第三十九話、旅立ちの風
黎明の風が高く吹き抜けた。
アラウィンの塔群が朝陽に染まり、白銀に輝いてゆくなか、奏たちは広場に立っていた。
数日ぶりに訪れた静けさは、奇妙な清涼感と、少しだけ名残惜しさを含んでいる。
カイリウス――元記録官の彼は、以前の無表情とは異なる柔らかな面差しで、奏たちを見送っていた。
「おまえたちがもたらした変化は、塔の中で静かに響いている。
すぐには変わらぬが、それでも……名を封じることの意味が、再び問われるだろう」
風を読む者として、奏はこの場所がほんのわずかに、けれど確かに呼吸を始めたことを感じていた。強ばっていた空気に、緩みが生まれている。
「カイリウスさん。あなたの“名”を、今ここに在る者として受け止めてくれて、ありがとう」
奏の言葉に、カイリウスは静かに頷いた。
「名は奪われるものではない。だが、委ね合うことはできる。
……この世界が、そういう在り方を取り戻せるよう願っている」
リウがふわりと浮き上がり、晴れやかに空を旋回した。
シフも風のように舞い降りると、手を大きく振って叫ぶ。
「次は海の向こう? それとも空の果て?」
「まずは南東の丘陵を越えて、〈風の塔〉へ向かうよ。覚えてるか? あの招待状」
リアガンが言うと、奏は思い出す。
かつて風に導かれて届いた、あの微かな気配――風の古き遺構が呼んでいた。
「風の塔……今なら、きっと行ける。聞こえる気がするんだ。もっと、深い“ことば”が」
それは、風の民の子と出会って以来、ずっと追い続けてきた何かだった。
「よし、それじゃあ決まりだな。次の目的地は、名を忘れた塔と、風のことばの眠る場所!」
リアガンがいつもの調子でそう言うと、奏とリウ、シフもそれに続いた。
名を持ち、名を呼び合いながら、それでも縛られずに在ること。
――その旅が今、あらためて始まる。
塔の白壁に、彼らの姿が淡く映る。足元から吹き上げた風が、リウの髪を揺らし、シフの背を押す。
「……いってらっしゃい」
見送るカイリウスの呟きに、誰よりも穏やかな風が寄り添っていた。




