくても、きっと生きるってことは誰かや何かを犠牲にしているのだと思うけど、ここにこなければ私はそれをこんなにはっきりと実感しなかっただろう。
「でもさ……ってカナイ?」
人が真面目なことを考えている間にカナイは姿を消していた。きょろきょろと辺りを見回すと、ショーウィンドに張り付いている。
取り合えず、ずかずか大股で歩み寄って一発殴る。
ワザとらしく痛みにしゃがみ込むカナイを無視して、何を見ていたのかと思ったら、細工物だ。目をキラキラさせて見ていたのはなんだろう? 多分、あの意味不明でごっちゃごっちゃしたカラクリだろう。
カナイは、それ自体に大した意味がなくても、細かい仕事が施されているものが好きだ。
アルファ曰く絶対に自分で出来ないからだといっていた。その言葉通りカナイは器用そうに見えてかなりの不器用さんだ。
「これ、何に使うの?」
「知らね。でも、すげーよなぁ。細かいよなぁ。あの辺なんて神業だぞ」
「まあ、カナイには絶対無理だよね」
絶対を強調し笑い飛ばしてやったら、ほっとけと不貞腐れた。そのまま、肘に膝を乗っけた先で、前髪を、ぐぃっとかきあげて、短く唸り、ふぅと嘆息。どうしたのかと思えば、硝子越しの私と目を合わせると口を開いた。
「お前さ、あんま気にするなよ。種のこと。元の世界に帰るなら尚更だ」
ゆっくりと、どこか優しげに聞こえる声に、とんっと心臓が跳ねる。カナイは時々こうして優しい。無関心なようでいて、私になんて興味ないという風に見せているのに、ちゃんと見てくれているし、理解してくれようとしている。
「……うん。分かってる」
いわれる通り、建設的ではないことに頭を悩ませているほど、私は暇ではないはずだ。
「帰るんだろう?」
重ねたカナイは立ち上がると、もう一度名残惜しげにガラスケースの中を見てから「行こう」と私の背中を押した。
とぼとぼではあるものの、私の足が前に出ると、カナイの手は背中から離れた。大きな手のひらが完全に離れてしまうのは、どこか名残惜しい。
ちらりと隣を仰ぎ見れば「どうした?」という風に片眉を上げられた。私はそれになんでもないと首を降り、少しだけ足を速める。
「アルファは、お前に本気で帰って欲しくないみたいだし」
「遊び相手が減るから?」
「ん? ああ、まぁ、俺がいうようなことじゃないだろ?」
「何それ?」
切れの悪い返答に眉を寄せる。けれど、カナイはそれ以上アルファの話しはすることなく続けた。
「まあ、万が一、帰らなくても、帰れなくても、じゃないぞ? その場合、闇猫との契約が一番ネックになるだろうしな……まあ、手っ取り早いのは借金の返済だよな」
うーんっと空を仰ぎながら、零すカナイに私は肩を竦める。
「それが一番の問題でしょ? 今なら分かるよ、あれは普通の職で返せる額じゃない」
「まあ、普通の職ならな? 俺だったら、あのくらいの返済直ぐに何とかなるぞ。俺につぎ込む馬鹿は山ほど居るからな」
見えてきた図書館に胸を撫で下ろし、カナイが口にしたことを脳内で反芻する。そして、ふと私は首を傾げことになる。
「……カナイ?」
「ん? なんだよ」
「カナイ、私の借金肩代わりしてくれるっていってくれてるの?」
何とかなる。ってことは、何とかしてやるっていってるわけじゃないんだろうか? そう行き着いて問い掛けたのに、カナイは弾かれるように私から一歩飛びのいて声を裏返した。
「は? 何で! 何で俺がそんなことするんだよ!」
カナイがあまりにも真っ赤になって強調するものだからこっちまで顔が熱くなる。
「こっちだってそんなことお願いしないよ!」
だって、何かそれって結婚しようっていわれているみたいだ。ってさっき結婚式見たからだけどっ! 飛躍しすぎなのは分かってるけどっ!
