第二十六話:愛してみたいし愛されたい
―― ……暇だな。
私は午前の授業のあとは、自室待機をいいつけられた。
エミルのいった通り、もうそれほど痛みはないが普通に歩いたり走ったり出来るまでには、もう少し掛かる。
カナイが、もし帰れなかったときのためにと、薬草学の本を持ってきていた。
勉強していろということだと思うけど、不吉なことをいわないで欲しい。
唯でさえ、今現在、私は迷惑真っ只中だ。
「浮気です。信じられません。私以外に身体を許すなんて」
部屋に戻ってからずーっ、と、この調子でブラックに責め続けられている。
最初は、理由も説明したし、何であんたにそんなこといわれないといけないのか?! と、突っ込みもしたがいい加減疲れた。
もう好きなだけいえば良い。
なんとでもいえば良いじゃないか。
―― ……逆ギレだ。
「対象外に手を出すのは私の主義ではないですが、苛々するので消してきます」
「待て、待て待て……」
消すってなんだ。
無言で机に向かって本のページを捲っていた私の隣で、ぶつぶついっていたブラックの台詞が聞き捨てならないものになって、私は踵を返したブラックの服を掴んだ。
やっと私の興味が戻ったと思ったのか、はい、と嬉しそうに振り返り尻尾を揺らす。
「何回もいうけど」
「分かってますよ。媚薬関連の薬の影響なんですよね。それなら、私も媚薬でも作りましょうか? もう歯止めがなくなってしまうくらいの。ルール違反もこの際関係ないです」
関係あるよ、関係あるから怖いこといわないで。
「そーいう問題じゃなくて! 大体、あんた私に好かれようと、嫌われてようと、関係ないっていってたじゃない。別に私が誰と何をしようと」
「関係なくないですよ。もしかして、王子のこと好きなんですか? ああ、もうやはり邪魔ですね。役に立つかと思ったので、好きにさせていたのに」
もう、本当、この暴走猫どうにかして欲しい。
前にも説明したような気がするが、第三者を役に立つか、立たないか、利用価値が有るか、無いか、で判断出来るほど人間関係は簡単ではない。
それに、本人には聞き辛くまだ問い質せていないが、アルファの話からすれば、目の前の猫耳男は人殺しだ。
でも、アルファからもそうだけど、こいつからも、いまいち誰かの生き死にに重さが感じられない。
私がまだ、大切な人を失ったりしたことがないから、分からないだけだろうか?
「ねぇ、ブラック」
「え? はい」
ずっと語気の荒かった私が、冷静さを取り戻したのに虚を衝かれたのか、ブラックの耳がぴこんっと動く。緊張感が削がれる。というか、目を見て話したくても、目線が若干上になってしまうのは私の罪じゃない。
でも、駄目。今はちゃんと聞かなくちゃ。
こほんっと咳払いをして、ちらっと耳を見たあと、ダメダメと、ブラックと向き合って話し始める。
「人を殺めたりするのって、貴方たちのいうルール違反でしょ?」
「依頼内容によりますね」
予想外の答えだ。
迷いも無く疑問も無く、ブラックは真っ直ぐに答えてくれた。
でも依頼内容ってどういうことだろう? 私の疑問に気が付いたのだろうブラックは、人差し指を口元に宛がって「企業秘密です」と微笑む。
「といっても、この世界で知らないのはマシロだけですけど」
「だったら、知っても問題ないでしょ?」
つい言葉を重ねれば、ブラックは微笑んだまま「大有りですよ」と続ける。
「私は気が付いたんです。手に入れるという点では同じだと思いますが、やはり無理矢理というやり方はスマートではないですし、私も愛されるという経験をしてみたい」
「は?」
大きく話が逸れてきた感じがする。
私は、傍に立つブラックを見上げた。
「私が、もしも誰かを愛することがあるとすれば、貴方以外に有り得ません。同じように、この世界で私のことを愛してくれる可能性がある人物も、貴方しか居ないと思います」
「い、いってる意味がよく分からない」
片時も瞳を逸らすことなく真っ直ぐ見つめてくるブラックは、無駄に美形なだけあって凄い洗脳力を持っているような気がする。
思わず赤くなる顔を隠し逃げるように、顔を逸らすのは私の方だ。
「逃げないで下さい」
そんな私をブラックは逃がさない。
「貴方しか、マシロしか私を愛してくれる人は居ないといっているんです」
「どう、して?」
片手を机の上につき、空いた手で逃げた私の顔を固定してしまう。
頬に触れている皇かな長い指が、時折頬を撫でていく。
私の疑問にブラックは笑みを深め「貴方は優しいですから」と腰を屈め、私の頬に擦り寄ってくる。
男の人なのに、乙女も羨む肌理細かな肌は、とても気持ち良いと思ったのに「マシロの肌は柔らかく気持ち良いですね」と先に口にして顔を上げると目を合わせて……もう一度、微笑んでくれるのはブラックだ。
