第五十二話、第八層《言霊の扉》
扉は言葉を問うていた。
それは石の扉でありながら、息づいているかのようだった。精緻な風の紋様が刻まれたその表面は、見る角度によって揺らめき、声なき声が耳の奥を叩く。
「この層では、“言葉”が鍵になるらしいな」
リアガンが微笑ましげに言いながら、扉の前に立つ奏を横目で見る。
「でも、ただの言葉じゃない。『言霊』――魔法の本質に繋がるものだ」
「……つまり、自分の魔法に宿す言葉。どこまで本気で向き合えてるかが試されるってことか」
奏の声は小さく、それでいて芯が通っていた。
扉の前に立ったその瞬間、周囲の空気が重く変わった。風は止み、静寂が満ちる。世界が彼ひとりを見つめているような、そんな感覚。
「風の子よ」と、扉のうちから声が響く。それは人の声ではなく、風の流れが形を持ったような、どこか懐かしく、けれど名前のない響きだった。
「汝に問う。汝が魔法にこめた“言のは”は、誰のために、何のために在るのか――答えよ」
その言葉が降り注いだとき、奏の胸の奥で何かが軋んだ。
問いは深く、鋭かった。口先の綺麗事ではなく、自分自身の根にある言葉を、今ここで曝け出せと言っているのだ。
「……わたしの魔法は」
言いかけた言葉は、宙に霧散する。目の前が揺らいだかと思うと、景色が――変わっていた。
かつての村。なじみの小道。畑に立つ祖父の姿。風に乗って届く誰かの呼ぶ声。幼いころの自分が、風を見て、風と語っていた記憶。
ひとつ、またひとつと、胸の奥に沈んでいた記憶の欠片が、現実のように浮かび上がってくる。
「……風は、わたしにいつも教えてくれた」
奏は、独り言のように呟いた。
「孤独だった。でも、風はいた。風の言葉は、誰かの嘆きでも、祈りでもあって。わたしは……それを聞きたかったんだ。誰かの声を。世界の声を」
彼は静かに目を閉じた。掌をひらき、風を呼ぶ。
「わたしの魔法は、世界を読むためにある。名も知らない誰かの、声なき言葉を、ちゃんと聞けるように――そういう魔法にしたいんだ」
すると、彼の胸元から淡い光がふわりと舞い上がった。
リウがそれに気づいて、目を細める。「“風の名”が……共鳴してる」
そして――扉が鳴いた。
音もなく、その巨大な石の扉がひらかれていく。風が吹いた。強く、誇らしげな風だった。
「……通過、だな」
リアガンが笑い、軽く後ろから奏の肩を叩いた。「見事だったよ、“風の名”の魔法使い」
「いや、まだ見つけかけたばかりさ。でも、きっと――」
扉の向こうに広がるのは、螺旋の先。塔の頂へと続く、最後の試練への道だった。
シフは何も言わずに奏を見つめていた。その視線には静かな満足と、どこか少しの寂しさが混じっていた。弟子が、師の手を離れようとしているのを、風はとうに知っているのだ。




