第十七話:氷の微笑
ほわほわと暖かな湯気を上げるココアを両手で包み込み、ぱちぱちと燃える羊歯を見つめているとキャンプみたいだ。
テントはないけど。
ぼんやりとそんなことを考えていると、エミルがふと私の名前を呼んだ。私が顔を上げるといつもの声で問い掛けてくる。
「僕、氏は名乗らない方が良いって伝えそびれていたかな?」
いつもの声だ、いつもの声だけど……目が笑ってない。
少し? たくさん? その量はわからないが、私は彼の琴線に触れたらしい。
私は恐る恐る「聞きました」と答える。すると、だよねと返してくれる。
静かに私の続きを待っているようだけど、私が名前を知らせたのは、ブラックと、ラウ先生と……モリスンだ。
「えっと、その、ですねぇ……モリスンが名前を聞くから教えたら『あら、どちらのマシロさんかしら? わたくしとお会いしたことありませんの?』って聞かれて、ヤマナシだけど、多分、会ったことないと思うよって……伝えて、それでそのあとは、何処へ行くところなのか聞かれたから、灯台に行く話をしたら『ちょうど宜しかったですわ。わたくし今からギルドへ依頼を受けていただきに向かうところでしたの。灯台守の方にお手紙を……お願い出来るかしら?』っていわれて、さっきカナイが勝手に燃やした封筒を受け取ったんだけど、その、えっと、どの辺が駄目?」
私の話に、カナイは頭を抱えエミルは眉を寄せて微笑んだ。唯一、アルファがモリスン女史の物真似が似ているとうけていた。
「全部駄目だ全部! お前おかしいだろ? 何でこっちに来たばかりのお前を知ってるかもーなんていう奴が居るんだよ。それにあいつが自分でギルドへ依頼なんかするもんか、顎で使える連中が山ほど居るんだ。お前の、その咄嗟に嘘がつけないところも、直ぐに他人を信用するところも、美徳なのかも知れないがここでは危険だ」
カナイに、ぽんぽんぽんぽん言葉を重ねられ、軽く凹む。
そんな私を見兼ねてくれたのか、エミルが「カナイ」と止めてくれた。エミルに止められたカナイは、小さく咳払いしたあと「兎に角、だ」と続ける。
「今回は俺が七割くらいは悪かった。あとの三割はお前の独断が悪い……悪いと、思う。けど、悪かったよ」
苦い顔をしたまま、頭を下げたカナイに面食らう。
首を傾げた私にアルファが楽しそうに口を開いた。
「カナイさんが、ファンの子にきちんと対応してないからこんなことになったんですよ。モリスン女史については、マシロちゃんにそんなに非はないよ。だって、カナイさんがマシロちゃんは特別ーって態度を取ったのが悪いんだから」
「取ってねーよっ!」
「取ってなくても、そう取られたのなら同じだと思うよ」
話が見えない。
「モリスン女史だって、まさかマシロちゃんが本当の名前を名乗ってるなんて思わなくて、ちょっとした気晴らしに呪詛ったんじゃないかなぁ?」
気晴らしに呪詛ったー? いやそんなもの、気晴らしにするようなものじゃないと思う。
どんどん難しい顔をする私にカナイは再度詫びた。
別にカナイを責めるつもりはないけど
―― ……何というか怖い世界だ。
「獣を呼び寄せるように仕掛けられてたんだ、あの封書の中身は」
そういえば、ちょっと書き足すからといって何事か書き足していた。
私の名前を足して完成させていたのか? やれやれと肩を落とした。現実世界でも夢の中でも私はどうやら男絡みで厄介ごとになることが多いらしい。
女冥利に尽きるのかな? 間違った情報だし全く嬉しくない。
みんなの話では、さっきのような獣が襲ってくることが、絶対にないとはいえないが、あんなに大量に集まってくることはまずないらしく、あの封筒のせいだったらしい。
私は唯の気晴らしで死に掛けたのだろうか。
これからはもっとたくさん気をつけよう。
***
「……アルファ?」
「ん? ああ、やっぱり眠れない?」
火を絶やさないようにしていてくれたのか、もしくは、さっきのオーガがまた襲ってこないように見張ってくれていたのかは分からないが、火の傍でぼんやりとしているアルファを見つけた。
身体を起こすと、身体のあちこちが痛む。
確かにこんな経験したことないし、こんなところで朝まで爆睡は無理だ。
もう少し傍においでよ。というアルファの言葉に従い、私は毛布に包まったまま、アルファの隣に腰を下ろした。
「火の番?」
「うん、そんなところです」
あとの言葉が続かない私の心配に気が付いたのか、アルファは「オーガは来ませんよ」と笑いながら口にした。
でも、あれだけの数が居たのだから、戻って来てもおかしくはないと思う。
どうしていい切れるのか分からない私に、アルファは説明を加えてくれる。
「来るけど、ここまでは来ないという意味。マシロちゃん、あれ見える?」
アルファが、焚き火を弄っていた枝で指した方を見ると、紅い光がちらちらと点滅している。
獣の瞳かと思って思わずアルファの袖を掴んでしまった。そんな私に、アルファはほんの少し驚いたようだったけど、ふふっと笑って話を続けてくれた。
