第十三話:王子様は案外スパルタです
この世界には雨なんてないんだろうか?
ずっと晴天が続いている。
そして本日も例外なく晴れ。
お日様が眩しい。
夜になると白く青く輝く二つ月も、うっすらと青空の奥にその姿を潜めている。この空のどこを探しても、自分が暮らしていた世界がないというのはいまだに不思議な感じがする。
今日は珍しく授業らしい授業だ。
教卓には先生が居て、黒板に忙しなくチョークを走らせている。こうやって普通に授業があるときは、エミルは自分の階位に戻るらしくその姿はない。
堂々と居眠りをして、やる気全くなしのアルファの小脇を突いて起こす。可愛らしく目を擦って「何?」とその目が問い返している。
「聞いてなくて良いの?」
「良いよ、僕この授業三回目。それに僕、薬師の素養なんてないし、聞いてても無駄」
ひらひらと片手を振って答えてくれる。三回目、ということは何年もアルファは初級階位に居るということだろうか?
「実技になったら起こして、マシロちゃんを手伝ってあげますから」
と続けて再び頭を腕の中へ沈めてしまった。
今回は、血止めの薬の話だった。
前回は、化膿止めだったと思う。
その前は、傷口の縫合に使う糸を結う方法だった。
よっぽど怪我をする頻度が高いところなのだろうか?
そして、授業が終わるといつも通りアルファと二人で食堂へ顔を出す。今日はカナイとエミルが先に到着していた。
にこやかに手招きしてくれるエミルに誘われて、私たちは同じ席に腰を下ろす。席について初めて、私はいつも見ない顔が同席していることに気がついた。
「あれ? 珍しいね、シゼ」
アルファは知り合いのようで、にこりと挨拶を交わす。
シゼと呼ばれた少年は、明らかに少年という年代だ。
十歳前後じゃないだろうか? 肩口で綺麗に切り揃えられた髪が、彼が、くんっと顎を上げる動きに合わせてさらりと揺れる。
―― ……綺麗な子だな。
だけど、明らかに私は好まれていない感じで、敵意むき出しに思えるのは気のせいか?
「ええっと、私は」
「マシロ……さんですよね。薬師階級で知らない人は居ませんよ」
「あーぁっと、そうなんだ? 宜しくね」
「宜しくしません」
身も蓋もない。
ここに来て初めて、これほどまでにハッキリと敵意を剥き出しにされた。
困って目を泳がせると、その様子を穏やかに見ていたエミルが助け舟を出してくれた。
「この子は、シルゼハイト。十二歳になるんだっけ? この歳で薬師の中級階位に居るんだよ。カナイのクラスメイトで、僕が見ている一人だよ。最近、マシロに構いっぱなしだったから拗ねちゃって可愛いよね」
「拗ねてませんっ!」
うん。拗ねるようなタイプじゃないね。
明らかに、私に一言物申したくて同席している感じだ。
のほほんとしているエミルには、この険悪な空気に気が付かないのだろうか? 私とシゼが、それ以上の会話をすることもなく、殆どいつも通りの食事が続けられる。
唯、一時たりとも私から目を逸らさないシゼの視線が痛い。
痛すぎるから、食事を途中で諦めて「いいたいことがあったら、いったほうが良いよ」と顔を上げた。
カナイが拙そうな顔をして、こちらをちらりと見た気がする。隣りのアルファからは興味津々の気色が伺えた。
エミルは、オートミールの味付けがいまいち気に入らないらしい。
この人が一番自由人だ。
「では、いわせて頂きますが。大体貴方も貴方です。エミル様がお優しいのを良いことに付け込んで、何から何まで面倒を見させたり、ギルドでも高々Eランクで小銭稼ぎに精を出しているようですが……学生の本分は学業でしょう? それを勝手に疎かにしておきながら、エミル様の夜の時間まで奪って、どこの誰とも素性も知れない貴方が」
「シゼ、僕、今日のこれあまり好きじゃないな。食べておいてよ。君は小さいから沢山食べた方が良いよ」
アルファみたいに。とにっこり自分のお皿をシゼのトレイに載せる。シゼは話の腰を折られて「え」と僅かに驚いたようではあったけど、押し返すこともせず「はい……」と受け取った。
―― ……空気読め、エミル。
と私がそう思ったのも束の間。エミルは静かに「それから……」と言葉を続けた。
「彼女が僕を選んだんじゃないよ。僕が、彼女を選んだんだ。彼女が僕に世話を掛けているんじゃない。僕が、世話を焼いているに過ぎない」
まあ、最初はカーティスさんに泣いて頼まれたんだけど。
頼まれた僕は実に運が良いと思うよ? と、にこにこと付け加え、私を見て「ね?」と同意を求められる。
そんな風にいわれると恥ずかしい。
かあっと頬が赤くなるのを隠すように、私は自分のトレイに視線を落とした。
「でも、こんな得体の知れない女。種まで飲んでここに入り込んできたと聞きます。王家の手先かもしれないじゃないですか!」
「それはない」
三人綺麗にハモった。
私のことだけど、きっと私は蚊帳の外だ。話が見えない。
