第五十一話、第七層《呼応の回廊》
風の選定を経た翌日。奏が目覚めると、身体の奥に風が静かに息づいているのを感じた。外からではなく、自らの内に根づいた風。これまでの旅や修練、そして選択の果てに得た、自身の言葉による魔法の核──《風の名》が、確かに奏の中にある。
起床ののち、塔からの呼び出しが届いた。次なる階層への扉が開かれるという。
「第七層《呼応の回廊》──魔法使いが互いに響き合い、新たな調律を得る試みの場です」
塔の従者が静かに告げると、奏は先に進む決意を固め、風の名をまとって階を登った。
第七層は、まるで迷宮のような構造だった。回廊は複雑に折れ重なり、石壁には見たこともない言語の碑文が刻まれている。空気はやや重く、風は微かに回廊内をすべっていた。
──そして、その中心部へと足を踏み入れた奏を待っていたのは、懐かしい二人だった。
「やっぱり、君だったのか。先に通されたって聞いてたけどさ」
振り返ったのは、あの粗野な雷の魔法使い・アルヴ。いつものように制服を着崩し、手には雷の帯のような光が絡みついている。
その隣には、きちんと制服を整え、凛とした佇まいで立つセレスティナの姿。
「お久しぶりです、奏。ここで再会できたのは、偶然ではないのでしょうね」
彼女の声は、以前よりもいくらか柔らかく響いた。
「君たちも、選ばれたの?」
奏の問いに、二人はそれぞれに頷いた。
「選ばれた、というよりは……引き寄せられた、のかもしれないな」とアルヴが呟く。
「この回廊では、魔法の『呼応』が試されるそうです」とセレスティナ。
三人がそろったその瞬間、石壁が淡く発光した。
──試練が始まる。
三人が進むと、回廊の奥で霧が渦巻いていた。霧はそれぞれの魔力に反応するように、異なる形を取って現れ始める。
セレスティナには、凍てついた過去の記憶──彼女が背負わされてきた責務と孤独の像。
アルヴには、荒れ果てた辺境の地、魔法に耐えるために命を削ってきた日々の残響。
奏には、幼い日の風の声と、それを誰にも信じてもらえなかった記憶。
三者三様の記憶が干渉しあい、霧は次第に混じり合い、形を変える。
やがて回廊の奥に、巨大な鏡のようなものが現れた。その鏡に映るのは、互いの魔法の「響き」を映し出す異空間──《反響の間》であると、塔の声が響く。
「汝ら三人、互いに言葉と魔法を交わし、響き合い、新たな調律を生み出せ。
それこそが、この層の課題である」
試練の核心は、“融合”ではなく“呼応”。同化せずとも、互いを知り、響き合うこと。
最初の試みは失敗に終わった。
セレスティナの形式魔法は、アルヴの即興的な爆裂魔法とまるで調和せず、奏の風魔法はふたりの魔力の奔流に押し流された。
「無理に合わせる必要なんて、ないんじゃないのか」
アルヴが叫ぶ。だがセレスティナは冷静に言い返す。
「合わせようとしなければ、ただの衝突になるだけよ」
「だったらどうすればいいんだよ!」
「風に訊こう」
奏の言葉に、二人は驚いたように目を向けた。
「わたしの魔法は“風のことば”……空気を読むこと、気配を聴くこと。だから、君たちと“合わせる”よりも、“間”を読む」
その瞬間、奏は風に向かって囁いた。
「ここに在る三つの響きを、結ぶ道を、見せて」
風が囁き、三人の周囲を吹き抜けた。
セレスティナの氷が空間を安定させ、アルヴの雷がその中を通り、奏の風がそれらの“間”を繋いでゆく。
異なる魔法が交錯しながらも衝突せず、響き合う調和の瞬間が生まれた。
その一瞬、鏡が光を放ち、三人の姿を映し出した。
塔の声が再び響いた。
「呼応の調律、確かに受け取った。
汝らは、それぞれの言葉を持ちながら、共に歩む道を選んだ。
次なる扉を、開くがよい」
三人は静かに視線を交わし、頷いた。
「……悪くなかったよ。あんたの“間”、ちょっと気に入った」
「次は、もっと精密に調整できるはずよ」
奏はふたりに笑みを返した。
「ありがとう、風と、君たちとで、ここまで来られた」
そして、三人は再びそれぞれの道を歩き出す。
次なる階層──第八層《言霊の扉》への扉が、風に開かれていた。




