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テレビ局に向かう前、いつもメールボックスに届いた台本にざっと目を通しておくのが習慣になっている。テレビ局とはいっても、実際に自分が働いているのは同じ建物内の別フロアにあるラジオ局だ。ただ、なぜか皆ひっくるめて「テレビ局」と呼んでいる。おそらく、運営母体が同じだからなのだろう。
今週の台本がメールで送られてきたのと同時に、あちらの担当者からLINEが届いた。
「給料、もっと稼ぎたくない?」
なんともストレートな話の切り出し方。画面を見た瞬間、思わず口元が緩んだ。別に金にがめついわけじゃない。ただ、こういう無駄のないやり取りには好感が持てる。
「何か追加の仕事ですか?」
そう返信すると、相手はすぐには返事を寄越さなかった。
その間に、今週の素材記事に目を通し、簡単なコメントを下書きする。これは自分なりのルーティンだ。頭の中で少しでも整理しておけば、台本に沿って進める中でも、即興的な対応がしやすくなる。別に仕事の要件に入っているわけではないが、相方が「それは正解」と言ってくれたので、それ以来続けている。
しばらくして、PDFファイルが送られてきた。見たところ企画書らしい。
「新番組『芳樹言』設置についての企画案……」
なんだこれは。ネーミングセンスが悪趣味すぎる。タイトルを見ただけで、ゾワッと鳥肌が立った。
とはいえ、こういうのを実際に気にするタイプではない。自分の担当部分をしっかり書くだけ。番組名なんてどうでもいい。
ざっと目を通してみたところ、基本的には今の仕事と同じような内容だ。ただし、今度はゲストなしの一人語り。完全にパーソナリティポジション。そして、台本も用意されない。すべて自分で話題を考え、内容を構成しなければならない。
つまり、創作だ。ただ、小説とは方向性が違う創作。とはいえ、自分の領分ではあるし、慣れれば難しくはないだろう。
沙耶の裏での支援と、相手方の妙なこだわりのおかげで、こうして追加収入を得ることができた。仕事量は多少増えたものの、全体的には無理のない範囲に収まっていた。
反響がどうなるかは分からなかったので、当初は隔週放送でお試し的にスタートした。実際にやってみると、聴取者の反応はおおむね予想通り――いや、むしろやや好評と言ってもいいくらいで、あっさりとレギュラー化が決まった。
この数週間の空き時間を使って、前に中古ショップで買った小説をようやく読み終えた。まだ手元に余裕もあるし、近々また足を運ぼうと決めた。
その前に、まずは沙耶に昼ご飯でもご馳走しようと思った。仕事の口利きをしてくれたお礼だ。
沙耶は高校の同級生だ。中学時代の記憶はかなり曖昧だけど、確実に彼女の姿は一度も思い出せなかった。だが、それは別に不思議なことでもない。卒業アルバムに名前だけあって、顔を見ても思い出せないような同級生なんて何人もいる。当時から人付き合いが苦手で、それは今でも変わらない。
大学時代、あの本を書き終えたとき、図々しくも教授に出版社との仲介をお願いした。教授は親身に応じてくれた、数少ない「距離が近かった人」の一人だった。出版後は特に連絡を取っていないが、間違いなく、自分がこの道を歩むきっかけを与えてくれた存在だ。
出版社の編集者は一目で原稿を気に入り、契約やプロットの修正を経て、一年かけて原稿の改稿作業を進めた。その結果、生まれたのが、あの一冊。
初めて会ったとき、その編集者は自分の正体を明かした。「沙耶」という名前に全く心当たりがなかった自分は、正直なところ「親しみを装うための作り話なんじゃないか」とすら疑った。しかし後に卒業アルバムで確認したところ、たしかに同級生だった。それを知ったときは一瞬だけ恥ずかしさを覚えたけれど、自己反省までは至らず、そしてすぐにその感情も薄れた。
教授と沙耶の二人がいなければ、今の自分は存在しなかった。
……いや、現状を鑑みると、「今の自分」はむしろ彼らに知られたくない姿かもしれない。特に沙耶には、すでに見透かされている気がする。
彼女はいつも、絶妙なタイミングでこちらの状況を察して手を差し伸べてくれる。中学時代から友達だったなら、今の自分も少しは違っていたのだろうか――そんなことを思うが、性格というのは成長と共に骨に染み込んでいくものだ。今さら変わろうとしても、そう簡単にはいかない。
昼食の誘いを告げると、沙耶は何度も遠慮し、最終的には商店街のカフェでコーヒーをご馳走することで折り合いがついた。
「あなたの新刊が大ヒットしたとき、そのとき改めてご飯に誘ってよ」
そんな日が永遠に来ないかもしれないと思うと、胸の奥にうっすらと罪悪感が浮かんだ。……もちろん、その感情が長続きすることはなかった。
筆を置くと決めたのは、自分自身だから。
これでいい。そう自分に言い聞かせた