第七話、風にまかせた願い
※奏が初めて風の魔法に挑む、第七話です。
夢で出会った風の存在を信じ、初めて「魔法」として風の力を使おうとしますが……。
成功と失敗のあいだ、そして風が暴れる中で現れたのは、謎めいた一人の人物でした。
今回は、新たな出会いと葛藤の始まりの章です。
町に近い森の小道。
朝の光が木々の隙間から差し込み、鳥の声が響いていた。
奏は、昨日の夢の余韻を胸に、軽い足取りで歩いていた。
風の精霊と交わした言葉。自分の中にある風の力。それらはまだ確かなものではなかったけれど、心の中に静かに灯っていた。
「少しは……できるようになってるのかな」
ふと、前方の茂みの向こうから、甲高い鳴き声が響いた。
「……鳴き声?」
近づいてみると、一本の大きな木の下で、何人かの子供が困ったように見上げていた。
「どうしたの?」
奏が声をかけると、子供の一人が振り返った。
「あっ、あのね……。猫が、あそこに登っちゃって、降りられなくなってるの」
見上げた先、枝の間に、小さな灰色の猫がしがみついていた。
耳を伏せ、声を限りに鳴いている。
木は高く、途中に足をかけられる場所も少ない。
「登るのは無理そうだな……」
奏は考えた。棒で突けば危ないし、放っておけば落ちてしまうかもしれない。
なにより、あの声が、怖がっていることをはっきりと物語っていた。
そのとき、ふと風が耳をかすめた。
囁くように、撫でるように。
——風を使えば、なんとかなるかもしれない。
夢で見たように。風の精霊が教えてくれたように。
「やってみよう……!」
奏は深く息を吸い込み、両手をゆっくりと広げた。
風を感じる。胸の奥にある、小さな渦を意識する。
「風よ……やさしく、あの子を……」
次の瞬間、風が集まり始めた。
葉が、そっと舞った。枝先がきらりと揺れた。
風は、静かに空気を抱くように集まっていく。
風は猫のまわりをそっと包み込み、枝から離すように、ゆっくりと持ち上げた。
——いける。
そう思った、その刹那。
風が、変わった。
猫を支えていた空気の流れが急に乱れ、渦を巻き始める。
「……あっ、待って——!」
風は制御を離れ、猫をふわりと投げるようにして放った。
「きゃっ!」
子供たちが叫ぶ。
猫は地面すれすれでひねるように身をよじり、なんとか着地した。
驚いたようにしばらく立ちすくんでいたが、やがてすごい勢いで茂みの中へ駆けていった。
奏は思わずしゃがみこみ、胸を押さえた。
「よかった……大丈夫だった……」
安堵の息がもれた、——が。
風は、止まらなかった。
草が逆巻き、木の葉がざわめき、土埃が舞い上がる。
「……え?」
奏のまわりに、風が集まりはじめる。さっきまでとは違う、荒々しい力。
怒っているような、泣いているような、風が意思をもって暴れだした。
「お願い……落ち着いて……私は、大丈夫だから……!」
叫ぶが、風は聞き入れない。
空気の流れは乱れ、渦を巻いて木々をしならせ、奏の足元から巻き上がるように力を帯びていく。
「うわ……やめてっ、もう——!」
視界がぐるりと回る。
地面から足が浮き、身体が風に巻き上げられた。
(怖い……怖い……!)
風の力が暴走する。
それは「魔法」ではなく、ただの暴風だった。
奏はただ、風の中心で必死に目をつぶり、膝を抱えた。
そのとき——
「やれやれ。ちょっと目を離すとこれだ」
軽やかな声が、風の外から届いた。
次の瞬間、風の中心にひやりとした空気が差し込む。
「“解け”」
その一言とともに、空気がすっと引いた。
風は、まるで糸を切られたようにふっと消え、奏の身体は土の上に転がった。
咳き込む奏の前に、すっと影が立った。
細身の男。
薄い色の髪を軽く束ね、洒脱な服の首元に淡い色のストールを巻いていた。
「いやはや、初対面でいきなり命の恩人っていうのも、ちょっと芝居がかってる気がしない? ま、君、魔法使いの“たまご”って顔してたし、予想どおりではあるけれど」
奏が顔を上げてぽかんと眺めると、男はにこりと笑って見下ろしていた。
その笑みはなんとも楽しげで、どこか挑発的だった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
奏にとって、初めての「風の魔法」は決してうまくいったとは言えませんでしたが、
そこに現れた謎めいた流浪の男は、今後の旅にとって重要な存在になりそうです。
次回は、この男とのやり取りを通じて、風との関わり方を見直すきっかけが描かれる予定です。
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