こんなことをしてしまうと、なんというか本当の恋人同士みたいだ。
いや、それ以上のバカップルに思える。
「ブラック、私、ね」
「はい」
そう感じてしまったとき、急にブラックの気持ちを重く感じた。
いつもいつも口先三寸の相手だから、そんな風に感じることなんて無かったのに、このところのブラックの言葉は、時折、きちんとした真っ直ぐな感情が篭っているような錯覚を起こす。
私がその気持ちを見ないようにするのは、やはり悪いことなのかな? 今だって、私は、方法が有れば今すぐにでも
「帰るつもりなんだよ」
当然のことなのに、どうしてそれを口にするのにこんなに胸が痛むんだろう。
ブラックは、何もいわないけど微かに唇を震わせたあと、瞳を閉じて首を振った。分かっているといっているのか、駄目だといっているのか分からない。
「ブラック?」
「……今日は、帰ります」
すっと私から離れると、そういって口角を引き上げる。
思わず「え?」と零してしまった私に、ブラックは感情の読めない笑みを湛えて「寂しいですか? 私は貴方の何倍も寂しいですよ」と繋いだ。
「また会いに来ますから、それまで浮気しちゃ駄目ですよ」
杖をふりふりそれだけいって、その姿は私の視界から消えた。
「だから浮気ってなんだよ」と、ぽつりと呟いた私に、返事は無い。
ぱたぱたと風がカーテンを揺らしていくと、さっきまで騒がしかったのが嘘のようだ。
それを寂しいとか思ってしまったら、私はきっと負けだ。
***
「あれ、カナイだけ?」
一人の空間に耐えかねて、私はかなりの時間を掛けて、図書館の階段を昇ったり降りたりしていつもの個室へと辿り着いた。
こんなに遠かったんだ。
扉を開くと中で作業をしていたのは、カナイだけだった。
私の姿が予想外だったのか、カナイは何やってるんだ。と、慌てて立ち上がり手を貸してくれる。
別にそこまで重症ではないけど、まあ、お姫様対応も悪くない。いつもなら絶対そんなことに気を遣わないだろうこいつだから尚の事だ。
「アルファはサボってるのか昼から見えない。エミルは完成した薬をギルドに持って行ったのとちょっと調べ物をしに出てもらっている」
私を椅子に座らせつつ説明してくれる。
「ねぇ、カナイ」
再びさっさと作業に戻ったカナイに、私は邪魔なのは分かっているが話し掛けた。
カナイは「んー?」と本から目を離すことなく口を開く。
「種屋って何屋?」
カナイ以外に適任者は居ないだろう。
アルファでは、冷静に話をするのは無理っぽいし、エミルでは知識は伴っていても説明が苦手だ。
―― ……シゼは、まだ子どもだ。
自分で話をしたことに責任を持たせるには、まだ早いと思う。
カナイは、顔を上げると眉を寄せて怪訝そうな表情を作り、私の真意を知りたそうな顔をしていたが、分かるわけないと気が付いたのか、はあと嘆息して本を閉じた。
「種屋は種を売っているところだ」
「いや、それは知ってるよ。私も飲んだし」
「だったら、それで良いだろう? 他に何が知りたいんだ?」
カナイの台詞には、どうせこの世界とは関係のないよそ者のくせに、という意味合いが込められているような気がして私は少し不機嫌になった。
「王子様を撃ったっていってた」
ぽつ、と口にした私にカナイは驚いたような顔をした。
「アルファの奴、お前にそんなことまで話をしたのか?」
「うん。最初から終わりまでというわけじゃないと思うけど、雨の日が嫌いな理由は聞いた。私には分からないけど、仕方ないのかも知れないとも思う。でさ、王子様ってことはエミルの兄弟だよね……エミル、兄弟亡くしてるんだね」
これも私には分からない経験だけど、お兄ちゃんや郁斗がもしと考えただけで、心がずしんっと鉛のように重くなり痛みを覚える。
「そんなことも知ってるなら、お前が自分で闇猫に聞けば良いだろ?」
「聞いたよ。聞いたけど、企業秘密ですっていわれた。私は蚊帳の外で居れば良いんだよね。カナイだってそう思ってるんでしょ」
我ながら子どもっぽいとは思ったがぶすっと不貞腐れた。
カナイはお兄ちゃん気質なのか、そういう態度には弱いようで、ったく仕方ねぇな、とぼやいて渋々といった様子だが話を始めてくれる。
「お前だって、薬師の卵なんだから飲んだ薬の内容なんて知らない方が良いことの方が多いのくらい、分かるだろ?」
そんな危険なもので出来ているのか種。
私はカナイの前置きにちょっと引いたが、私にだってそれくらいの覚悟はある。
……あるつもりだ。
だから多少のことでは驚かない。
良いから話して、と促すともう一度だけ溜息を零し宛がっていた眼鏡を外すと机の上に置いた。