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第三話、風の目覚め、心のまどろみ

※この物語は、村に生まれた少年・そうが、

自分の内にある“風の声”に耳をすませ、外の世界へ歩み出す旅を描いています。


静かで、時に切なく、けれど温かい物語を、よろしければ一緒に辿ってみてください。

第三話では、風との出会いが描かれます。

 旅人が去った朝、村は何事もなかったように静かだった。

 鳥はさえずり、畑に立つ人々は土の感触を確かめ、

 山からは淡い霧がゆっくりと降りてきていた。


 ——昨日と同じようで、何もかもが違って見えた。


 そうは縁下に座っていた。

 旅人がよく腰かけていたその場所。

 木目はまだかすかに温かく感じられたが、彼の姿はもうなかった。


 ……いなくなってしまった。


 どうしようもなく、寂しかった。


 会ってからの日々は、ほんの数日のことだった。

 それでも、その短い時間は、これまで十数年の人生よりも濃く、色彩をもって(そう)の心に刻まれていた。


 旅人は、自分が初めて出会った「仲間」だった。

 血縁でもなく、同じ村の出でもなく、ただ“似ている”と感じる何かを分かち合える相手だった。

 初めて、言葉にしづらい孤独が、孤独ではないかもしれないと思わせてくれた存在だった。


 ——けれど、彼は旅人だった。


 当然のように、とどまらなかった。

 名残惜しむ素振りもなく、誰にも別れを告げず、風のように立ち去った。


 (そう)は胸にぽっかりと穴が空いたような感覚を抱えたまま、村の中を歩いた。

 人々は相変わらずで、笑い、働き、日常を営んでいた。

 そのすべてが、奏には薄い膜の向こうにあるもののように見えた。


 わたしは……ここにいて、いいんだろうか?


 旅人はあのとき言った。

「怖いままでも、歩き出せる」と。

 けれど、(そう)の足は今もこの村に縛りつけられている。


 風が吹いた。髪をなでるその感触に、ふと胸が苦しくなった。


 ——このまま、村にいてもいいのか?

 違和感は、いずれ自分を壊すんじゃない?

 それとも、今の気持ちを飲み込んで、みんなみたいに“なじんで”生きていくのか?


 頭の中が、ぐしゃぐしゃだった。

 立ち上がった感情は、言葉にも形にもならず、心の中でぶつかり合っては消えた。

 思考は焦りに変わり、その焦りが息を詰まらせた。


「どうしたいんだろう、わたし……」


 その問いかけは、答えのないまま、風に消えていった。




 旅人がいなくなって数日が経った。

 村はいつも通りだった。いや、あまりにも“いつも通りすぎて”、それが息苦しかった。


 (そう)は、よく行っていた裏山の小道を歩いていた。

 人が通らなくなった古い祠のそばに、小さな石の段差がある。そこに腰を下ろし、空を仰いだ。


 風が吹いていた。

 草を揺らし、葉を鳴らし、遠くの木々をざわめかせていた。


 ——ずっと、風はそこにいた。


 思えば、幼い頃から風は不思議と身近だった。

 天気の変化を言い当てたり、人が来る前に気配を察したり。大人たちは「勘がいい子だ」と言って笑ったが、(そう)には違う確信があった。


 風は、話しかけてくるようだった。

 嬉しいときは頬を撫で、悲しいときは髪を揺らし、怒っているときには渦を巻いた。


「……わたしの気持ち、わかる?」


 風が、ふっと肩にまとわりついた。


 (そう)は目を閉じた。風の音が耳に染み込んでくる。

 ただの自然音ではない。もっと深く、もっと心に届く何か。


 ——ここにいちゃ、だめなんじゃない?


 声ではなかった。でも、確かにそう言われた気がした。

 自分の奥底から湧き上がる言葉のようでもあり、外から届いた囁きのようでもあった。


「わたし……、このままじゃ、だめかな?」


 風が強く吹いた。

 頬を打ち、木の葉を巻き上げる。

 荒々しさのなかに、焦りと苛立ちが混じっていた。

 それは、まるで奏の心そのもののようだった。


「あなた……ずっと、そばにいてくれたの?」


 そのつぶやきに応えるように、風はふわりと舞った。

 空気がざわめき、森が鼓動する。

 光のない焔が、そこに灯ったかのような錯覚。


 風たちが、笑っている——そう思った。


『気づいた……』

『やっと、目を開けた……』

『呼ばれた、呼ばれた……!』

『風の名を、風の心で、聞いてくれた……!』


 意味のある言葉ではなかったかもしれない。

 けれど、(そう)の心には、それが確かに“喜び”として届いた。


 風たちは、ずっとここにいた。

 いつだって(そう)のまわりにいた。

 笑ったときも、泣いたときも、怒ったときも、ひとりだった夜も。


 ただ、その存在に“気づくこと”ができなかった。


 (そう)が風を見つめたのではない。

 風の方が、ずっと(そう)を見ていたのだ。


 今、その視線が交わり、ようやく重なった。

 風たちの気配が、輪になってそうを包み込む。

 くすくすと笑い、ひゅうっと跳ね、喜びの舞を踊る。


 ——ようこそ。ようやく、会えたね。


 言葉にならない声が、心に届いた気がした。


 その瞬間、(そう)の中のなにかが「ほどけた」。


 村にいながら感じ続けていた圧迫感。自分だけが異物だという疎外感。

 それらが、すべて“意味のある違和感”だったと、ようやく理解できた。


 違っていたからこそ、気づけた。

 気づいたからこそ、出会えた。


「……ありがとう」


 風がわずかに強くなった。

 照れくさそうに、はしゃいでいるようだった。


 その夜、(そう)は久しぶりに、深く眠ることができた。

 夢の中でも、風はそっとその枕元に寄り添っていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


少しでも、奏の物語に風を感じていただけたなら嬉しいです。


第三話では、奏と風とのつながりが芽吹く瞬間を描きました。


次回は、旅立ちの決意と別れの場面が描かれます。

いよいよ、物語が大きく動き始めます。


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