第十二話:白い月青い月二つ月(2)
その夜、私は寮の中央にある庭園の一角から、今日話題に上がった月を仰いでいた。
森林浴が出来そうなほど、背が高く枝葉を伸ばす木々の間から見える、白い月に青い月寄り添うように浮かんでいる二つの月。
本当に神秘的で美しい色だと思うけれど、大体月が二つある時点でおかしい。
それに、白と青は重なっても絶対に赤にはならない。
ファンタジーという言葉だけでは済まされないような気がする。それにしても
「ブラックって嫌われてるよね」
はー、と溜息を吐く。
あの様子では三人ともブラックのことを快く思っていないようだ。
私だって、そりゃ、無理矢理飲まされた種の代金なんてものを背負わされてしまったけど、でもやっぱり、今の私には必要なことだったわけだし恨むのは筋違いだ。
―― ……まあ、最初にいってくれていても、罰は当たらないと思うけど。
「月、好きなんですね」
「珍しいだけだよ」
もう驚かなくなった。
いつの間にか傍に居たブラックの方を見るでもなく私は答える。
「今日ね、二つ月の童話を聞いたの」
「ああ、白い月の少女と、青い月の少年の話ですね」
やはりこの世界では有名な話らしい。
「悲恋だよねー」
しみじみと口にした私に、ブラックは「そうですか?」と答える。
私は、その答えが意外でブラックの方を見ると、彼の方が私の見解を不思議に思っているようで、愛らしく耳を下げ、首を傾げている。
―― ……アニマルセラピー……。
思わず腕を伸ばす。それに応えるように、少しだけ頭を下げてくれたブラックの頭を、ふわふわと撫でる。
「二人は結ばれなかったんでしょ?」
「結ばれないと悲恋だなんて、短絡的過ぎませんか?」
ブラックに指摘され私は眉を寄せた。
確かにそういわれたらそうかも知れないけど、大抵の場合好きな人とは結ばれたいと願うものだし、それが叶わなければ、やはりそれは悲恋ではないのだろうか?
ブラックは、彼の頭を撫でていた私の手を取ると、自分の指先と私の手を絡めつつ「マシロの手は小さいですよね」と零し眺めて話を続ける。
「少年の願いは少女が目覚め微笑むこと。別に、自分に恋をして欲しい。とは、思っていないんですよ。少女は目覚めた瞬間、少年と目が合ったんです。そのとき、まだ夢見心地であった少女は、酷く不安そうな顔をしていた少年に、穏やかな笑みを浮かべたんです。少年の願いは叶った」
「でも、お互い月に帰ると罰を受けたんでしょ? その少女にとっては凄く理不尽だわ」
「そうですね。ですが、少女は自らが手を下す必要はなかったんです。その選択をすることが出来なかった少女は、やはり罰に値するのだと思いますよ」
―― ……ブラックの言葉は冷たい。
触れている指先にはちゃんと体温が合って、血が通っているのに、それすらも凍えさせてしまうほど、暗いもので覆われている。
「マシロは暖かいですね。指先も、頬も、とても温かく心地良い」
空いた手がそっと私の頬を包み、深い闇を映した瞳が私を覗き込んでくる。
鼻先が触れる距離で微笑まれ、意図せず目を閉じてしまった。
「ストップ!」
流されるところだった。
危ない。
私は唇に彼の吐息が掛かり触れる瞬間、突っぱねた。
突っぱねられた本人は、耳まで赤くなってしまった私を見てくすくすと楽しそうに笑っている。そして、気分を害して、怒鳴ろうとした私の台詞を片手で遮る。
何よ? と、ぶっきらぼうに眉を寄せた私に、ブラックは、すっと猫の姿に戻り私のひざに擦り寄ってきた。
そ、そんなことでご機嫌取ろうっていっても駄目だからね!
