第四十五話、風のことばと呼ばれるもの
白い霧がすべてを包んでいた祭殿の扉が、音もなく開いた。
外には、陽光が差し込んでいた。先ほどまでどこか夢の中のようだった白の空間は消え、青く高い空と、なだらかな草原が目の前に広がっている。
「……戻ってきた、のか」
奏が口に出すと、それを確認するように風が頬を撫でていった。ふと視線を向けると、祭殿の石段の下には、リアガンとシフ、そしてリウの姿があった。
シフが、微かに目を細めて口元を緩める。リアガンは両手を広げ、どこか芝居がかった調子で言った。
「ご帰還、おめでとう。我らが風の子よ。生きて出てきたなら、合格ってことかな?」
「そんなに軽く言うことじゃ……」
リウがリアガンの脇腹を肘で小突いたが、彼は構わず笑いながら階段を登ってきた。
「冗談さ。でもまあ、ほんとうに……よく戻ってきた。よく、自分で帰ってきたね」
その言葉には、からかいとは違う温かみがあった。
奏は小さく頷く。そして、ふと――自分の胸に手を当てた。
霧の中で、風に問われた「名」。
自分が何者かを、どのように名乗るか。
言葉にするのは難しいが、それでも、確かに見えたものがあった。
「風と、言葉を交わしたんだ」
奏の声に、三人は目を向けた。
「風は、たぶん……問いかけてきた。わたしが、何者なのかって。どうしてこの名で呼ばれているのか、どうしてこの名を名乗るのかって」
「それで、どう答えたんだい?」
シフが静かに訊いた。
奏は風を感じながら、ひと呼吸置いてから答えた。
「まだ、完全には言葉にできない。でも――その問いに、自分で応えたいって、そう思った。誰かに与えられた名じゃなく、自分が選ぶ名として、呼ばれたいって」
リアガンが興味深そうに目を細める。
「それはつまり、“名乗る”ってことだね」
奏は頷く。
「うん。名乗るって、勇気が要ることなんだね。だけど……」
風が、ふと足元から吹き上げてくる。髪と衣を揺らし、背中を押すようにして。
奏は、仲間たちを見つめながら言った。
「わたしは――『風の子 奏』。それが、今のわたしの名」
沈黙がひととき流れた。
リウが目を瞬かせて、それからふっと微笑む。
「……素敵な名ですね。風も、喜んでいるように思えます」
シフも軽く頷いた。
「名乗ることは、魔法においても大切な一歩だ。お前は、問いの意味を理解し始めている。風がそれを望んだのだろうな」
「おいおい、ますます立派になっちゃって。あんまり格好つけると、弟子のくせにってからかいづらくなるじゃないか」
リアガンの言葉に、奏はつい笑ってしまった。
だが、その笑いはもう、以前のような戸惑いを含んだものではなかった。
自分で名乗った名。
それを誰かが笑っても、自分の内側で揺らがないものを、ひとつ持てた気がしていた。
その時、草原の先に風が渦を巻いた。塔の方向から、風の精霊が運ぶ新たな声――「次なる試練」の気配が、彼らのもとへ届こうとしていた。