なっ! と、シゼが息を呑んで顔を真っ赤にする。子ども相手に三人が声を合わせるのはちょっと可哀想だ。
「ど、どうしてそんなことがいえるんですか! この人は……この、人、は……」
―― ……人を指差してはいけないよ少年。
私を指差して、次の言葉を捜すシゼに、私は首を傾げる。暫らく睨んだあと、シゼは、派手な溜息をついて立ち上がり掛けていた腰を下ろした。
「……普通です」
失礼だな。それの何が悪いんだ。
「ぷっ、くく。だよねぇ、マシロちゃんは普通ですよね。とっても可愛いとは思うけど、それは誰かを魅了して惑わせるタイプの美人とは違うし……話術で取り入るほど口も上手くない。どっちかといえば不器用で一人で何でも出来るって突っ張って、結局何も出来なくて……」
くつくつと笑いながらそう繋ぐアルファの小脇を衝いた。
ごめんごめんと謝っているが、あははという笑いが消えない。間違えていないし、前例があるだけに私も強くは否定出来ない。
「兎に角ですっ! どっちにしても、こんな時期に転がり込んでくるなんて、そのことだけでも普通ではありません! それじゃまるで月から堕ちてきた、みた、い……」
自分で口にしつつシゼは、改めて私をまじまじと見たあと「堕ちてきたんですか?」と問い掛けてきた。
私は、肯定も否定も出来ずに首を傾げると……シゼは、自分でいったことが有り得ないことか、的外れだと思ったのか「そうですよね、そんなことあるはずない」とぶつぶついいつつ、刹那、顔を伏せた。
きっと机の下では膝の上で固く拳を握りしめているのだろう。私は何か言葉をかけるべきか悩んで、どの言葉も飲み込んだ。そして、ようやっと口を開いたのはシゼで……
「……僕は、貴方みたいな人嫌いです」
嫌い宣言だった。
「何も出来ないくせに、何も知らないくせに、知ろうともしない。その怠慢がどれだけ迷惑をかけるか考えもしないで……! 一時の腰掛程度の関係…………精々将来の足しにでもなるよう彼らに媚をうっておけば良い」
「シゼ!」
彼の暴言はいつものことだとばかりに、好きなようにいわせているように見えた三人が、同時に低い声を出した。
うっと息を呑んだシゼと同じように私の身体も強張る。
「今のはマシロに失礼だよ。シゼ、謝って」
静かに嗜めるエミルに、私は「良いよ」と口にしたかったが、隣りのアルファにそっと止められた。
でも、シゼは泣きそうな顔をしている。
きゅっと引き結んだ口元が僅かに震えている気がした。
マシロは誰にも恥じるようなことをしていない黙っていろ。と、カナイにも小声で念を押された。
確かにそれはそうだけど、それに、この三人が私に媚をうられたからといって、なびくとはとても思わない。
「シゼ」
「……すみませんでした」
息苦しくなるような重たい空気の中で、ようやく謝罪してくれたシゼに私はほっと息を吐いた。
これで解放されるはずだと思ったのに、エミルは許さず「マシロに」と重ねる。
―― ……もう良いよ。もう良いから。
といいたくてもいえない。
王子様は結構スパルタだ。
「マシロ、さん。すみませんでした」
「良いよ。気にしないで……。ホント、誰も気にしないで」
お疲れさま、シゼ。という気持ちの方が強かった。
シゼは真っ赤な顔で、逡巡したあと「失礼します」といい退席してしまった。確かに今はもう居辛いよね? 苦笑した私にエミルも謝罪を加える。
「僕からもごめんね? 普段はもっと良い子で可愛い子なんだけど」
エミルの言葉にアルファとカナイは「いつもあんな感じだ」と小さな声で付け加えた。
私も、そうだろうなと思う。きっとエミルの前だけでは、良い子で可愛い子なんだろうな。
「ううん。本当に気にしないで、シゼの反応は普通だよ。ひょっこり出てきた私に嫌悪感を持つのは仕方ないから」
あはは……と乾いた笑いを零した。
それからこれからあとのことを聞かれて、私はギルドに顔を出すつもりだと答えた。
最近、ちっとも顔を出していなかったから、二人とも少しくらい心配しているかも知れない。調べ物もあるから、暫らくはあまり手伝えないことも伝えたいし。
ウサギ耳にも癒されたい。
「それなら、ついでにこれを持って行って、俺とアルファとエミルの登録もして来いよ」
少し厚みの出来た封筒をカナイに渡されて、私は「何?」と首を傾げる。名前が挙がった他二人の方も見たがにこにことされただけだ。
「俺らの学生証。持って行って登録するようにいえば、あいつらなら意味が分かると思うから、聞きたいことはあいつらから説明してもらえ」
今、聞きたいのに! という私の不満も分かってか、カナイは「さっさと行けよ」と手を振った。
こいつの方が、シゼよりよっぽど失礼だ。でも本人に説明の意思がない以上、それ以上食い下っても無駄だ。仕方がないので……ぶすっとしたまま、食事の終わったトレイを持って返却すると食堂をあとにした。