駄目だからっ! 駄目だけど……可愛い……。
ごろごろとのどを鳴らし、擦り寄る姿は猫以外の何者でもない。
私は犬派だけど、ここに来て猫派に鞍替えしそうだ。
はあ、と嘆息し、そ……っと、その頭を撫でたところで「何してるんだ?」と声が掛かった。
振り返るとカナイだ。
いつも通り大量の本を抱えている。
私のためというよりも基本的に本が好きなのだ。虫といわれるだけはある。
そんなことを考えて、答え損ねていた私に眉を寄せカナイは歩み寄ってきた。
そして、私の膝の上に猫を認めて、口元を緩めた。
こいつもしかして動物好きなのか?
私の予想は当たっていたらしく、ベンチの隅に本を置くと、珍しいな。と、手を伸ばした。もちろん、相手はブラックだから、彼に撫でられるのは本意ではないだろう。
「っ!」
噛み付いた。
じわりと血が滲み、私は慌ててポケットを探ったが、女の子らしくハンカチとか直ぐに出てこなかった。カナイはそんな私を気にすることなく、ぱくりと口に含んで血を舐め取ってしまうと、すとんっと隣に腰を下ろす。
「あまり夜に部屋から出ない方が良い」
「心配してくれるんだ?」
茶化した私にカナイは、至極真面目に当たり前だと答える。
そんな顔されたら意識しなくても頬が熱持ってしまう。
「エミルが、お前に手を貸すと決めたんだから、俺もそれを支援する」
「カナイとアルファってエミルの近衛だったりするの? だから忠誠的なものを誓ってたり?」
王子様の近衛兵がたった二人というのは少ないような気がするが、そうだとしたらカナイとアルファのエミル贔屓は分かるような気がする。
カナイは私の質問にやや迷ったあと、そうだなと頷いた。
「エミルが聞いたら友人だと怒るだろうが、俺はあいつに恩がある。だから俺の優先順位はあいつが一番だ。残念ながらお前は二番手だ」
「別に良いけど、私が二番で良いんだ? アルファとかは?」
「あいつは良いんだよ。自分の身は自分で何とか出来る。俺よりはそういうのには長けてると思うしな」
ガタイが良いのはカナイの方だと思うけど。
そう思った私の考えは分かったようだが、カナイは特に触れなかった。そして元の話に戻すように「で?」と、問い返してくる。何の話だったっけ? 私は逡巡したあと、ああと頷いた。
「月を見てたんだよ。部屋からじゃあんまり良く見えないから」
「月なら屋上庭園の方が良く見える」
そんなところがあるのか。
私の複雑な表情を読み取ったのか、カナイは「たまには図書館や寮内を探索してみるのも良い」と付け加えてくれた。
何だか宥められているような気がする。
今日のカナイはほんの少しだけ優しい。
やや沈黙してぼんやりと木々の間から覗く月を見上げていたが、その沈黙を最初に破ったのはカナイだ。
「お前の世界は、どんな感じなんだ? この世界をお前はどう思う?」
何か凄い哲学的な質問だ。
「ええっと、うん。私の住んでるところは特に変わり映えしないよ。ああ、でもこことは違うけど……ここは、何ていうか色鮮やかだよね。エミルやラウ先生の髪の色なんて私の世界じゃ有り得ない」
カナイはそうでもないけど。と、続けた私にカナイは眉を寄せて「俺は地味だからな」とぼやいた。
確かにエミルやアルファに比べたら外見的なものは地味だけど、十分に男前だ。多分、モデルとかやったらかなり流行りそうだ。いわないけど。
「じゃあ、お前の世界も素養が全てなのか?」
いわれてその意味についてしばらく考えたが、素養とか、資質とか、そういうのはやっぱり同じように持っている。でも必ずしも、それに従っているわけじゃないと思う。
ふるふると首を左右に振った私を見てカナイは「そっか」と、頷くと空を見上げる。
「この世界は素養が全てだ。俺は二度闇猫に会ったことがある」
その言葉に私は驚いて膝の上のブラックに視線を落としたが、気持ち良さそうに眠ってしまっていた。緊張感も警戒心もないらしい。
