第四十七話、第五層《選定の間》での試練
塔の風が、奏の名乗りを受けて静かに鳴り止んだのは、ほんの一瞬のことだった。
だがその沈黙は、空気の層すべてが彼の名を繰り返し、聞き届け、塔の意思に届いた証でもあった。
「風の子、《奏》よ」
空間のどこからともなく響いたのは、塔の守人とも、精霊ともつかぬ澄んだ声だった。
それは一人ではなく、幾重にも重なり合いながら、まるで風そのものが語っているようでもあった。
「第五層、《選定の間》へと進むがよい。おまえの名と、その覚悟を証すために」
祭殿の奥、閉ざされていた扉がひとりでに軋みを上げて開く。
冷たい石の廊下を抜けた先、吹き抜けの螺旋階段が天へと続いていた。
その奥には、今なお沈黙する塔の上層が、ひたすらに奏を待っている。
リアガンは腕を組んだまま、半分笑うように目を細める。
「やっと正式な呼び出しか。ま、これまでのはただのご挨拶ってことかね。行ってこい、坊や」
「……ありがとう。リアガンも来てくれて、よかった」
そう言いながらも、奏は階段へと足を踏み出していた。
シフは口元を引き結び、肩越しにひと言。
「名を持って塔に挑むならば、もはや導き手は不要だ。行け、奏。おまえ自身の風で」
最後にちらりとリウが、奏の背中を見送るように瞬きをする。
「きっと……きみの風が通るよ」と、小さな声が風に乗って聞こえた。
選定の間は、塔の第五層に設けられた広間だった。
天井は高く、壁には風の紋様が織り込まれたタペストリーが揺れ、足元には風の精霊の印が刻まれている。
中心には、透明な柱が一本。空気の流れを取り込み、塔の意志を象徴するかのように微かに脈動していた。
すると、空間に再び声が満ちる。
「名を持つ者よ。汝の名が、ただ音の連なりではないことを示せ。
その名に宿すものを、試練によって問う」
柱の周囲に、いくつもの光の粒が集まり始めた。
それは小さな風の精霊たちの化身――透明な羽と淡い彩りを持ち、舞い踊るように空を巡る。
「名とは、己を縛るものにして、己を開く鍵でもある」
風の声が言う。
「ひとつ目の問い。
――“おまえの名は、どこから来た”」
それは語りかけではなく、心の奥に直接差し込まれるような問いだった。
奏は、静かに目を閉じる。
風の名。《奏》。
それは与えられたものではなく、自ら選び、風と対話し、答えとして立ち上がってきた名だった。
村を出て旅に出た日から、あらゆる出会いと対話と試練の中で、風が彼の中に築いてきたもの。
「わたしの名は……出会った風たちの声から生まれました。
呼びかけ、応えてくれた風たちの想いが、音になって、意味になって。
そのすべてを、受け止めたいと思った。
だから、“奏”――風の音に、自分の想いを重ねたんです」
答えた瞬間、部屋の空気が柔らかく震えた。
光の柱の脈動が強まり、周囲のタペストリーが高鳴る風に揺れる。
「二つ目の問い。
――“その名に、何を託す”」
今度は、風の気配が鋭さを帯びる。
精霊たちの舞いが乱れ、塔の内部に微かな不安のような波が広がる。
奏は一歩、柱へと近づく。
怖さはあった。だが、同時に、そこに吹いていたのは確かに“風”だった。自分が愛し、慣れ親しんできた風。
「風は、わたしに問いかけてくれる存在でした。わたしはその問いに、ずっと答えたかった。
わたしの名には、“風と共にあること”が込められています。
わたし自身の未熟さも、怖さも、全部受け入れて――それでも、風のことばを聞き続けていく決意を」
その言葉に、選定の間の空気が一変する。
一陣の風が、奏の髪を撫でるように吹き抜けた。
「答え、確かに聞き届けた。風の名、《奏》よ。
汝の名、塔に認められたり」
風が歓喜のように吹き上がり、空間がまばゆく光に満ちた。
透明な柱の光が彼を包み、塔の上層への道が、まるで風に乗って開かれたようだった。




