第五話、風に出会う森
※この物語は、風に導かれる奏そうの旅の記録です。
第五話では、旅で初めての出会いが描かれます。
不安と希望のあいだで揺れながらも、確かに進みはじめるその瞬間を、見届けていただけたら嬉しいです。
森の風は、村の風とは少し違っていた。
色が濃く、匂いが深く、枝葉の間を縫うように流れていた。
それでも、奏にはわかった。ここにも、風はいた。ずっと、そばに。
旅に出て二日目。
初めての夜を越え、簡素な朝食をすませて小道を進むうちに、奏はふと足を止めた。
……どこか、違う。
木々のざわめきの調子がずれていた。
風の流れがぶつかって、そこだけ旋回している。
「誰か……いる?」
風が耳元でかすかに鳴いた。答えるように、細く笛を吹いたような音。
耳をすませて歩いていくと、小さな声がした。
「おねえちゃ……ここ……こわいよ……」
——子供の声。
茂みをかき分けた先、小さな広場のようになった場所に、二人の女の子が座っていた。
姉妹らしい。ひとりは七歳くらい、もうひとりはまだ五歳にもならないような小さな子だった。
姉が妹を守るように手を握り、目をこすっていた。
「だいじょうぶ……もうすぐ、おとなのひとが、来てくれる……」
「……ごめんね、わたし、ないちゃったから」
奏はそっと近づいた。
「……迷子、かい?」
二人が顔を上げた。怯えた瞳が奏を見つめ、姉のほうがこくりとうなずいた。
「わたしたち、野草をつみに来たんだけど……、かえり道がわからなくなって」
「おかあさん、さがしてるよぉ……」
泣きそうな妹の声に、奏は膝を折って目線を合わせた。
「だいじょうぶ。きっと帰れるよ。一緒に帰ろう」
姉妹を伴い、森を歩き始める。
ふたりに大丈夫と言ったものの、内心は不安だった。
森の地形に詳しいわけでもない。自分だって、地図のない世界を手探りで歩いているだけ。
そのときだった。
——ふわっ。
森の中に、風が集まりはじめた。
ひとところに渦を巻くように。空気がきらきら、金色に揺れる。
そして、現れた。
まるで陽炎のように滲み、輪郭があいまいだったそれは、やがて、
小さな子供の姿をとって立っていた。
淡い水色の髪。
瞳は白目がなく、七色の光を宿す硝子玉のように透き通っていた。
軽やかな衣は風そのもので織られているかのようにふわりとひるがえり、
言葉より先にその存在が空気を変えた。
「……あなたは」
奏がつぶやいたとき、その存在はにこりと笑った。
子供のように見えて、その瞳に宿るものは遥かな時を超えてきた静けさだった。
『そなた、風に呼ばれし者よ。まだ道は浅くとも、風の眼差しはすでに届いておる』
その声は、人の言葉のかたちをしていながら、人ではない響きをもっていた。
鳥のさえずりのように高く、波のようにゆるやかで、そして風のように透明だった。
奏はなぜか、恐れを感じなかった。
風の気配とつながっていることを、体で感じ取っていた。
「どうすれば……この子たちを、家に帰してあげられるだろう?」
風の民の子は、にっこりとまた微笑んだ。
そして、指をひとふり。
その瞬間、風が動いた。
葉が舞い、草が揺れ、遠くの木の枝が一本、ゆっくりと揺れた。
——そちらへ行け。
風が、静かに道を示してくれていた。
奏は姉妹の手を握った。
「……私を信じて。帰れるよ」
ふたたび歩き出すと、風が背中を押してくれた。
まるで見えない道標のように、枝を揺らし、花をそっと揺らしながら、正しい方向を示してくれる。
やがて、森のはずれに出たとき、遠くから声が聞こえてきた。
「おーい、どこだーっ! きこえたら、へんじをしてくれー!」
姉妹の家族のようだった。
ふたりを捜すその声にしまいは目を輝かせて走り出し、声を上げて家族と抱き合った。
奏はその場に立ち尽くし、安堵と、少しの誇らしさに胸を震わせた。
何かの気配を感じ、ふと振り返ると、あの風の民の子が立っていた。
風をまとい、森と一体になるような姿。
『風は、おぬしを選んだのではない。おぬしが、風を選んだのじゃ。
迷えばよい。けれど、風は常に、そなたとともにある』
そう言って、その者はふっと笑い、次の風にまぎれて姿を消した。
その夜、奏は小さな野営地で火を焚いた。
ひとりだったけれど、寂しくはなかった。
自分の中にある風が、いまは確かに、そこにいた。
「……旅に出て、よかった」
その言葉を口にしたとき、焚き火の炎がやさしく揺れた。
風が、そっと笑ったような気がした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
少しでも奏の物語に風を感じていただけたなら嬉しいです。
次回は、風の魔法を近くに感じる場面が描かれる予定です。お楽しみに!
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