「一度目は俺が七つのとき。辺境の町にある種屋に足を運んだ。種を飲みたかったんだ。俺の家は商家で、俺はそこの長男だ。でも、商才はなかった。ここで素養を見るのは七つの時だ。まだ七つの子どもにあれほど落胆した親の顔はキツイ。俺に備わった、俺には必要のない素養なんて認めたくなかった」
別に私の方を見ることもなく、ぽつぽつと話をするカナイに、私はなんとなく相槌を打つ。
「だから、種を?」
「ああ。でも、門前払いだ。種は貴重品だし、種屋の気分次第で価格も変動する。お前はかなり吹っ掛けられてると思うが、それにサインしてしまったんだからお前にも非がある」
横暴だ。
あの時は直ぐに覚める夢だと思っていたんだ。
「あいつは珍しいものが好きだ。そういう意味では、お前も十分珍しいから執着されてるのかもな」
物凄く不愉快な話だ。私は珍獣じゃない。
いって軽く声を上げて笑ったカナイに私は不機嫌極まりない気分になった。
「俺も、俺も……、あいつにとっては珍しかったらしい。『君の素養を消すのは惜しい。種を飲もうと、飲むまいと、家は君を必要としませんよ』家など捨てろといわれた」
七歳の子どもにいう台詞じゃない。
複雑な気持ちで私は寝ているブラックのひげを引っ張った。
ふぎゃっと短い悲鳴を上げて前足で必死に顔を掻いている。
可愛い。
「俺は泣く泣く家を出て寮に入った。もう二度とあの屋敷には戻らないだろうってことは分かってた。だから泣いた」
「戻らないって、自分の家なんだから素養なんてなくたって帰る場所でしょう?」
カナイの言葉に私はようやっと声を上げた。
私の台詞に、カナイは今まで見たことないくらい優しく、慈愛を含んだような笑みを見せて首を振る。
「お前の世界は幸せなんだな? この世界では、己が持って生まれた素養を必要とする場所が家だ。生まれた家や家族じゃない」
そのとき、機嫌が悪くなったのか立ち上がったブラックは、ひょいと私の膝から飛び降りて庭園の奥へと足を進めた。
私は「ブラック」と呼び止めたが、こちらを見もせずにとっとと闇に消えていく。
隣でカナイが「不吉な名前をつけてやるなよ」と苦笑していた。猫耳がみんな猫になるわけじゃないんだな。
「お前はやっぱり元の世界に帰った方が良い」
「初めて会ったときは、帰る必要ない。みたいなこといってたくせに」
可愛げなくぼやいた私にカナイは苦い顔をした。はー、と溜息を吐きつつ前髪を掻き回す。
「仕方ないだろ? 異なる世界からの訪問者は落し物だ。何の弾みかは分からないが世界から外れたものだといわれている。落し物が、わざわざ自分の足で、元の持ち主のところへ戻ろうなんて考えないじゃないか」
それでみんな、私に同情して好意的に接してくれるのだろうか。
帰る家も、世界もない、孤立してしまった私に。
思わず凹んでしまった私にカナイは気が付くこともなく「でも……」と話を続ける。
「お前を見てると、きっと唯の迷信だな。世界がわざわざ人一人を必要か必要でないかと、分け隔てるわけない。それにそうだとすると、きっと逆だ。この世界にお前が必要だと思われたのかもしれない」
カナイの言葉に、え? と顔を上げると「無能そうだけどな、お前」と笑われる。相変わらず失礼な奴だ。
「だけど、もしそうだとしても、お前の住んでるところは平和ボケしそうなほど平和なところなんだろ?そんなところからわざわざこんな世界に鞍替えする必要はない。家族も居るだろうしな」
最後に付け加えられた言葉に私も頷く。
この世界も、それほど私にとっては悪くない。
でも、私には両親も居て兄弟も居る。私が居なくなれば、それこそ血眼になって探すだろうし、心配して心を折るだろう。
気持ちを新たにした私の頭を、カナイがよしよしと撫でていく。
なんで今夜はこんなに優しいのかと感動しそうになったら、膝の上にぼんっと重たい本を数冊載せられた。
「お前も半分運べ。アルファがいうように、俺は肉体労働に向いてないんだ、本は重いからな」
―― ……明らかにカナイが持った方が少ないっ!
額の青筋を押さえて、私は仕方なく本運びを手伝ってやった。