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第十話:医務室にはやっぱり白衣の天使(2)

 自分の部屋だけど忍び込むように戻ると、ブラックはすんなり元の姿に戻った。猫のままで居れば少しは可愛いのに。


「飼ってくれるんですか?」

「飼いません。私に貴方を養うだけの甲斐性があるわけないでしょ。ちゃんと帰ってね……と、いっても今から辺境まで戻れないよね。猫の姿なら泊って良いよ。ベッドの隅からこっちに来ないでよねっ!」

「マシロって少し人が良すぎませんか?」


 お風呂場への扉の影で、こそこそ着替えていた私の努力を無駄にするように、ブラックが歩み寄ってきて扉により掛かり声を掛ける。

 ブラックに背を向けて、あっちへ行け! といったが、予想通り無視された。

 私は短く嘆息して、仕方なく着替えをすばやく済ませることにする。


 どうせ相手は猫だ。猫。猫。猫だ。


「ねえ、マシロ?」


 猫だと思い込もうとしている私の努力を、あっさり無視して、ブラックは背後から私を抱きこんでしまう。


「まだ体が熱い」


 と、囁く声が首筋に掛かり心臓が跳ねる。

 私は赤い顔を見られないように逸らして、離れろと僅かに抵抗するがやはり無駄だ。


「折角、貴方は人に恵まれたかと思ったのに、私の買い被り過ぎでした」

「……どういう意味よ」


 心底残念そうに、そう呟くブラックに私は声を低める。

 その反応がブラックには面白くなかったのか、回した腕に力が入り首筋に擦り寄ってくる。猫耳がふわふわしてくすぐったい。


「貴方がこんなになるまで止めなかった。私が傍に居れば、こんな思いさせません」


 あんたが居なかったら、私は借金まみれになることもなかった。

 その辺のことは、ブラックの頭にはないのだろうか?


「私がみんなの忠告を無視したんだよ」

「無視させたんです」

「は?」

「彼らなら、貴方が何といおうと貴方を止めることも出来たと思います。それをしなかったのは、彼らの怠慢です」


 ブラックの話は無茶苦茶だ。

 まるで子どもがダダをこねているようで、私は肩を落とした。


「ブラック、良いからちょっと離れて」


 無理にもがくと、ブラックは渋々腕を解いてくれた。

 私は服を直して脱いだものを洗濯籠に放り入れて部屋へと戻る。


「ブラックは私に嫌われたいの? 好かれたいの?」


 私の問い掛けに、ブラックは可愛らしく首を傾げた。そして、暫らく黙って「そうですねぇ」と口を開くと直ぐにまた私との間合いを縮める。

 ゆらり、ゆらり……と、揺れている尻尾が私の視界の隅に移った。


 ―― ……好戦的だ。


「どちらでも構いません。嫌われていても、憎まれていても、好まれれば良いと思いますが、そんなに酔狂ではないでしょう?」


 そっと伸ばされた大きな手が私の頬を撫で、そのままゆっくりと下がると私の左胸を衝く。

 ちりっと刻まれた紋章が熱を持ったような気がする。強く衝かれたわけでもないのに、ぐらりと身体の揺れた私をブラックはこともなく支えて言葉を繋ぐ。


「いずれ貴方は私のものになる。嫌われていようと、好かれていようと、結局は何も変わりません」


 頬寄せられて耳元で紡がれる台詞は恐ろしいほど冷たく、一方的なものなのに……私はなぜだか切なくなった。彼は孤独を内包している。それを垣間見たような気がした。


「ですが、愛されたいと思ってしまうのは……」


 そんなことを考えていたため、ぽつりと付け加えた声が聞き取れず、聞き返すとゆっくり首を横に振り、何でもないです。と、口を噤んだ。そして、ブラックは、私の耳朶を甘噛みして舌を這わせると、暴れた私の抵抗に素直に離れてころころと笑っていた。


 私の心は、まだ彼の切なさが拭いきれなかったが、彼自身がそれをなかったことにしているようだったので、それに合わせる努力をした。


「兎に角。彼らの監督不行き届きです。彼らの責任に他ならない」

「友達を悪くいわないで!」

「友達?」


 ブラックの重ねた軽口に眉をひそめた。そんな私にブラックはもっと不機嫌そうに問い返したが、暫らく私を見つめたあと、諦めたように嘆息して「マシロは人が良いんでした」と首を振った。

