第四十九話、第六層《静謐なる天秤》(後編)
風の音が消えた。
祭殿の奥へと足を踏み入れると、空気はひとしおに重く、密やかに閉ざされていた。広間の中央には天秤。その両の皿には何も載っていないが、それ自体がこの空間を律する意志を帯びているようだった。
ひとつの声が響く。風ではない、塔の内奥に根づく“問いの精霊”のような存在の声。
「問おう、風の名を持つものよ。汝の歩み、秤に値するか」
奏は胸の奥が微かに震えるのを感じながら、正面に進み出た。風の名を名乗った者として、ここで拒めば試練は終わるのだろう。
「……応じます」
奏の言葉に、天秤がわずかに揺れた。まるでそれが返事のように。
「ならば、見せよ。汝の重み、汝の真実。選び取れ。何を手放し、何を保つか」
そのとき、広間に三つの扉が現れた。それぞれの扉の前には、同行者であるリアガン、リウ、シフが立っている。
リアガンは、重ねた書を片手に掲げ、静かに奏を見つめている。
リウは穏やかな微笑を浮かべながらも、その眼差しは試すように鋭い。
シフは、物言わぬまま、まっすぐな視線で奏の目を覗き込んでいた。
塔の声が再び響く。
「いずれかを選び、いずれかを手放せ。試練の名は『重き選択』。その選びが、おまえの真をあらわすだろう」
――誰かひとりを「今この場で」失う。そういう類の選択ではないと、奏にはわかった。けれど、選んだ者とともにこの層のさらに奥へ進み、選ばなかった者たちとは一時的に分かたれる。彼らとの関係、信頼、理解――それらを量る試みなのだろう。
誰かひとりと進み、あとの二人とは別の道へ向かう。
それは単なる選好の問題ではない。誰の力が今、自分に必要なのか。どの関係性が、今ここで試されるべきか。
リアガン、リウ、シフ。それぞれが、言葉にしない問いをその瞳に湛えている。
奏は目を閉じた。
――風よ。問いに応えて、僕の中を渡って。
胸の奥に風が吹く。これまでの旅路、交わした言葉、理解の種、すれ違いと和解の兆し。それらが、風の中でひとつに編まれていく。
目を開け、奏は歩き出す。
選んだのは――




