第三十二話、封印の間と忘れられた声
証人に案内されてたどり着いたのは、記録の庭のさらに奥深く──“封印の間”と呼ばれる場所だった。
扉は無音のまま開いた。そこはまるで、時間そのものが停止したかのように静まり返った空間だった。
厚い石壁には、古代語で綴られた無数の名が刻まれており、壁面に沿って配置された水晶の柱が微かに脈打つような光を放っている。
「ここには、記録に載ることを禁じられた名たちの痕跡が眠っている」
証人の声は低く、厳かな響きを持っていた。
奏はそっと足を踏み入れた。
空気は冷たく、けれど何かが呼びかけてくるような感覚があった。
「……声がする」
アウラスが顔を上げ、目を細める。精霊としての感覚がこの空間に強く反応していた。
ヒューラは奏手を握った。
「これは、“名を剥がされた精霊たち”の声だ」
その言葉に、奏は息を呑んだ。
やがて、封印の間の中央──空白の円形広場に立つと、微かな風が舞い始めた。まるで彼らの訪れを感じ取ったように。
すると、淡い光を帯びたひとつの影が、静かに円の中心に現れた。
それは朧げながら人の形をしていたが、瞳も口もなく、ただ風の中に存在しているようだった。
「……わたしの、名を……」
風にのせて響いたその声は、かすかで、けれど確かに痛みを伴っていた。
奏は静かに歩を進め、ひざをついた。そして、そっと両手を差し出す。
「あなたの名を、思い出せるように手を貸させてください」
精霊の影が、ゆっくりとその手に触れた。
その瞬間、強い風が巻き起こった。
封印の間の壁に刻まれた名の一部が、ふわりと光の粒となって浮かび上がり、円の中央へと集まり始めた。
──それはかつて名を与えられ、契約された精霊たちの残響だった。
ヒューラが目を伏せる。
「彼らの名は、力としてではなく、祝福として呼ばれるべきだった」
アウラスは拳を握りしめた。
「もう、繰り返させない……僕たちの声を、取り戻すんだ」
風のなかで、名もなき精霊の影が微かに揺れた。
奏の心に、かすかな響きが届く──
──イリィア。
それが、精霊の名だった。
「ようこそ、イリィア」
奏がそう呼んだ瞬間、影は鮮やかな光に包まれ、幼い少女の姿へと形を変えた。
瞳の奥に、深い安堵が宿っていた。
新たな精霊との出会いは、次なる運命の扉を開く前触れだった。




