第四十六話、風の名、響くとき
祭殿の外に出たとき、夜の帳はすっかり下りていた。
しかし空にはひとすじ、光の道が走っていた。塔の最上層から地上へと、星のようにきらめく風が降り注いでいる。
「……なんだ、あれ」
思わず見上げた奏が言うと、隣のリアガンは肩をすくめた。
「どうやら、君が何か“やらかした”らしいな」
「私が……?」
「風の名前を名乗っただろう?」
「……うん」
「それだよ」
遠く、塔の中腹に開いた窓のひとつから、白い布をまとった小柄な人影がこちらを見ているのが見えた。
気づいたその人影は、ふわりと宙を舞うように空中を降りてくる。
「来たね」
シフが口を開いた。視線は空に舞い降りる者へと向けられている。
その瞳は、どこか懐かしさと、わずかな緊張を帯びていた。
舞い降りた人物は、年若く見える女性だった。
しかしその目は、風と同じく時を超えた深さを湛えている。
白と青の織り交ざった衣に身を包み、額には銀の飾り。肌は透明感すらあり、風の気配をそのまま身にまとうような存在だった。
「風の名を告げた者、奏」
彼女は、はっきりとした声で名を呼ぶ。
奏は一瞬、戸惑った。だが、すぐに返す。
「はい。……奏、風を歩む者です」
その言葉に、彼女はふっと微笑みを浮かべた。
「風の塔は、名を持つ者を迎えます」
「……迎える?」
「あなたの名乗りを風は受け入れた。だから、正式に試練へと招きます。これは、風の塔に選ばれし者としての試練。あなた自身が、その名にふさわしいかを問われる時です」
「……試練、か」
奏は息を吸い、胸に手を当てた。そこに風の脈動がある気がした。
「受けます」
静かに、しかし迷いなく奏は答えた。
その答えを聞いた風の使者は、もう一度微笑む。
「では明朝、塔の第五層《選定の間》へとお越しください」
「わかりました」
そのやりとりの間、シフもリアガンも何も言わなかった。
しかし、風の使者が去ったあと、リアガンが口を開く。
「いよいよ本番ってわけだ」
「ええ」
「これから先の試練……塔の選定は、ただの試験じゃない。塔の意思と風の記憶、その両方に見られることになる」
「……こわいかもしれない。でも、逃げたくはない」
その言葉に、シフが微笑んだ。
「ようやく、名を持ったんだね、奏」
「うん」
「では、これからは名を呼ぼう。“風を歩む者”としての君にふさわしい言葉で」
シフのまなざしは穏やかで、しかしどこか試すようでもあった。
師としての視線と、かつて“名を持った存在”としての共鳴。
奏は思わず顔を上げ、風の道の向こうにそびえる塔を見つめた。
「風が呼んでる。……だったら、行かなくちゃ」
夜の風が、奏の名をふわりと撫でるように吹き抜けた。
塔の中で待つのは、風そのものか、それとも“世界の理”の断片か。
試練は、すぐそこにある。