 そして、続けて真摯な瞳になると私の名を呼んだ。何事かとその瞳を覗き込むと囚われる。


 彼の瞳は黒曜石のように、深く、蒼く、暗い。


 この色鮮やかな世界に反して、彼だけはとても少ない色で構成されているような気がする。妙な異質感を持っている。

 異世界人である私に、ほんの少し似ているのかもしれない。


「利用出来るものは何でも利用すべきです。彼らはその利用価値がある。もちろん、私のことも利用していただいて結構です。心を許し過ぎるべきではない」

「うるさいなっ!」


 どんな高尚な弁をたれるのかと思ったら、くだらない話だった。


 怒りを露わにした私に、ブラックは悲しそうに微笑むと「では、私は帰ります」と私が止める間もなく踵を返し、すっと猫に戻って窓から出て行ってしまった。


 ぱたぱたと隙間風に揺れるカーテンが、むなしく音を響かせる。

 ブラックの瞳に、何故か僅かに感じてしまった罪悪感を拭うように息を吐き出すと、コンコンと気遣わしげなノックが聞こえた。


 驚いて肩を跳ね上げると声の主はエミルだ。

 私が、大きな声を出したから部屋に戻っていることに気がついたのだろう。

 扉に歩み寄って開錠しようとすると「開けなくて良いよ」と制された。


「もう遅いから遠慮するよ。マシロの声が聞きたかっただけなんだ。もう、大丈夫?」

「平気だよ。エミル、大丈夫だから……その、責任とか感じないでね?」


 何か自分からいうのは自惚れ過ぎな気がするが、エルリオン先生の話や、声を押し殺しているとはいえ、エミルの覇気のない声を聞けば自然と分かってしまう。

 エミルは、僅かに黙したあと、きっといつもの笑みを少し困らせたような感じで


「うん。ありがとう。マシロはゆっくり休むんだよ」


 また明日。と締めくくると足音が隣の部屋へと消えていった。


 私ってば、こんな異世界でも友達を困らせてしまっている。私が誰かの役に立つことなんて、やっぱりないのかもしれない。

 そんな自己嫌悪に陥って、ベッドに潜り込んだ。


 *** 


 翌朝一番で


「大馬鹿者」


 カナイに嫌味をいわれた。


「マシロちゃん、食堂から消化に良いもの作ってもらってきたよー」


 アルファの優しさが沁みる。と思ったら消化に良いというよりは、アルファの好きなものだ。

 ここに居座るつもりか。


「マシロちゃんが食べたいって、いってたっていうと何でも作ってくれるんだ」

「アルファっていつでも自分の欲求に素直だよね」


 ベッドに座ったまま、テーブルにどかどか置かれていく料理を眺めつつ悪態を吐いたのに、アルファはにこにこと機嫌良く「うん」と頷いた。

 毎回思うけどアルファの食欲は、体系に比例していない。うらやましい限りだ。


「エミルさんも食べますよね。朝も殆ど食べてないし」


 マシロちゃんキッチン借りるね。紅茶淹れるよ。と、私が頷くより早く動いている。


 今日のアルファのテンションの高さは、きっとエミルに気を遣ってのことだろうと、ふと気がつくと微笑ましくて、なんだか暖かな気持ちになる。

 そしてアルファに気を遣わせている当人は、ぼんやりと宙を見つめていた。


「エミル、ほんっとーに大丈夫だから、そんなに凹まないで」

「ああ、ごめん。病人に心配させるのは駄目だよね。うん。僕は凹んでるわけじゃないよ。ただ、反省点があったと後悔してたんだ」


 世間一般ではそれを凹んでいるというんだと思う。

 エミルは王宮育ちだからか、時々浮世離れしているところがある。そうかー、と乾いた笑いを浮かべた私にカナイが「食べるなら食べてさっさと寝てろ」と頭を小突いた。

 あんにエミルは放って置けといっているのだろう。


 にしても、一人部屋にこんなに人が集まるとちょっと狭いと思う。

 アルファがひざの上に持ってきてくれたトレイのリゾットを少しだけ口にして横になった。


 変な眺めだ。


 女の子が一人病気――過労だけど――で、寝込んでいるのだから気を遣いたいなら一人にしてくれるべきだと思う。

 はあ、と溜息を吐いた私の傍に居たカナイが、ちらりと私を見て鼻で笑った。


「見張ってないと出掛ける馬鹿が居るからな」


 なるほど、私は見張られているのか。


 そこまで無謀ではないのだけど、ギルドに行っても迷惑が掛かるだけだろうし。

 でもまだ短い付き合いなのに、心配してくれる気持ちは有難い。私は、ほんのり熱くなる体温を熱のせいにして布団を被った。


 薬のお陰もあってか、直ぐに睡魔に襲われる。


 *** 


 ―― ……ジャラジャラ


 真白の机に腰掛けて突っ伏していたエミリオは、卓上に載っていた瓶を揺すっていた。

 中には真白がギルドで受け取った謝礼が入っている。

 殆どが銅貨だ。


 倒れるまで頑張ったというのに、溜まっているのはたったのこれだけ。エミリオは、はあと溜息を吐いて誰にいうともなしに口を開く。


「これじゃ、結果が伴っていないよね」


 ジャラジャラと、瓶を揺するのをやめて今度はぼんやりとそれを眺める。

 ほんの少し開けた窓から柔らかな風が吹き込んでエミリオの前髪を揺らしていく。


「……マシロ、本当にお金を返す気なのかな?」

「そうだろう? そうでないならこの様は何だ?」


 テーブルに突っ伏して、昼寝を始めてしまったアルファルファの腕を邪魔臭そうに本で寄せたカナイは、静かに本のページを捲りながらエミリオの話に付き合った。


「僕、マシロに手を貸そうかな」

「そうなると必然的に俺たちもそうなるんだな」

「カナイは嫌?」


 机から頭を上げたエミリオは、カナイを振り返って問い掛けた。

 カナイはやや黙したあと、頭を掻いて盛大な溜息を落とす。


「別に構わないが、外は危険だ。それよりもまずはこいつを送り返すことを考えるべきじゃないのか?」

「ああ、そうだね。マシロ……帰るのかな?」


 ぽつりと呟いたエミリオから、カナイは顔を背ける。そして、ベッドの中で爆睡中の真白をちらりと見て「さぁな」と首を振った。


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