赤くなった顔を覚ますように、深呼吸すれば、隣からカナイのぶつぶつが聞こえた。
「俺はもうちょっと可愛げがあって、しおらしいタイプが……」
バキ。
今度は加減なしでぶん殴った。
私の拳も痛い。可愛げもなくてしおらしくもなくて悪かったわね。それがあるような女の子は、手を上げたりしないよね。
打たれ弱いっていっただろ、加減しろよ。と、頬を押さえているカナイを無視して私は図書館まで全力疾走した。
追いかけてはこない。
カーティスさんに「今日も元気だねー」と声を掛けられて、愛想笑いを返してから私は館内に戻る。
***
怒り覚めやらぬまま、私がずかずかと廊下を歩いていると、移動する荷物に出くわした。
ぶつかっては危険そうだったので廊下の隅に避けると、ラウ先生が大量の荷物を運んでいる最中だったようだ。
前も見えない状態で、よく進めるな。と、感心しつつ手伝いましょうか? と、声を掛けると喜んでもらえた。
「それじゃ、この腕に挟んでるのと一番上の箱を……持って貰えると助かります」
「良いですよ。どこまで運ぶんですか?」
「私のラボです」
本当に、器用に運んでいたな? と、感心せざる得ない筒を両脇から抜き取って肩に掛けて抱える。そして、少し膝を落としてくれた先生の腕に積まれた箱の一番上を持ち上げて抱えると、陽の当たる廊下を並んで歩き始めた。
「マシロは、もうこちらには慣れましたか?」
「え? はい、まあ」
慣れるしか仕方ない。
「頑張りすぎて倒れたと聞いたときには驚きましたけど、元気そうで良かったです」
そんなこともあった。
「マシロの右ストレートは破壊力抜群らしいですね」
「え、ええっ?!」
誰だ、そんなこといいふらした奴は。
ついさっきもカナイを殴りつけてしまったところだから、否定もし難い。そんな私の内情を知ってか知らずか、ラウ先生は綺麗にふわふわと微笑む。
この人とは入学手続きのときに会って以降は、宣言したとおり時折授業に茶々入れに来るくらいで、あまり面識らしい面識もないはずだけど、底の知れない人だなと思う。
「私も色々と伝を持っていましてね? そこから耳にしたんですよ。種屋の店主に手を挙げられるような人はまず居ません」
……シゼか? そう思い付いたもののそうとも限らない。
シゼもそうだけど、エミルやアルファたちだって人の噂をするようなタイプには見えない。
「そのことを面白く思うものが大半ですが、そうではないものも居ますから、重々注意してくださいね」「え?」
「まあ、私がそんな釘をささなくても、貴方の傍についてくれているナイトたちはちゃんと気を配ってくれているようなので、心配はしていませんが……」
護られているお姫様が少し窮屈そうだったので、告げ口しようと思ったんです。うふふっと綺麗に微笑むラウ先生が、そういい終わるのとほぼ同時に彼の研究室に到着した。
お行儀悪く彼は足先でこつこつと扉を叩く。
私はラウ先生に掛けられた言葉が心に引っかかる。
そして、やっと得心が行く。本当に私は、目の前しか見えていなくて駄目だ。
「シゼー、開けてくれませんか?」
ぱたぱたと中から可愛らしい足音が近づいてきて、がらがらと引き違い戸を開けてくれる。
大荷物のラウ先生に驚いて荷物を受け取ろうとしたが、先生に私の荷物を受け取るようにいわれ斜め後ろに居た私に初めて気が付いたのか凄く驚いた顔をしたあと私の手の中から荷物を受け取ってくれる。
「珍しいですね? お茶、でも飲んで行きますか?」
遠慮すると私が断る前に、ラウ先生があっさり断った。
「マシロは今から忙しいですからね。お茶はまたの機会にしましょう? そうそう、良いものが手に入ったんだよ。シゼ、さっきの荷を解いておいて」
にっこり、と、私を振り返ったラウ先生は「またおいで」と物凄く絶妙なバランスで片手を空けて、私の頭を撫でる。私はぺこりと頭を下げて、シゼにも「またね」と、手を振ってからパタパタと来た道を戻った。