「大丈夫。あれは結界石。それが、あそことあっちとこっちと……あります。それを繋いだ内側には何も入ってはこられませんよ」
「そ、そうなんだ」
「うん。そう。石はエミルさんが作ったものだし、それを結んだのはカナイさんだからこれを超えてこられるとしたら……不本意だけど闇猫くらいです」
苦しそうにそう締めくくったアルファに、私は刹那迷った。でも、どうしても聞きたかった。
「アルファは、アルファはどうしてブラックが嫌いなの?」
私の質問が余ほど的を外したものだったのだろう。
アルファは、まじまじと私の顔を覗き込んで不思議そうな顔をしていた。
紺碧の色をした瞳に焚き火の色が移って不思議な色で揺れている。
「マシロちゃんは好きですか? 貴方に嘘を吹き込んで、そして問題をより一層ややこしくした張本人なのに」
「嘘……は、多分吐いてないと思う」
「なるほど」
好きか嫌いかと問われれば私は何と答えるのだろう? 私は、答えかねて唸ったが、アルファは特に私からの明確な答えが欲しいわけではないらしい。
私が答えを出す前に話を続けた。
「闇猫は、嫌悪の対象になるか、崇拝される対象になるか、二つに一つです。その間は有り得ない。僕らはたまたま三人とも闇猫を快く思っていない。でも、それとは逆に、崇拝している集団が居ることも本当です。まあ、そのうち彼の首は僕が取りますから、マシロちゃんは心配しなくて良いですよ」
にこりと、いつもの可愛らしい笑顔でそう締めくくる。
そんなアルファの、どこらへんに私は安心したら良いのだろう。
私は、ブラックにも死んで欲しくなんてないし、アルファにだってそんな重荷を背負って欲しくはない。
そう思うのに、そこまでアルファを思い詰めさせる原因が一体どこにあるんだろう? でも、きっともうその話を今してくれるつもりはアルファにはない。
「そういえば、マシロちゃんが危ないって教えてくれたのシゼです」
突然、話が飛んだのにも驚いたけど、挙がった名前にも驚いた。
私のことをあんなに嫌っている風だったのに、わざわざ助けになるようなことをするとは思えなかった。
「シゼは、自分の良心に従ったんです。唯、異質に扱われるから少し捻くれてて、可愛げがないだけです。シゼを見ていると、昔の自分を見てる気がします」
天使のような容姿で、ちょっぴり毒が有るけど明るいアルファの言葉とは思えず、私は首を傾げた。アルファは焚き火の炎を見つめながら、ぽつぽつと話してくれる。
「僕の家は、騎士を多く輩出している家系なんです。僕もその例に漏れずその素養に恵まれて、シゼの歳には最上級階位を取るところでした。薬師階級は良いです。まだ陰湿なものに目を瞑れば生死を彷徨うこともないし」
アルファは、次にくべるのだろう羊歯で、炎をぐりぐりと掻きながら続ける。
「僕は全てが敵でしたよ。どんなに素養があって、どんなに実力が伴ってきていても、僕はまだ子どもで、僕はしょっちゅうなぶり者にされてた。感覚が麻痺してて、辛いとも、痛いとも、思わなかったけど、孤独だった。僕は一度だけ、人を駄目にしちゃって、そうしないと殺されると、本気であの時は思ったから」
特に何か特別な感情を込めることなく、アルファは淡々と話をしてくれる。
本当に、私に話してくれているのかすら不安になるくらい、声に抑揚もなく単調だ。
自分がどれほど重く暗く……冷たい話をしているのか、分かっているのか、いないのか、それすら私には分からない。
「それから、僕に剣を向ける者は居なくなったけど、声を掛けて来る人も居なくなった。ま、僕は天賦の才を持つといわれていた子どもですから、卒業して職に付くのも早かったです。学園を出てしまえば、むやみに剣を揮うものも居ないし。僕の実力を見誤る愚かな者も居ない。シゼは、幸せだと思います。図書館中の者が、もし敵にまわり、彼を阻害したとしても、エミルさんは離れたりしない、カナイさんもきっと」
もし、マシロちゃんががこのまま居てくれたら、マシロちゃんもお人よしだから、シゼをその狭小な背に庇うんでしょうね。と、続けて音もなく笑う。それが無性に悲しくて私は泣きそうになって
「アルファでもそうだし、アルファだってそうでしょ?」
と口にしたのにアルファはそれには答えなかった。
「……ていうか僕なんでこんな昔の話をしてるんだか。ごめんね、マシロちゃん。退屈な話です。何か、あーんな可愛くないシゼでも、一緒にっていってくれる子が居るんだなーと思ったら不意に思い出しちゃって……あの時の僕にも」
いい掛けてアルファは「やめます。僕は今楽しいから」と笑った。
それからアルファは、私に寝るようにいって交代だからとカナイに羊歯を投げた。
ごすっと、命中。
負けじとカナイも投げ返したもんだから辺りは羊歯が散らかる。
カナイは大人気ない。
私は、とばっちりを食わないように、そそそーっと静かに寝ているエミルの隣で丸くなった。